ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

暗い血の旋舞

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photo by Marie Schneider

 承前クーデンホーフ=カレルギー光子の話がでてきた。

 まず思い出されるのは、松本清張『暗い血の旋舞』ではないだろうか。「香典なんとかミツコなんか知らない、聞いたこともない」とおっしゃる向きは、読んでおいて損はない。けれども、ちょっと残念な作品でもあるのだ。僭越ながら言わせてもらえれば。

 冒頭から、杉田という男とマキという女が、なにやら深刻そうに歴史の話をしている。情景描写もむやみに深刻だ。舞台であるフリートホーフとは墓地のことである。そして、くろぐろ雲がみちてきて、いまにも小糠雨すら……。どんよりと暗すぎて「このひとたち死んじゃうのかな」と思わせるが、そうではない。意味もなく深刻ぶっているだけなのだ。

 現地ウィーンで観光局に勤めるというマキに、杉田がクーデンホーフ光子について尋ねはじめる。──なるほど、杉田とは取材に来た小説家で、すなわち松本清張の分身なんだな、と読者は解する。でも、それにしては悩みが深そうだ。

 クーデンホーフのひとりが「副王」とよばれたことが引っかかっているようだ。よく読むと「クーデンホーフ家はボヘミアの副王だった」と光子の次男、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの自伝にあったとして、それでどうやら誇大な誤解が生じている。

 そりゃ、たぶん「シュタットハルター」の訳語でしょう、やはり「総督」くらいに訳したほうがよかったかもしれませんが──と具申したくなる。が、いやな予感もしてくる。芥川賞受賞の作家先生にたいして、編集者連は誰も教えてさしあげなかったのか、と。

 しかし、そうした誤解やら疑問やらが、取材旅行のあいだに氷解してゆくのを読者は期待しつつ、ページをくるわけだ。けれども、入れ替わり立ち替わり現れるのはリヒャルトの回想や概説書や何やからの引用文である。概説っていうくらいで、大雑把なものだ。しかも、相互の関連性にうすい、ありていに言えば、関係のない挿話が作家の思いつきというかたちで語られる。取材ノートを兼ねたスクラップブックを読まされているいるかのようだ。

 主題はクーデンホーフ光子の話だとおもっていたら、急にフランツ・ヨーゼフ帝の話がでてくる。そうかとおもうと、世紀末ウィーンの文人や画家について、ガイドブック並みの解説が割り込んでくる。現地で入手する文献もあるにせよ、日本から持参した資料をホテルや機内で読むうちに疑問が解けてしまうこともあり、なんのための旅なのかわからない。

 それでも文庫版100ページ前後からは興が乗ってくる。やっと中盤と終盤で、作家が構想している小説が具体的に明かされもする。予期される物語のプロットないしストラクチャーめいたものが披露されるから、そこで読者は作者の意図を最終的に了承するわけだ。すなわち、このひとはけっきょく歴史の謎を解くために来たわけではないのだ、と。ほんとうに小説のすじを考えるためだけにやってきて、協力者の女性たちとおしゃべりして、いろいろ由無し事を書き連ねているのだ。

 それがわかったときには残りのページはあとわずかだ。「暗い血」と言ったって、ハプスブルクの同族婚をほのめかして、すべてを説明したつもりになっているだけかと呆気にとられる。しかもクーデンホーフ光子は関係ない話になっておるじゃないかと憤ったところで、あくまで小説の構想として頭に浮かんだことですから、といわれたら仕方がない。それだから、はじめて読んだときは失望を覚えたものだった。

 むろん、時代的な限界は考慮されるべきだろう。文庫版の奥付では「1991年12月10日_第1刷」となっているが、もとの単行本については「昭和62年4月日本放送出版協会刊」とあって、1987年にNHKが企画したものだろうとわかる。

 「NHKアーカイブス」のサイトに紹介がある。1973年に『国境のない伝記~クーデンホーフ家の人びと』という伝記物が放映され(ここ)、そこで光子を演じた吉永小百合を起用して撮られたのが1987年の『NHK特集・ミツコ──二つの世紀末』だった(ここ)。「松本清張の小説執筆と同時進行で制作」と説明されている。

