ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

アリヲリ食めり。ニンニク泥棒とニラハウスの夏。

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photo by Carissa Gan

 「ペペロンチーノ」と呼ぶのが一般的だと思っていたけれど、「アリオリ」という造語をつかっているレシピ本があったから、そこから拝借した。アリオリのほうがいい。語呂がいい。

 いずれにせよ略記しないと、長すぎる──アッリォ、オーリォ・エ・ペペロンチーノ(aglio, olio e peperoncino)。大蒜、オリーヴ油に、唐辛子さえあればできるパスタ料理で、さらにイタリアン・パセリでもあれば、なおよし。こつといえば、オイルをたっぷり用いることくらいか。かんたん。うまい。

 しかしどうやら、大蒜というと仲春の季語らしい。同意できるだろうか。商品としては、一年じゅう店頭にみかけるとはいえ、本格的な収穫は初夏以降らしいから、春のものがあまりおいしく感じないのも、気のせいではないのだろう。それでも辞書は「春の季語」だと主張しているのだ。和名類聚抄のむかしにはオオビルと訓まれたという一方、オオニラと読むとラッキョウの意味になるらしいが、それなら「大韮」と書いたほうが誤解がない。『精選版日本国語大辞典』には「ひる。おおびる。ににく。にもじ。ろくとう。ガーリック」とつづいている。呼び名はともかく、みぢかな作物である。

 ところが、これに季節を感じるのは日本人だけではない。チェコ共和国では「夏の季語」といえそうだ。というのも、同国の警察のサイトに、ある事件に注意を喚起する面白い記事をみつけたのだ。但し、2016年7月15日付け。

ニンニクの季節
(於フセチーンスコ)年がめぐり、ふたたび大蒜が盗まれる

 カロリンカ市の警察官は、ニンニクの苗床から直にニンニクが盗まれた事件、2件を、私有財産に対する犯罪として捜査している。

 ニンニクが熟す時期になったことで、この作物の盗難がまた起こった。数日後には、カルロヴィツェでもそのような行為が2件あった。最初の事件は、月曜日の夕方から火曜日の昼にかけて、ヴェルケー・カルロヴィツェ村で発生した。2件目は、昨日の朝から今日の朝まで、フスレンキー村でニンニクがなくなっていた。いずれのケースでも、犯人は警備されていない苗床から直接、数百本のニンニクを盗んだ。生産者の被害は、合計で8千コルナを超えた。カロリンカ市の警察官は、これらの窃盗を財産に対する侵害として扱い、加害者が行政機関に摘発されたばあい1万5千コルナ以下の罰金が科される。

 昨年の事例でもあきらなように、今やニンニクの季節である。ちょうど1年前、ポリツェの村で、何者かによって、すでに洗浄された乾燥ニンニクが盗まれた。200本が消えた。

──(抄訳 :Česneková sezóna - Policie České republiky

 

  そのいっぽうで大陸欧州には、はやくも2月や3月には「熊の大蒜」の季節がめぐってくる。ドイツ語にベーアラオホ、同様にチェコ語でメドヴィェヂー・チェスネクと聞こえるが、ほかにもいろいろな呼び方があるらしい。

  この葉もの野菜を売り場で見かけると、おもわず警戒してしまうのは、毒草を連想させるからだ。日本ではまいとし、スイセンやスズランといった有毒の植物の葉をギョウジャニンニクと誤認した事故が発生するけれども、くだんの「クマノニンニク」も、その類を思わせる色かたちをしている。在欧の邦人にはニラの代替として重宝されるものの、市場に一年じゅう出まわっているわけでもない。いまどき空輸している事業者も存在するにちがいないにせよ、欧州ではニラの流通がほぼないので、いきおい餃子やニラレバ炒めといったものが恋しくなる向きも多い。

