ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

フサークの子ら

f:id:urashima-e:20210922043741j:plain

photo by Marko Grothe

 その頃、おなじみの理容師は、タトゥーをいっぱい入れた兄ちゃんで、まいど上手にやってくれるから満足していた。いや、かなり腕がよい。髪の将来的な絶滅が危惧される情況にあっては、奇跡的といっていい仕上がりだった。──チェコ共和国にある床屋のはなしである。

 ある夏の日、カットしてもらいにゆくと、いつものように駄弁ってくれて、気がつくと「中国の脅威」みたいな話題になっている。アフリカやなんかで公共工事を請け負って吹っかけた挙句、支払いがとどこおるや港湾や鉱山の権利をもってゆく……マジやべぇ国なんだぜ。

 この兄ちゃんもニュースくらい見てるんだな、とおもいながら、ふうん、そうなんだね、すげえね、やべえねと、しばし素っとぼけて応じていたが、でもさ、この国だってゼマン大統領ときたら──と親中派の共和国大統領を、会話の俎上で生贄にしてみたところが、堰を切ったかのように、先方のくちから大統領や政権への不平が出るわでるわ……。

 そこで、まあまあ、ちかく選挙もあるからさ、となだめようとしたのだ。海賊党なんか強いらしいし、連中はむしろ親台湾って話じゃないか、政治も変わるよ、大丈夫さ……云々。でもなあ、海賊党もな……。おや、海賊はだめかい、なにが不満なんだい。富裕層に増税するってんだよ、たとえば住宅を買ったりするとな……。まあ、あれは左派の政党だからな……。

 

 そんな「床屋談義」を思い出した、選挙の秋である。

 本朝では自民党総裁選挙も告示され、つづいて国政選挙だ。すでに菅ガースー総理は任期満了で勇退が決まっている。ドイツ連邦議会の選挙も9月最後の日曜日。はや1週間を切っている。こちらもメルケル宰相の退陣は既定事項だ。今春の時点で支持率が急上昇して話題になった緑の党はのち失速し、いまや一番人気は社会民主党SPD)に取って代わられている。

 それがすんだら、もう10月。件のチェコ共和国でも、いよいよ選挙がやってくる。

 そんな折り、ウェブに面白い記事をみつけた。社会学者らによる、チェコ共和国における政党支持の社会学である。タトゥーの理容師、ホンザ(仮)のことを思い出しながら読んだ。

 前提として、識者はこう論じてきた──250万人の年金生活者が政権与党・ANOを勝利させるのか、はたまた、35歳以下の若者層が、海賊党を中心とする政党連合を第1党におしあげるのか。

 これまでは、その中間に300万人もいる「中年」層を重視する者はすくなかった。というのも、一般的にこの年齢層はもっとも多様な関心事をいだいており、一様の利害というものが存在しない。したがって、政治的志向も多様で、ひとつの政党に支持が集中することもない。

 しかし当該記事では、あえてこの年齢層を「世代」ととらえて、目をむける。

 すなわち「フサークの子ども」世代とは、具体的には1965年から1985年に生まれた有権者層で、厳密なものではないにせよ、往年の指導者たるグスターウ・フサークの名をとって呼ばれる。

 「プラハの春」の解放感は、1968年の「夏」を経て、社会主義「正常化」時代の陰鬱な冬にかわっていった。その頃うまれ育った子供たちが、いま中年になっている。そして、300万人という大所帯で、「もっとも強い」有権者の集団として浮かび上がってきたというのだ。

 社会学者らは、「フサークの子」世代のうちにある利害意識の差異は、社会主義の正常化の「遺産」であると説く。1989年の民主化より前の生き方が、資本主義へ移行した後の人生を形成したからだ、と。

 社会学者のヤン・ヘルツマンの言が援用され、記事はつづく。ビロード革命後に成功した有権者グループは、もとより高位の階層に属しており、そのため最高の「コネ」を有し、社会ではどのように物事が機能するか、知悉していた。つまり、共産体制における特権階級の子弟である。

 さらに第二のグループとして、この正常化時代のエリートの子息たちについで有利な機会にめぐまれていたのが、じつは反体制派の家庭の子供たちであった。この人びとは「あらたな体制の世では、自分たちにもより良き暮らしが待っているはずだ」という信念をもって成長した結果、資本主義社会への変化にそなえることができた、というのだ。

 多少なりとも成功したグループは、市民民主党(ODS)やそれを代替する政党から、市長と無所属議員の会(STAN)までの右派の支持層を慣例的に構成してきた。ただし、前出の「正常化エリート」層の環境でそだった子供の一部にとって、同様の環境でそだってきたアンドレイ・バビシュ首相とANO党の政策提案がよいものに思えることは当然あり得る。

 1989年の革命以降、変革を期待していた人びとのうちには、資本主義の条件のなかで挫折し、ふかい失望を味わったひともいた。この疎外されたグループから、トミオ・オカムラの極右排外ポピュリスト政党にとっての、熱烈かつ強固な支持基盤が生じた。いっぽう、あまり成功はせずとも、あたらしいチャンスの到来をまだ信じる層は、海賊党に望みをたくすこともあり得る。

 さらにヘルツマンは、民主化後もある層が生きつづけ、その態度が子へ受け継がれたと指摘する。すなわち「11月の革命以前までも、なにひとつ努力せず、刹那的にくらし、国家がなにかしてくれるのを待つだけだった人びとだ」と喝破した。

 これが、同じく社会学者のダニエル・プロコプが名づけるところの「絶滅危惧階層」あるいは「欠乏階層」であり、資本主義への転換とともに可視化されてみると、人口のかなりの部分を占めていることがわかった。ANO党に支持者をかなり奪われているにも拘わらず、左派の社会民主党(ČSSD)やボヘミアモラヴィア共産党(KSČM)が生き延びているのは、ひとえにこのヴォリューム層の存在によっている。35歳から55歳までの300万人と、その影響下にある65歳までの100万人の票田がものを言っている、という。

 端的にまとめると、近年、若年層は中道諸政党、高齢者はANO党を推しているなかで、今回の選挙でキャスティング・ヴォートを握っているのが、中年層、すなわち「フサークの子」世代というわけだ。しかし選挙の結果にかんしては、社会学者らは予断を避けた。

 とまれ「フサークの子」論を持ち出したはよいが、これだけでは「世代論」とはとてもいえない。それで、むしろ「年代論」というか、安直に「中年の危機」みたいな話でお茶を濁しているわけだ。つまり、うまくいっている奴は保守政党を支持、しくじった連中はルサンチマンを爆発させて、極右のトミオ・オカムラ一択、みたいな。面白かったけれど。

 

 ──さて、休暇旅行の慣らいから、夏がくると「ことしはどこか行くの」と訊くのが、時候の挨拶となる。

 あの日、ホンザは「今年は行けねえんだ。家を建てたからな」とのたまった。この残念そうなせりふを口にするひとは皆、あまり残念そうに見えない。どこか得意げな顔をする。人生のステージを一段あがっちまったよ、というニュアンスで。

 若いわかいと思っていたけれど、ホンザもそんな歳だったのだ。そりゃそうだ。いずれにせよ、ひとは家を買ったら、もはや「若者」ではない。年齢がどうであれ。世代がどうであれ。そして、たいがい保守化する。しぜん、海賊党なんかには共感できなくなる。

 なるほど。この兄ちゃんがまさに「フサークの子」だったとは。