ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

チェコ共和国と比例代表選挙

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 イタリアではひとあし早く「スーパーマリオ」政権が成立したけれど、今年はおおくの国が選挙を控えており、いっせいに国政の顔ぶれが様変わりすることもありうる。

 ひと月ほどまえ、チェコ共和国憲法裁判所が、平等な投票権と立候補の機会に反するとして、選挙法の一部を無効とした。これが今年の選挙にもおおきく影響する可能性がある。地域による「一票の格差」を是正する措置は日本でもよくあるが、注目されているのは阻止条項をめぐる細則の廃止である。

 同共和国の下院にあたる代議院の選挙では比例代表制が採用されており、小党の乱立をふせぐ阻止条項が設けられている。つまり各党とも議席を得るために、全国得票率で5%以上の票が必要となっている。ところが、選挙に際してふたつの党が政党連合を組むばあい、これが10%以上となり、3党ならば15%、それ以上は20%という「割り増し」の足切りラインが適用される追加条項が、2000年から発効していた。さまざまな会派に属する元老院議員21人から提出された申し立てを受け、2017年の末からこうした不平等の問題が討議されてきた。たとえば海賊党の主張によると、この年の選挙で5%以上の票をかろうじて獲得した政党・STAN運動は、ひとつの議席を得るのに、政権政党となったANO党のじつに2倍の票を要したとされる。

 とうぜん、ANO党を率いるバビシュ首相はじめ、政権与党は裁判所の決定に反発した。いっぽう歓迎のツイートなどしたのは、ヴィストルチル元老院議長ら、市民民主党(ODS)やTOP_09党、キリスト教民主同盟=チェコスロヴァキア人民党(KDU-ČSL)の面々であった。3党はすでに、来たる選挙における協力を約しているのである。この中道右派連合の形成に尽力してきたTOP党のカロウセク元代表は、正月に政界を引退してしまったが、そのときすでに新たな政局がはじまっていたのかもしれない。今後は代議院選挙には立候補しないとはいえ、状況しだいで大統領選へ出馬することには含みをのこしている。

 ところで、デュヴェルジェの定式を引くまでもなく、比例代表制による選挙では多党制の政治になることが宿命づけられている。古典的なジョセフ・ロスチャイルドの概説によれば、1918年の新生チェコスロヴァキア多民族国家であったことにくわえて、他のハプスブルク継承国家に比して多様な産業を擁していたため、はたして政党が林立した状態となった。こうなると政権の安定が危ぶまれるが、リアリストのマサリク大統領のもとで「ヴェルカー・ピェトカ」あるいは単に「ピェトカ」と呼ばれる、非公式の会議が催されることが、やがて慣例となった。「五大政党代表者協議会」と意訳するとわかりやすい。これは憲法にも規定がなく、ややもすれば議会制民主主義を形骸化させかねない諸刃の剣ではあった。それでも、この時期には内閣不信任決議が通るようなことはなかったのだから、所期の目的は達せられた。

 そこまでしても、建国このかた、おおよそ公正な選挙というものは比例代表制と決まっていた。というのも、かつてのオーストリア君主政における多数代表制では、民族的多様性を議会に十全に反映することができず、また、いわゆるゲリマンダー、つまり我が田へ水を引くような区割りにも不公平感が昂じていたためでもあった。それだから戦間期の「第一共和国」をつうじて、代議院(下院)だけでなく元老院(上院)も、そして地方議会選挙にいたるまで、徹底して比例代表制が採られた。特徴としては、厳格な拘束名簿がもちいられたことで、今日の研究者のなかには「もっとも比例代表的な」システムであったと評価する者もある。だが、たとえば1920年の選挙では、マジャル人=ドイツ人社会民主党が1.8%の得票で4議席を得る一方、悪名高い「拘束名簿制に抗する同盟」にいたっては、じつに0.9%で3議席を得たのだという。阻止条項について考えさせられる話である。

 戦後は、チェコスロヴァキア共産党比例代表選挙を奪い去った。共産党のやる選挙とは人民民主主義出来レースで、比例代表の代わりに1950年代に導入されたのが、小選挙区制であった。……あれだ。極東のどこかの国で二大政党制をめざして導入されたものの、散々な目にあったやつ。候補者と選挙区の有権者のあいだの意思疎通が緊密になる点が、とくに重要であるらしかった。

