ウラシマ・エフェクト

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バックスライディングのゆくえ──チェコ共和国の「選挙2021」

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photo by Denis Poltoradnev

 選挙の秋である。チェコ共和国では、10月8日の午後と翌日の午前に投票がおこなわれた。

 開票の結果、中道右派連合・SPOLUが得票率27.79%を獲得し、第一党におどりでた。第二党が政権与党のポピュリスト政党・ANO(ANO_2011)で、得票27.12%と僅差であった。代表で現首相のアンドレイ・バビシュは敗北を認めざるを得なかった。

 海賊党と首長党の政党連合(Piráti a STAN)は、15.62%で第三党。極右ポピュリストにして擬イスラモフォビア政党「自由と直接民主政──トミオ・オカムラ」(SPD)も健在で、9.56%の票を獲得した。

 さらに政権与党の一角であった社会民主党(ČSSD)と、政権を最近まで閣外で支えたボヘミアモラヴィア共産党(KSČM)は、得票5%の阻止条項ラインを越えられず(それぞれ4.65%と3.60%)、議席を失った。両党にとっては、すくなくともチェコ共和国始まって以来およそ30年で初の事態である。社会民主党は、オーストリア=ハンガリー時代の1878年に成立しており、そこから分かれた共産党は、1921年の「チェコスロヴァキア共産党(KSČ)」結党から起算すればちょうど100年で、いずれも長い歴史を誇っている。ちなみに全体の投票率は、65.43 %であった。

 これは意外な結果だった。直前の週のある世論調査によると、支持率順にANO(26.6%)、SPOLU(21.6%)、海賊(19.8%)と並んでいたからだ。中道右派の追い上げが急激だったことがわかる。海賊・首長連合は、2021年第1週の同調査では26.5%で一番人気となっていたが、徐々に勢いが衰え、8月下旬にはANO党に追い抜かれていた。それでも直前の調査に比して、4ポイント以上も低い得票率となったのだから、こちらの衰退もまた急激だったわけだ。ただ、こうした調査をおこなう調査会社はいくつかあって、各社で数字にばらつきがあることもいうまでもない。


 結果、SPOLUと海賊・首長連合は連立政権の樹立へ向けての協議を約し、ことによるとANO党は下野を迫られそうな情勢となっている。SPOLUの代表者で、市民民主党ペトル・フィアラ党首は「まっとうな価値観の政治による勝利」を宣言し、海賊党のイヴァン・バルトシュ代表は「民主主義の成功」を言祝いだ。

 中道右派SPOLUと海賊・首長連合の協働には、成否に関心が湧く。投票まえから確認されていた海賊党との協力についてさえ、市民民主党・フィアラ党首を罵倒するツイートも見られていたものだ。つまり、支持層の保守派にとってみれば、左派の海賊党と手を組むというのは、ともすれば裏切り行為にもあたるわけだ。

 けだし、両者は政策にとどまらず、一般的な価値観においても「水と油」のごとしであろう。なるほど、チェコ海賊党の議員らは、かつてのドイツの海賊党のようにTシャツにパーカーで議場入りするわけでは必ずしもない。バルトシュ代表に典型だが、ちゃんと背広は着て協調性を醸すいっぽうで、髪型ではドレッドヘアを保ってデジタル・若者世代のための改革派であることをアピールしている。それでも、お堅い保守層やカトリック政党の面々からすれば、連中など海賊というより「宇宙人」に等しい、べつの世界の住人のように感ぜられるのではないか。

 いっぽうANOを率いたアンドレイ・バビシュ首相は、政権与党の座をとれなかったら政界を引退すると言っていた気もするが、そうだとしても発言は撤回したようだった。代わりに、ANO党は使い捨てにあらず、というようなコメントがあった。

 得票結果を地図上でみると、ANOが勝った地方は、ボヘミアドイツ国境沿いとモラヴィア北部の各地域であった。一部をのぞけば、失業率の高い地域をしめす色分け図と一致している。ポピュリスト政党の恩顧主義的な政策がどの層に受けているか、類推できる結果である。パンデミックによる世界的な左派優勢の風潮のなかでも海賊党らの得票が伸びなかったことに連関があるかもしれない。

 とまれ、わずかに及ばなかったとはいえ、多くの支持を得て堂々の第二党に踏みとどまった。単独の政党としては第一党ということにはなるから、全面的に負けたわけではないという見方も成り立つ。首相本人からすれば、引退する理由はなくなったのである。

 

 ところで、「意外な」ANOへの支持急落について、複数のメディアが「パンドラ文書」報道に帰している。

 「パンドラ文書」は、2.94テラバイトの機密情報を含む、1190万件以上の財務記録で構成されており、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が調査している。ほとんどが1996年から2020年の間に作成された記録で、2万9千人以上のオフショア資産の所有者の情報がある。ざっと「パナマ文書」の2倍の数だという。これまで政治家300人以上を含む取引や資産が曝露されている。

 それがここにきて投票日も目前というとき、バビシュ首相が2009年に購入した邸第の件が報じられたのであった。物件は、南仏カンヌ近郊ムージャンの9.4ヘクタールの地所にたつ、シャトー・ビゴー。周辺にも不動産をつごう16件ほど保有していたというのだが、問題はその複雑な送金の経路で、さまざまな付随的な疑惑ももちあがっていた。同首相にあってこの手の疑惑は枚挙にいとまがなく、違法性はまったくないと記者のまえで開き直るのがつねである。しかし今回ばかりは、さすがにタイミングがわるかったようだ。


