ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

レイモンドと井上の群馬音楽センター

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/16/Gunma_Music_Center_2009.jpg

 数年前の秋、西ボヘミアプルゼニュを訪れたとき、駅前のバス停に突として現れたのは、《高崎白衣大観音》であった。──それは日本の文化に焦点をあてた交流行事を知らせるポスターであったが、プルゼニュ市にとって日本といえばまず、いわゆる姉妹都市協定のある群馬県高崎市のことである。

 いっぽうの高崎は、白衣観音とならぶ貴重な建築文化財として《群馬音楽センター》(1961)を擁する。この設計を手がけたのが、ボヘミアに生まれたアントニーン・レイモンド(1888-1976)であった。

 チェコの人びとにとって、いわゆる原爆ドームの設計者として、ヤン・レツル(1880-1925)は近年知られるようになっているが、レイモンドを知る人は、建築史に興味をもつ向きをのぞけば、まだ少ない。

 レイモンド? 知らん。だいたいさ、それはチェコ語の苗字じゃないよ、といわれれば、こちらも説明してやらねばなるまい。もとの姓はライマンといって(いずれにしてもドイツ風だが)、オーストリア=ハンガリー帝国のプラハ近郊クラドノに生まれ、長じてプラハ建築学を修めたのち、米国に渡って市民権を取得、フランク・ロイド・ライトの事務所に勤めた。ライトの助手として来日し、のち独立して日本を中心に活躍した。今では「日本近代建築の父」とすら呼ばれる──とまでいってはじめて先方は、ほう、と話を聞く姿勢となる。

 世界を巻き込んだ二度目の戦争がおわると、高崎地盤の建設会社・井上工業井上房一郎(1898-1993)は、「高崎市民オーケストラ」による地域の文化的な復興をも企図した。この御仁、亡命同然のていで日本にやってきたブルーノ・タウト(1880-1938)のパトロンとなったり、完成時に全高42メートルは東洋一とも世界一ともいわれた、前出の白衣観音像を建立したりと、すでに戦前から話題に事欠かない篤志家であった。銀座にかまえた自身の店でレイモンドと知り合ったらしい。麻布笄町に在ったレイモンド邸(1951)がいたく気に入って、図面を譲ってもらい、地元高崎にそっくり複製したような自邸まで建ててしまった(《旧井上房一郎邸》1952)。

 その井上が「音楽ホール」の設計を依頼したのは1955年のことだという。三沢浩によれば、まもなく出来した増沢洵による第一案、第二案には、いずれも不備があり、すぐに却下されてしまった。三沢が、おそらく事務所で頭をひねりつつ、雑誌上にあった歌舞伎座の平面図を眺めていると、レイモンドがやってきて、4Bの鉛筆でその上にかさねるように扇状のスケッチを描いた。そして「これを音楽センターにしよう」と言い放った。井上は歌舞伎の上演が可能であることも、条件として要求していたのである。

 60メートルの間口をもつ扇型は、60メートルかけて絞られてゆき、幅20メートルの舞台尻に至る。これを柱のない空間とするために「不整形折面架板構造」が採用され、コンクリート打ちっ放し仕上げと相俟って、その特異な外観に結実した。この構造について、建築に疎い者でも現物をひと目でも見れば、何のことか即座に諒解するに違いない。経験のない約2000席の規模でこれを実現するため、レイモンドも毎月のように高崎の建設現場を訪れたという。

 建設予算3億3500万円のうち、およそ1/3が市民の寄附金であったといわれる。レイモンドがこのプロジェクトにおおいに熱意を注いだ理由として、三沢は、市民の文化都市建設への高い期待があったとしているが、さもありなん。落成かなって、前庭の石碑に「昭和三十六年ときの高崎市民之を建つ」と刻まれてあるのを見たとき、おそらくレイモンドが思い浮かべたものはひとつである。"Národ sobě"(ナーロト・ソビェ)──チェコスロヴァキア国民運動の言説のなかで高らかに語られる、プラハの国民劇場建設(1868-1881)のくだりであり、いまも金色に彩られ、舞台の上方に燦然と輝く。このスローガンは、当時、国民・民族(ナーロト)の存在証明とも考えられていた施設を、愛郷主義的貴族の寄附を中心に「国民が自らのために」うちたてたことを誇っている。

 1961年にこけらが落とされた、群馬音楽センター。竣工30年を前にした1990年に大規模な改修が行われてから、さらに30年の年月が経とうとしている。現在、高崎では類似した施設たる高崎芸術劇場が整備され、ちかぢか(2019年9月20日杮落としも予定されている。老朽化した群馬音楽センターの行く末をあやぶむ声もあるが、それこそ建築史上に輝くレイモンドと井上、市民の熱意の結晶として、保存・維持が望まれるところである。

 

〈群馬音楽センター〉へのアクセス:JR高崎駅西口より徒歩約10分

*主要参考文献・記事: 

アントニン・レーモンドの建築 (SD選書)

アントニン・レーモンドの建築 (SD選書)

 

www.takasaki-foundation.or.jp

www.raymondsekkei.co.jp

mirutake.sakura.ne.jp

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mainichi.jp

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追記)

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