 それだから、ビロード革命を経て比例代表制が復活したのは、しごく当然のことと思われた。上述のような歴史的な経緯もあるが、じっさい多数代表制のもとで、共産党や人民戦線の「顔なじみ」に票があつまったのでは、社会主義時代と変わらないことになってしまう。あるいは、当時のハヴェル人気からすると、市民フォーラムの独り勝ちになる可能性もあったものか。こうなると、せっかくの民主主義の芽が育つことなく消滅してしまいかねない。ひとつの政党しかまともな選択肢がないという極東の不幸な島国をみれば、これは避けるべきとわかるだろう。投票ができても選択はできないというのでは、もはや民主主義ではない。

 すぐのち成立したチェコ共和国では、憲法に「比例代表の原則」に沿う選挙がおこなわれることが明記されている。文面にsystémという語こそもちいられていないが、事実上、比例代表選挙が国是となったのである。こうして、同国の代議院で比例代表制が採用されて、現在に至っている。

 むろん、比例代表制にも批判がないわけではない。典型的には、近年ドイツ連邦共和国に起こっている懐疑論である。ドイツの場合はヴァイマル期に完全な比例代表制が採られた結果、ナツィの擡頭を招いた。それだけに件の阻止条項がもうけられ、多数代表制で補完する仕組みを採っている。小選挙区比例代表併用制と呼ばれる。ところが、それにも拘わらず、かのAfDの躍進をゆるすことになってしまったのだ。周知のように、これは極右政党であるが、実質はネオナツィではないかという疑義の声が絶えない。ついでに、共産党は戦後の西ドイツで早々に非合法化されたが、こんにち気がつけば左翼党が現れてもいる。同党は、スターリン主義を標榜する派閥すら内包し、公安当局の監視下にあるという。

 チェコ共和国では、ドイツほどの深刻な事態にはなっていないようにみえる。しかしながら、あるODS系のシンクタンクは、共和国は少数与党による不安定な政治に悩まされてきたなどとして、多数代表制が理想の制度である旨、主張している。改憲派ということか。もっともODSの本音としては、社会民主党(ČSSD)とともにスペクトルの左右に君臨した、黄金期をとりもどしたいにちがいない。たしかに当時は、左端にはボヘミアモラヴィア共産党(KSČM)がおり、中ほどにKDU-ČSLも鎮座して、有権者にはわかりやすい形で選択肢が並んでいた時代であったとはいえる。だがそれも、比例代表選挙のもとで成立したものであった。

 この二大政党的な政党システムもけっきょくは、足のひっぱり合いによって当の左右の政権が交代したのち、最終的に消滅したようにみえた。その後の中道連立政権も、チェコ版スンシルゲートのごとき疑獄がもちあがって瓦解した。つづく欧州ポピュリスト政党ブームのなか、得体の知れないマーケティング政党が政権を握っている現状である。比例性の不平等という憲法違反の帰結だといわれればそうかもしれないが、このあたり、選挙法がすこし改定されたところで、政治文化までもが大幅に変わるとも思えない。どうだろうか。

 ひるがえって日本である。筋論でいえば、ほんらい日本の衆議院小選挙区比例代表並立制など廃して、全面的な比例代表制を採用すべきなのだ。よく日本の選挙には「地盤・看板・鞄が必要」などといわれるが、今日それらをもつ者は「貴族」と呼んでもよかろう。そして貴族には、貴族院の後身である参議院(上院)に行ってもらわないといけない。衆議院(下院)の議員には、国民各層がおのおのに比例してそれぞれの代表を選べてこそ、平民の民主主義が成立し得る。経団連も、日本医師会も、東北新社も、それぞれロビイスト翼賛政党や省庁に送り込んで、密室で政策が決まってしまってのち、議場ではポンコツ野党がくだらない質問をして、政府閣僚は官僚の書いた紙を読むだけの答弁に終始する──こんなのはまともな民主主義とはいわない。感染症と闘う医師たちとはなんの関係もない医師会を称する利益団体が、病床を増やす努力もせずに、直に政権中枢に働きかけ、ひたすら下々に外出自粛や休業を強いるとき、飲食店や中小企業の利益を代表するための政党は皆無なのである。──例えばの話だが。

 また、多数代表制のもとでは、政党助成金など選挙区にばらまくのがもっとも効率がいい使い道……ということになってしまっていても不思議はない。昨年からさかんに報じられてきた広島における公職選挙法違反疑惑の公判をみていれば、明らかである。そもそも政党交付金というのは、比例代表制とセットで運用されるはずの制度だ。なおかつ、それぞれの政党が一定の割り合いで「ブレーン」に支出することを義務づける必要がある。すなわちシンクタンクのことであるが、これ抜きには、ポンコツ野党はいつまでもポンコツのまま、要領を得ない質問と週刊誌ネタの追求しかできない。与党だって、自前のブレーンをもたぬ政治家はまともに反証できず、官僚の言いなりになっている。

  

*上掲画像はWikimedia