 1987年といえばプラザ合意の後で、ちょうど海外旅行がさかんになってきた時期だ。日本旅行業協会のサイトにはグラフ付きで説明されていて「1964年にわずか13万人だった海外旅行者数は [...] 85年秋の『プラザ合意』以降の急激な円高とバブル景気の後押しを受けて90年には1,000万人の大台を突破した」とやはりある。当時の日本の国民・市場はきっと、巨匠の手になる「旅行をたのしくする副読本」のようなものを必要としていたのだ。そう考えればたしかに、物語はシェーンブルン宮殿の墓地から始まるのである。まだ共産圏だったプラハまで足を延ばすひともさほど多くはなかったろうが、ウィーンを訪れるならば知っておきたい歴史の挿話が満載されてあるのもうなずける。ハプスブルクの「暗い血」についても、今日ほどは知られていなかったのだろう。

 ところで「残念」というのはいろいろの意味がある。けっして価値のないぞっき本という意味ではない。なんせ、傘寿もちかい社会派小説の白眉による円熟した筆致だ。その清張にしてからが明治の生まれで、光子の父・青山喜八をめぐる推理のくだりなどは、さすがと唸ってしまう。

 ところがヨーロッパに舞台がうつると、概説書を斜め読みしたくらいの予備知識しかもち合わせないらしく、とたん思い込みにもとづく牽強付会が鼻についてくる。

 たとえば「ロンスペルクの居館の周囲はチェコ人ばかりだった」とさらっと書いてある。「ロンスペルク」はチェコ語で「ロンシュペルク」と、おそらく往時から発音されていたに違いない。1920年チェコスロヴァキア政府が「ポビェジョヴィツェ」の名を併用することを決定して以来、今日まで行政上はその名で通っている。「南ボヘミア」とよく文中にでてくるが、現在の区画ではプルゼニュ県であるから、どちらかといえば「西ボヘミア」と認識されている。つまるところ広義にズデーテンと呼ばれる地域にあって、ドイツ語話者が多数派を占めた町であった。

 つまり「ドイツ人ばかりだった」というほうがちかい。現に、作中引用されているリヒャルトの回想にも「ロンスペルクはドイツ系ボヘミアのちいさな町であった」とあるのに。そのくらい、プラハで落ち合ったガイドにでも訊いていれば教えてもらえそうなものだ。作中人物ではあるが、モデルはいたはずだと踏むが。じっさいのところ、ドイツ語を話す住民が各地で追放に遭った1945年に、ロンスペルクで「移送」を免れたのは1世帯のみであったという(後出のシュミットの言)。こうした事実の誤認を基礎として「チェコ人民族運動が光子に『ボヘミアでの生活を不可能にさせた』のである」と断言してしてしまうのはいかがなものであろう。むろん、理由のひとつではあった可能性は否定しきれないとしても。

 さらに「チェコ農奴」を城の周囲で使役していたというのだが、どうも混乱しているようだ。時代的にとっくに農奴制は撤廃されていたはずだ。しかしそもそも中世史と近現代史をごっちゃに叙述してしまうのも、胡乱な行為である。喩えるなら「神風」と「カミカゼ」を混同させかねないからだ。ほかにもこまかいことを言い出せばきりがないが……。

 ただ、今回よんでいるうちに、他の箇所で気づいたことがあった。プラハ近郊から北ボヘミアにかけて、ホテク家の旧跡を訪ねている場面だ。読者が強引な論理展開に辟易しているのを見透かしたかのように、自らの推理について「この史料を読んで画一的な概念であるのを知った。類型的な思考に一撃を喰らった思いであった」と杉田に言わせているのである。

 つまり、作家が披瀝してきた数々の理屈や仮説が、かならずしも史実にてらして本当のことではないんだよ、と主人公の反省という形で示唆しているような気がしたのだった。あたかも、むかしのロマン主義の小説が「いままでの話はすべて夢だったのです」で終わってしまうようなものか。いやむしろ、そもそもこれは清張じゃないか、と思い出させる。つまり初めからルポルタージュではなくて小説だったのだ、なんでノンフィクションだと思いこんでいたのだろうと。けっきょく読者は文豪の手のひらの上で「旋舞」していただけだったのかもしれない、と気づくのだ。

