NHKラジオ「まいにちドイツ語・応用編」が、この10月から「記憶に残る近現代の女性たち」と題したコースを放送している。じつはSNSで紹介されていたのだ。
各課でひとりづつ、ドイツ語圏にゆかりのある女性について書かれたエッセイを読みながら、文意をとりつつ関連する語彙や文法をまなぶという流れである。教授法としては訳読法という旧弊なスタイルながら、初中級から中級以降の授業としては、オーソドックスなものであろう。
扱われるテーマのリストはマリア・テレーズィアにはじまっており、アンゲラ・メルケルにおわるという、予定調和的なものだった。しょうじき、そう思った。けれどもよく見ると、その中間にマレーネ・ディートリヒとか、レニ・リーフェンシュタールとか、ペトラ・カリン・ケリーとかの名があった。ほかの面子もなかなか面白かったので、ためしに聴いてみることにしたのだ。
こういうときにはスマートフォンの〈ゴガク〉アプリが便利だ。NHKのラジオ講座の音声が2回分だけ聴取できる。世界のどこにいても。さらにテキストが欲しくなったらば、たとえばAmazonのページでKindle版のテキストをポチッと購入すれば、すぐにスマートフォンの〈Kindle〉アプリで閲覧することができるようになる。
したがって基本的にはスマートフォン一台あれば、カジュアルな語学学習が完結してしまう。現代的だ。これでは、三日坊主の言い訳を考えるのが難しい。くわえてノートと筆記具に辞書くらいあれば言うことはないが、それすらスマートフォンで代用しようと思えばできる。
テキストのエッセイはおそらく書き下ろしで、よく知られた人物の「知られざる一面」に焦点を当てられている。
たとえば──マリア・テレーズィアについては、16人の子を生みながらドーナウ帝国を統治した女帝であることはご存知でしょうが、このひとが疫病に罹ったことがあるのを皆さん知らないでしょう──という具合である。おいおい存じねえよ、と受講者は興味を引かれるはずだ。しかも疫病といえば、ここ数年の世界的なトレンドであることは周知のとおり。その前後ではメディアが用いる語彙の傾向もおそらく変わってしまっている。
つまりコースとして「学生時代に第二外国語として学習したが勉強し直したい」というような需要を意識した内容になっていることが、まず前提にある。そこに、かつては重視されていなかった語彙や語義や、昔つかっていた辞書には収録されていない新しい語や言い回しが投入されるわけだ。今どきの内容は、代わり映えしない古典の引用などよりも多数のニーズに合致するにちがいないから、コースデザインの面から正義があり、なにより学習者の学習意欲を刺激するはずだ。
さらに第二課は、クーデンホーフ=カレルギー光子である。このひとのばあいも、異文化コミューニケイションや人種問題のような新しめの視角から文章が構成されていた。そこでは、postmigratischとか、Alltagsrassismusとかいった、およそ昔の学習辞書には採録されていない「新語」がでてくる。社会が変化すれば、とうぜん語彙も変化する。移民社会になっているドイツにあって「最近はふつうの言い方になりました」などと補足説明しているあたり、実用面において綿密に配慮されたコースだと、唸ってしまう。
文法も同様である。jemandにつづく関係代名詞にしても、むかしはすべからくderで受けるべし、つまり男性形を代表として用いるべしというルールであったものが、いまではdieと女性形をつかってもよくなっています、という説明があった。うすうす気がついてはいたという人も多いだろうけれども、昔日の学習者は文法を学習し直したほうがいいかもしれない。ポリコレが語彙をつくり、文法を変えたのだ。好むと好まざるとに拘わらず、アップデートはしておかないと。いずれにせよ、言語の学習とはシジフォスの岩運びにも似た、終わりなき作業なのである。
……しかし、ここで受講者の興味は「光子」に移ってしまうかもしれない。じつは面白すぎる教材も、学習者にとってはよくないのだ。それは恰好の三日坊主の言い訳となるからだ。──つづく。