 そこでニラの話である。

 かつては教養番組でもお馴染みだった建築史のF先生がある日、東京の大使館の通訳を伴ってチェコ共和国のをおとずれたことがあった。ユネスコ世界遺産《トゥーゲントハート邸》のある町などには、過去に調査に来たこともあったという。

 愛読者であったので、都合をつけて講演会に伺った。演題はといえば、みずから設計した家屋を中心に、自然と共生する建築に関係することで、そのうち《赤瀬川原平邸》の話がでてきた。屋根にニラを生やした、別名《ニラハウス》である。

 チェコ語で「ニラ」ってなんて言うのかしら、とわくわくして待っていたところが、手練れの通訳者・H氏にも見当がつかず、「ニラ……。えーと、niraっていうのが日本にはあるんですよ、ni, ra」というようなことをチェコ語で言って、お茶を濁していた。おそらくほとんどが日本の土を踏んだことがない聴衆に、はたして通じたかどうか。

 それ以前にも、プラハの芸術アカデミー演劇学部(DAMU)で、同氏が日本の演劇学者の通訳を務める講義に居合わせたことがあり、見事な仕事をしていたのを覚えていた。それだからこそ、ニラの話が記憶にのこった。なるほど、こういう機転もふくめて通訳のテクニックだからね、たいしたもんだ、と感心したのだ。たしか、いつぞやの初夏のことだった。ちなみに、こちらも大蒜と同様、春の季語ということになっている。

ニラ (無農薬) 5把

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胡瓜の季節

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photo by Pavel Timanov

 ひとたび夏の天候が大暴れすると、甚大な被害をもたらすことがある。

 チェコ共和国では6月24日、南モラヴィア県の南部に竜巻が発生した。同日の夜から全土で荒天に見舞われており、まいとし降雹の被害がでる季節ではあるものの、竜巻は想定されていなかった。5人の死者をふくむ数百人規模が被災し、600戸の家屋に損害が出たと伝わっている。

 現場はオーストリアとの国境沿いの地域で、ブジェツラフの先、フルシュキ村の付近で発生し、ホドニーンあたりまで東進したと思われている。そこまでの間に位置する、フルシュキ、ティーネツ、モラフスカー・ノヴァー・ヴェス、ミクルツィツェ、ルジツェ、といった村々の被害がとりわけ甚大であったようだ。そのうちいくつかは知る人ぞ知る、大モラヴィア国の埋蔵文化財で聞こえた地名でもある。

 翌日ドローンで上空から撮影された映像がSNSなどで公開された。屋根がはがされ、窓や壁が破壊された家々がみられた。ひどいものであった。構造材におおきく損傷をおったばあいには、ぜんたいを取り壊す必要がある建物もあった。

 こうしたときの対応はどこの国にも共通している。現場で作業する有志を募り、金融機関は義捐金への協力をよびかけた。政府は家屋再建に要する資金の拠出を表明したけれど、保険にはいっていたひとがいい面の皮だと、批判するメディアもあった。いずれにせよ、復旧にもそれなりの時間がかかりそうだ。

 ──これを「きゅうりのとき」というのかもしれない、とよく目にする語をおもいだした。ドイツ語やチェコ語で「(酢漬けの)胡瓜の季節」といえば、臥薪嘗胆、雌伏のとき、正念場、じっと我慢の子……そんな語義がおもいうかんだわけだ。

 ところが、あらためて辞書をひいてみると、どうもそうではなかった。やや齟齬のある意味合いでおぼえていたものらしい。

 Sauregurkenzeit(Saure-Gurken-Zeitとも綴られる)という語であるが、三省堂の『クラウン独和辞典』には⦅戯⦆として「 (政治·商売などの)夏枯れ時.」とあり、また三修社の『新現代独和辞典』には、⦅俗⦆として「閑散期, 夏枯れ時(政治・商売の).」とある。