 惜しむらくは、『暗い血』から10年以上たってから、あるいは清張が没して6年ほど経過してから、シュミット村木眞寿美『クーデンホーフ光子の手記』が刊行されたことだ。あるいは逆に『暗い血』が反響を呼ばなんだら、この『手記』は世に出ていないという言い方もできそうだが。

 その『手記』とは、娘のオルガに口述筆記させた光子の「肉声」を公文書館にもとめ、これを翻訳・編集したものである。チェコ共和国の公的施設の塩対応はお馴染みではあるが、編著者が取材したクラトヴィの文書館も、コピー料金が高いなどと大いに憤慨している。はては「今まですべてドイツが悪いことになっていたのが違うことがばれるので、相手が構える。真実が露と消えないよう、ドイツ人の調査は見えない妨害を受けてきた」とまで明かされる。エピローグでは、地元でタブー視されたはずのロンスペルク城の修復に自ら奔走するも果たせなかった件に触れられているが、そこから来る観照もまた正鵠を射ている。呪われた国で現代にも生きつづける闇のほうが、むしろ「暗い」のだ。

 なにより清張は、エリートで学究肌のハインリヒと初等教育ていどの学しかない光子の結婚は、不幸なものであったと断じた。しかし、光子みずから、ハインリヒとの暮らしがいかに幸福なものであったか娘に歌ってきかせるように語るのを読むとき、明治生まれゆえの先入観にもとづいた机上の空論であるの感をつよくする。知る由もない内心ではあるにせよ、なんといっても「所詮は女にすぎない」というような謂いもあって、松本清張だけにマッチョですなと嘆ずるしかない。時代が時代だったのだ。

 ただ、物語の過程で、光子の談話にもとづくリヒャルトの回顧が「資料的な裏づけを欠く」ために誇張であろうと抛り出されることはやむを得ない。じっさい、杉田はそのように看做して真相に迫ろうとする。史家やジャーナリストであれば当然のことで、首肯できよう。しかし、ほかの面での論の強引さそのものについては、クーデンホーフ家の虚飾を是が非でもあばいてやるのだという、作家の執念の発露にも思える。それこそ、清張じしんの「暗い血潮」だなと揶揄してみたくもなる。

 ところで、じつはチェコ語でも近年、光子の伝記的小説が刊行されている。2015年のヴラスタ・チハーコヴァー=ノシロによる『ミツコ』である。美術史家にして日本学の研究者でもある著者は、チェコスロヴァキア民主化まで20年ちかく日本に在住して日本人の配偶者があったこともあり、光子への同情にもふかいものがありそうだ。自身による光子を扱った博論とは趣きを変えて、大仰な文体による読み物という色合いがつよいものの、編年体のような体裁をとって年ごとに世界の出来事を付すなど、はばひろい読者の理解に配慮してもいる。いまもって触れてほしくないという者もあるに違いないが、変化の萌しもまた感じる。いずれにせよシュミット村木の挫折からも今や一回りの時が過ぎたのだ。

 ともかく、より多くの情報や史資料があればもっと……と執筆された時代を度外視して空想するのは読者の勝手であるが、そういう意味で『暗い血』を再読してみて「残念」という気がしたのもたしかだ。

 クーデンホーフ家にかんして清張が用いているのは、主としてリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの『回想録』と『美の国』で、それに木村毅『クーデンホーフ光子伝』や昭和初期の雑誌記事が少々。それからゲロルフの『思い出』を編集部に翻訳させたとおぼしい紙束が作中、だしぬけに出てくる。するとこれが、兄・リヒャルトの『回想』よりも客観的な記述で、疑問が自己解凍されてゆくという展開になる。要するにデウス・エクス・マキーナーのように思えたものだった。

 

*参考:

www2.nhk.or.jp

www2.nhk.or.jp

www.jata-net.or.jp