 オーストリアで最大の発行部数を誇る大衆紙『クローネ新聞(クローネン・ツァイトゥング)』電子版が記事の末尾でさらりと言及していることが、あんがい重要かもしれない。すなわち、オーストリアにおける在外チェコ人の投票結果である。

 在墺チェコ大使館によれば、海賊と首長連合が48.8%の得票を占めて、トップであったというのだ。進歩主義的な傾きがあらわれたともいえるが、なによりオーストリアに住むチェコ人にとっては、もはやヨーロッパそのものが祖国であり、親EU路線を明確にする同連合はもっとも理にかなう選択肢であったにちがいない。バビシュ首相とEU欧州連合)のあいだの「利益相反」決議をめぐる対立も「国辱」と映ったひとも多かったであろう。国外にあっては多かれ少なかれ、あたかもチェコの代表であるかのようにみなされて生活する以上、つよい風あたりを感じたはずだ。そのさい、チェコ国内のメディア環境では報じられないことも外では分析や議論に供されようし、さらに一般的にいっても、外国に暮らすことではじめて見えてくる祖国の姿というのもあるのだ。

 第二位はSPOLU(得票率37.2%)であったというから、上記の論を補強する。この政党連合もやはり西欧志向の保守政党と汎ヨーロッパ志向のキリスト教系政党で構成されるからだ。すなわち、市民民主党(ODS)、キリスト教民主同盟=チェコスロヴァキア人民党(KDU-ČSL)、TOP党(TOP_09)である。

 件の「パンドラ文書」の国際プロジェクトにしても、ひろく100を超える国や地域の報道機関が参加しているそうである。おおくリベラル系の大手新聞や通信社であったり、または一国の公共放送であったりする。日本からは朝日新聞共同通信が、オーストリアからは週刊誌のプロフィールと公共放送のORFが……といったぐあいである。ところがチェコ共和国からは、独立系の団体をのぞくと報道機関は一社も参加していないようなのだ。

 アンドレイ・バビシュ首相は「メディア王」でもある。通信社というニュースの川の上流をにぎることで、国内すべての報道機関に睨みをきかせてもいる。ČTやČRoといった公共放送をはじめ、既成メディアの各社とて「水」を止められてはかなわないから、大々的にバビシュ政権に敵対するような報道姿勢はとりようがない。そうなると、国内の報道を視聴・購読しているだけでは、自国のことをじゅうぶん知ることができない──これでは公衆による合理的な投票が担保されないわけで、理論上は健全な民主主義は成立しえない。国内メディアの影響下にない在外チェコ人が本国とは異なった傾向を示したのも、あるいは道理であった。

 自ら立ち上げた政党の名称にある「ANO」とは「我慢ならぬ市民の政治運動」くらいを意味する「Akce nespokojených občanů」の頭字語である──と読んだひとは、もしや感心することであろう。しかしながらバビシュ首相はもともと、ハンガリーポーランドにおけるポピュリズムの手法を模倣して同様の潮流を起こすことを企図したものの、けっきょく果たせなかったと言われている。つまり「運動」など存在しなかったのだ。「党」とせず「運動」と表記するのは内務省に登録された公称である手前やむを得ないが、メディアというものはそれだけで一種の幻想を創り出してしまう。

 チェコ共和国の政治状況は、その周辺国が呈する民主政の「バックスライディング(後退)」に該当すると、これまで政治学の研究者らにさんざいわれてきた。だが、今回の反バビシュ勢力の勝利が流れを変える好機であることは明らかだ。としても、アグロフェルト・コンツェルンや他の企業をつうじて国を支配するアンドレイ・バビシュを相手に、ほんとうの変革がおこせるのかどうか見ものであろう。

 

 こうなると、ミロシュ・ゼマン共和国大統領に注目があつまる。結果の如何によらず「盟友」たるバビシュを首相に就ける旨の方針は、これまでの選挙でも報じられてきた。規定の解釈によって、国家元首は選挙結果にとらわれず任意に首相を任命することが可能で、手続き上の期限も定められていないことから、大統領職の任期が終了するまでバビシュ首相を引き留めようとするのではないか──こう予想するのは、SPOLU連合の一角であるTOP党の名誉代表、シュヴァルツェンベルク侯である。むろん反発も大きなものになるだろう。「憲政の常道」という謂いはチェコ語にはないにせよ、それでも最大多数の民意を反映させることは、議会制民主主義における不文律にはかわりないからだ。大統領側は「単独での第一党はANO」という言辞を弄するのであろうが。

 だが、その矢先である。当のゼマン大統領が入院したというニュースがながれた。退院したばかりだと思っていたのであるが。糖尿を患っており、肝臓機能の障害も、という報道はあるにせよ、オフチャーチェク報道官からは容体にかかわる発表はいっさいない。これも毎度のことではある。変革の行方も、ますます見通せない情勢になっている。

 

*参考:

www.jiji.com

digital.asahi.com

nordot.app

www.jiji.com

orf.at

www.krone.at

www.bbc.com