 6月になると夏休みムードがただよい、政治や商売の動きがにぶる。すると、新聞は書くことがなくなって、そのように称したのだといわれる。キュウリを収穫するのは、たしかに夏季にはちがいない。けれども俗説によると、この語が指しているのは、むしろ冬であるという。野菜の獲れぬ冬季に、酢漬けのきゅうりを喰ってしのぐ様子を表現したものだと。つまり、季節については議論の余地がありそうだが、とまれ、ながらくこの解釈で記憶していたのだ。

 じつのところ語源としては、イディッシュの「悔いと改めの時期」が訛って、そう聞こえたのだというけれども、そうであれば、収穫期であろうが消費シーンであろうが、そもそもキュウリとは関係がないことになる。それだからか、チェコ語にはokurková sezóna、すなわち単に「胡瓜のシーズン」としてとりこまれた。こうなるともはや、酸いか甘いか、加工されているかどうかすら定かではない。字面とは裏腹に、季節はますます曖昧である。

 ググってみると、Wikipediaにも複数の言語で立項があった。英国ではキュウリの出番はなく、silly season(ばかげたシーズン?)がこれに相当するとある。19世紀にさかのぼる、もっぱらジャーナリズムでつかわれる用語らしい。北米では、dog days of summer(夏の犬の日)と、唐突にも犬が現れる。フランス語では「死の季節」ないし「栗の季節」、スウェーデン語ではずばり「ニュース日照り」というらしい。ドイツ文化圏のようにキュウリがでてくるのは、ほかにノルウェイ語くらいなもので、スペイン語の「夏の蛇」というのは、この時期に新聞を売るのに、書くに事欠いて、あの如何わしいネス湖の「蛇」の目撃談などが紙面をかざるようになるさまを表現しているという。

 とすれば、さいきん英国のタブロイド紙が、あるフランス人サッカー選手の日本滞在中に撮影された私的な映像を「差別だ」として採り上げたのも、季節柄いたしかたないのかもしれない。SNSに大論争がふきあれたようだが、同紙にとっては思う壺だったにちがいない。

 この時期、天候不順による災害の報道ばかりで気が滅入るのもたしかである。しかしだからといって、センセーションをつくりだすために、魔女狩りのごとくマスメディアが跳梁するのもまた、釈然としない。いずれにせよ、なかんづくこの時期のゴシップからは距離を置くことだ。

 ちなみに、この「ガーキン」などと呼ばれる、酢漬けにする小型のきゅうりは、件のモラヴィアでも栽培されている。とりわけズノイモ(ツナイム)市といえば、名産地としてつとに名が高い。訪れたさいは、その瓶詰めが土産になるかもしれない。もっとも、おなじズノイモ特産でも、ワインのほうが喜ばれるのは必至であるが……。

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Wikimediaより



 

 

夏の車内放置事故

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photo by Raban Haajik

 暑い。暑すぎる。気がつけばもう、夏至をすぎている。夏も折り返していたのだ。

 この時節によく報じられるいたたましい事故に、「車内放置死」というのがある。単に遺棄致死とか、置き去り、置き忘れ事故……などとも呼ばれる。

 せんじつ、あるセレブの女性が幼児を車内に数十分のあいだ放置していたとして、日本のメディアが批判的にとりあげ、SNSもその話題でだいぶ騒がしくなっていた。有名人の過失をあげつらうのを生業としているひともいるから、気の毒とはいえ世の常ではある。けれども、誰でもやりかねない失敗だからこそ、むしろ周辺にいて気がついた者の行動が、じつは事態の鍵をにぎっている。 

  というのも、ちょうどその頃、すなわち6月18日づけで、チェコ共和国の公共放送でも同種の事故について、こうした論調で報道されていたのである。北国とはいえ、このところの水無月といえば30度を超えることもめずらしくないから、いわば風物詩というくらいには近年よく起こる事故らしく、日本での議論にも参考になるかもしれない。

 レポートによると、条件によっては車中の気温は意外やすぐにも70度に達してしまうこともあるそうで、そうなると成人でも危険であるが、なかんづく体温調節の機能の未熟な乳幼児には致命的である。けれども、誰しもが過失によっておこしがちであるからこそ、事態に気がついた周囲のひとが行動を起こすことが重要となってくる。

 では、こうした状況にでくわしたときには、どうしたらよいのか。

 一般の市民が車内にのこされた乳幼児や、はたまた犬や猫を発見したばあい、まず電話で警察に「通報」すること。そのように、オストラヴァ市警の広報は奨めている。

 さらに通報後のつぎのステップとして、すみやかに「車の所有者をみつける」こと、と記事はつづく。おおきな商業施設であれば、ナンバープレートなどの情報を放送で告知してもらうこともできるであろうし、飲食店であれば、従業員が来店客に口頭でたずねることも期待できる。一刻も早く、車両のオーナーないし運転手を発見することが緊要である、とされている。

 とくに緊急とおもわれた場合には、自らの手で「窓を割って救出せよ」という意見も紹介されている。車内の子どもや動物が息をしていないとか、呼びかけにも反応しないとかいうばあい、スマートフォンで記録写真を撮ってのち、破片による負傷のリスクを最小にするため、いちばん遠い位置にある窓ガラスを割って、じかに救助する──という手順が示されている。

 これはしかし、あくまでも最終手段であって、乗用車という他者の財産を棄損する行為には、つうじょう慎重にならざるを得ないものだ。じっさい、車内の生命が危機に瀕しているかどうか、素人には判断がむずかしい。それにも拘わらず、他人の車両に損害をあたえたことが法的に適当であったか否かの判断を、行政や裁判所にゆだねることになる。そして、損害にたいする責任を負うことになることもありうるのだ。

 ブルノ市警のスポークスマンは、通報した相手、つまり緊急センターの「指示にしたがう」のが最善だとしている。日本でいえば、警察の通信司令室であろうか。無難であろう。

 そのブルノ市では、ことしも5月には早くも最初の救出事例があったばかりだそうだ。市内コマーロフ地区で乗用車のなかにいたハスキー犬が、2日目に救助された。これに従事した業者によると、じっさいに消耗していると判断がついたため、乗用車を開錠して、ハスキーを保護施設に送ったという。

 チェコ共和国のばあい、たとえば車内に動物を放置した側は、動物虐待の罪で最大2年の禁錮刑が科される可能性もある。ちょっとだけ車を離れると本人はおもっていても、時間の感覚に齟齬が生じることもあって、じっさいには数十分間もどれないこともある、とは警察も想定している。それでも禁錮ということもありうるのだとすれば、量刑としてかなり重い気はする。

 ただ、こうしたケースで危惧されるのは、熱中症だけではない。

 駐車場でのトラブルを好む人はいないから、不審な車両は意図的に避けられる傾向がある。そうすると、子どもが救護されないまま、そうとう長期にわたって置き去りになってしまうこともままある。

 さらに同国では、人や動物が乗っている状態で、当該の乗用車が盗難に遭うケースもよくあるようだ。放置事故ではなく、もはや車両の盗難および誘拐事件となる。いずれにせよ、こうした事件・事故にかぎった統計はとられておらず、具体的な数字はないとのことだが、年間でかなりの件数にのぼるとみられている。

 

*参照:

ct24.ceskatelevize.cz

www.nikkei.com

苗字の「男女差解消」がチェコ語を滅ぼす?

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photo by Denis Vdovin

身分証明書の仕様変更

 チェコ共和国ではこのほど、身分証明カードにかんして、仕様変更のための法律改正案が代議院(下院)を通過した。欧州議会の決定に適合させる形で、治安対策にも資するべく、指紋などの生体情報をチップに記憶させておくようにすることなどが眼目ではあったが、同時に、登録する氏名をめぐっても大きな変更が盛り込まれた。──これがチェコ語を破壊するのではないか、と論争を起こしている。

 このIDカードは「オプチャンスキー・プルーカス」といって、俗に「オプチャンカ」とも呼ばれる。直訳すると「市民証」となるけれど、要するに身分証明書であって、役所の手続きや何かの会員登録をするようなとき、日常ひろく本人確認の手段としてつかわれている。日本でも今ではマイナンバーカードがあるが、ばあいによっては運転免許証か健康保険証などを要求される場面である。

 民主化後しばらく、1993年までは30ページの冊子の体裁で、いかにも共産党が自国民を監視するために用いた「国内用パスポート」といった風情があった。現行の2012年以降の型式では、外観上ある程度の欧州各国との共通化が図られ、銀行のものと変わらない大きさのカード型になった。これ一枚あればEU内の移動にパスポートが要らないから、なかなかに使い勝手がよさげではある。こうした国ごとに発給されているIDを、欧州共通の規格で統一することが2019年に決まっており、今夏から運用が開始される予定となっている。


チェコ語における女性の苗字

 チェコ語における典型的な女性の苗字は、語尾に「-オヴァー(-ová)」がついている。これは語学講座でも、初級のクラスですぐに習う文法事項でもあった。これによって、性・数・格による語形変化、曲用が可能になるというのが、文法上の説明である。

 たとえば、「クヴィタKvita」氏の家族のうちの女性の成員、つまり端的に妻や娘が「クヴィトヴァーKvitová」と呼ばれることになる。──ペトラ・クヴィトヴァーをここでは踏まえたわけで、よく知られたテニスの選手だから例に挙げたつもりだったが、日本語のメディアでは「クビトバ」と表記されることが多いから、よく伝わらなかったかもしれない。とまれ、これをみるといつも「鮭トバ」を思い出してしまうのは、酒呑みだからにすぎない。この手の表記では、さん付けしたときに「オバさん」とか、「バーさん」になる弊害のほうが失笑を誘う。

 さらにメディアでは、外国の女性の名前が報じられるときにさえ、これが適用される。大坂なおみであれば、ナオミ・オーサカオヴァー。小池百合子であれば、ユリコ・コイケオヴァーなどと報道されているわけだ。こうすることで、外国語の人名をチェコ語文法の枠組みで運用することを容易ならしめる。

 しかしながら当の女性たちには、以前から不満の声がくすぶっていた。この「オヴァー」とは、がんらい「所有」を表しており、なにか女性だけが父親なり夫なりの「所有物」のように扱われているような気がするという、不当かつ不公平の感を一部に抱かせていたのである。

 そこで今般の改正案では、この「オヴァー」をつけない苗字も無条件に認められることとなった。つまり本人が女性であっても、男性形の苗字で申請が可能になる。むろんこれは証明書の性格上、日本でいう戸籍上の氏名にも匹敵する、公的なものである。

 これまで、男性形の苗字を例外的に認められていたのは、外国出身者のほかには、チェコ共和国市民でも永住権を有するなどして外国に住んでいるか、その予定がある場合、または配偶者が外国人である女性に限られてきた。

 たとえば、先日ふれた「緑の党」のマグダレナ・デイヴィス共同代表などは、配偶者が豪州の人で、その英語の苗字をそのまま名のっている。チェコ語風に「デイヴィソヴァー」というふうにはしていない。これからは、こうした条件にかかわりなく、どの女性でも男性形の姓を認められることになる。


チェコ語学からの反発

 この改正案をうけて、チェコ語学研究所のマルチン・プロシェク所長は「間違いなくコミューニケイションに支障をきたす」と断言する。これまでにも、例外的に男性形の苗字をもつ女性を「どうやって呼んだらいいのかわからない」という声があがっており、混乱の原因になってきたと指摘する。また、文法的に正しく話そうとして、そうした苗字に勝手にアドリブで「オヴァー」を付加して呼んでしまったら、無礼にあたるのかどうか、というみぢかで切実な疑問が紹介されている。じっさい、呼ばれた側がそう感じることはあるかもしれないという。

 さらにメディアが担ぎ出したのが、同研究所のカレル・オリヴァ元所長だ。もともとこの業界のひとたちは、これを権利の問題とは見ていない。純粋に文法上の決まりであり、「伝統」の問題であって、改正案は日常の言語運用にいらぬ混沌をもたらし、ひいてはチェコ語という国民語を崩壊にみちびく……というふうに語る。

 元所長は、当該の改正案がでてきた背景には、増大するアメリカニズムの影響があるとしている。つまり、英語には曲用という語形変化がないからだと。それでも「Biden's wife(バイデンの妻)」というときには「's」が必要になるでしょ、それと同じことですよ、とつづける。

 この御仁によれば、チェコ語はすくなくともあと200年は存続するはずだというのだが、それでも性・数・格にからんで、主語や接続詞などの用法が「アメリカ化」して、伝統的な文の構造が失われることを危惧しているという。

 

文法上の問題──例文による愚察

 実際には、なにがどう問題となるのか。例文を考えてみたい。

 先日、テニスの全仏オープンに、幾人もチェコ共和国出身の女子選手が出場しているという報道があった。そこで、カロリーナ・プリーシュコヴァーとバルボラ・クレイチーコヴァーが対戦したと仮定しよう。このとき、件のオヴァーをつかわない苗字であったばあい、それぞれプリーシュコヴァーはプリーシェク、クレイチーコヴァーはクレイチークとなるが、「プリーシェクがクレイチークを下した」と言おうとすると、「オヴァー廃止」後の文は一例として、つぎのようになると思う。

* Plíšek porazila Krejčík.

 じつはこの文では、どちらがどちらに勝ったのか判然としない。英語などと異なり、チェコ語では語順によって格が決まるわけではないためである。これが男子選手であったばあいには、それぞれの苗字は男性名詞として対格をつくることもできるが、現時点ではこうした男性名詞の形をした女性名詞を変化させるための規則がない。日本語でいえば「を格」が表現できないような事態に陥る。

 同じことを、オヴァーを用いた通常の文にしたばあい、すくなくともふた通りの文が想定されうる。

Plíšková porazila Krejčíkovou.

(プリーシュコヴァーがクレイチーコヴァーを下した。)
Plíškovou porazila Krejčíková.

(プリーシュコヴァーをクレイチーコヴァーが下した。)

 たしかに、こんなにも単純なことがらを言い表せなくなるのなら、チェコ語が国語としての役割を担いつづけられなくなるとの懸念は、一笑に附すことができまい。いずれ文法書に「適宜、-ováを補ってもかまわない」などという細則をもうける羽目になるのではないか。


女性は苗字を変えるか

 アンドレイ・バビシュ首相は現在、感染症対策の不手際や利益相反の嫌疑など、さまざまな咎で取り沙汰されているが、数年もたてば、女性の接尾辞を廃止した政府の首班として記憶されているだろうと、ある日刊紙の主席解説委員は揶揄する。改正案を主導したのは、ポピュリスト政党で政権与党のANOに籍を置くヘレナ・ヴァールコヴァー元法相であったが、いずれにしても、言語は政府の意向に左右されるものではないと同委員は注意を促してもいる。そのうえで、この変化を自由をもたらすものとして歓迎しようとする反面、どうなるか見ものではないかとも言っている。一部の女性の自立心からくる欲求が勝るのか、われらの母語がそれを凌ぐのか、と。

 つまり、今後チェコ語から「オヴァー」がつく苗字がいっせいに消えるのかというと、そういう見通しがあるわけでもないらしい。じっさい、言語や習慣的にちかしいスロヴァキアでは、とっくに男性形の苗字が「自由化」されているが、「なんとかオヴァー」さんが絶滅したわけではない。現職の大統領にしてが、ズザナ・チャプトヴァーという名である(カタカナでは「トヴァー」なるも、原綴はČaputováと、-ováが含まれているから念のため)。

 あるオンラインの記事には、アンケートがあった。女性も無条件で男性と同じ苗字を名のる権利をもつべきかという問いが挙がっている。これにたいし、1万人あまりが回答した時点で、「Yes」が約54%、「No」が同46%という結果になっていた。ただしこれは「権利」についての質問であって「じっさいに名のるべきか」という設問ではないから、注意を要する。ほか、女性の側にもオヴァーがつく苗字は「女性らしくてかわいい」と肯定する意見もあると、新聞記事には紹介されていたけれど、いずれにせよ、すぐに消滅するわけではないと思われる。

 関連する記事のコメント欄にもまた、興味ぶかい見解が散見される。ただ、書き込みをするくらいの不平の徒であるから、反対意見のほうが目立つ。──外国での公的な手続きのさいに、トラブルが減りそうで好ましい。──女はそれでよいが、男はオヴァーを使用できないのだから、それはそれで差別ではないか。──言語体系に完全に反するもので、やはり女の理性はあてにならない、世論調査でもわかるように、たいていの女はセレブのような名前になりたいだけ、このばからしさはどこまでつづくのか……と嘆くのはチェコ語を専攻したという女性である。

 ついでに附言すれば、すべてのチェコ語による苗字が「オヴァーの文法規則」に縛られているわけでもない。たとえば作曲家のボフスラフ・マルチヌー(Martinů)に見られる「-ů」で終わる苗字なども、もともと男女同形である。


氏名は誰のものか

 姓ではなくて名のほうでは、近年チェコ語でも「キラキラネーム」をつける親御さんも多い。それでなにか不都合があるのか、と前出の解説委員は畳みかけている。キラキラといっても、チェコ語のばあいは、英語やフランス語ふうの名前がもちいられる程度である。おそらく都市部ほど多いのだろう。

 極端な例を挙げれば、日本語の動植物名をローマ字表記したような名前のひとに会ったことがある。障りがあるといけないから具体的には明かさないが、そうした女性のひとりに訊くと、両親が日本文化の愛好者でそう名づけられたらしい。さいわい本人が気に入っているようだったから、その点では問題とは思われなかった。けれども、女児の名前のばあいはすくなくとも「-a」で終わるような無難な形でないと「あんたの名前、どう格変化させればいいかわからない」とからかわれつづけるのであろうから、笑っておさまればよいのだが、見方によっては気の毒である。このあたりは、助詞で格をつくる日本語には無縁の話だ。

 日本語の名前といえば、一定以上の年代には1990年代の「悪魔ちゃん騒動」を覚えている向きもあるだろう。あのとき日本人が学んだことは、氏名とは当該個人のものであると同時に、社会のものでもあって、親だからといって命名権の濫用は許されないということである。これは、変わった名前を負うことで当人がこうむると予想される不利益だけが念頭におかれているわけではない。それ以前に、ある言語において了解可能と認められる名前でなければ、そもそも名前の意味をなさないのだ。

 個人的にも海外で生活してみたら、すぐに現地語の名前がほしくなったものである。日本語の名というのは、人名であるとすら認識されないから、不便なのだ。郵便局で荷物を受け取るときに引き渡しを拒否されたりしたこともあったし、電話口でもこちらが名乗っているとは受けとられなかったりする。面識のない業者に見積もりを頼もうと連絡したら、柔道家だか空手家だかを騙るいたずらメールだと思われた……等々。了解可能でないから、人名として十全に機能しない。キラキラネームをもつひとに同情する所以である。

 けっきょく、だれかの権利や自由が殖えた分だけ、ほかのだれかの負担が増すということなのだろうか。それとも、そんなゼロ=サム社会的な捉え方こそが間違いなのか。とはいえ、コミューニケイション上の創意工夫くらいならば、自由の代償とか、民主主義のコストなどというほど大袈裟なものではないかもしれない。それでも、文法という旧来の社会的な合意に囚われない姓に道を拓く決定が、議会の外でも納得されるかどうかは別問題であろう。昨今の防疫対策のように、予期しなかった反発を招くこともありうるわけだ。

 なお、当該の改正案が発効するには今後、元老院(上院)での採決と大統領の署名が必要となっている。また、日本では夫婦別姓の議論がさかんであるけれども、チェコ共和国では従前より同姓、別姓、複合姓とも認められている。

 

ミッドウェイを抱きしめて

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 もうすぐ記念日だからというわけではないけれど、ようやく最近になって、ローランド・エメリヒの映画『ミッドウェイ』(2019)を観た。監督がシュトゥットガルトの出身だからか、ドイツ語圏のメディアにも一時期、さかんにインタヴューがでていたが、もうだいぶ月日が経ってしまった。

  悪名たかい『パール・ハーバー』(マイケル・ベイ監督、2001)も、公開直後に観たものだけれど、同種のスペクタクル映画として捉えたばあい、あれからすべてが格段の進歩を遂げた。映像技術にとどまらず、世界に流通する情報の量や速度でも進展をみたということは、時代考証や異文化理解のコストにしても改善されていなければおかしい。

 たしかに今回も「そんなところに浮世絵なんか飾るもんか」というシーンはでてきた。だがすくなくとも、あのシュールな映画ほどには酷くなかった──海浜に黒松や鳥居をながめつつ、ふんどし一丁の兵隊がうかべる軍艦模型をまえにして、炎天下にくろぐろした第一種軍装を着込んだ士官がおもいつめた表情であれこれ評定する……。そんな2001年の白昼夢だった。

 いちばんの見どころが、両作の20年ちかくにわたる隔たりのうちに進化をみたコンピューター・グラフィックス(CG)による海戦シーンであることは、ご案内のとおりである。爆撃機による降下から爆弾投下、そして離脱までの一連のうごきは、CGでなければ映像にするのは至難の業だ。海面上を水平に目標へ突進する雷撃機と、目標艦船の直上から急降下する爆撃機との機動のちがいもあざやかに再現され、対比を観察するのも興が深い。できれば劇場で観たかった。

 とはいえ、どう考えても詰め込みすぎだ。ミッドウェイ海戦だけ描けばよいのに、主役のひとりである情報将校、エドウィン・レイトンが東京に勤務していた1937年から話がはじまる。それからエンド・ロールまで2時間ほどだというのに、真珠湾攻撃があり、マーシャル諸島の戦いから、ドゥーリトル空襲を経て、珊瑚海海戦へとつづき、日本海軍の攻撃目標を特定する情報戦のあらましにふれたのち、やっとミッドウェイに至る。

 大戦劈頭における装備に劣る米側が、幾多の試練を経て、ようやく暗号解読という武器によって勝利したのだ、というながれを描きたがっているのはよくわかる。それとて見方を変えれば、すべては真珠湾ありきの復讐劇で、そのうえ日本側の手ごわさをこれでもかと強調しなければ盛り上がらんという、ブロックバスター志向のエメリヒ監督にとりつく脅迫観念の為せるわざであろう。

 その間、中心人物のひとりで型破りの英雄、ディック・ベストは、艦上爆撃機・SBDドーントレスを駆って訓練にあけくれるなか、兵学校も同窓であったとおぼしき幼馴染みを喪って痛飲し、また妻子との別れを惜しみ、さらに事故で部下を死なせると消沈するも、にわかに責任感もめばえ、かつて小馬鹿にしていた上官に助言をもらうと、人間的な成長から他者に敬意を払うこともおぼえて、尻込みする兵を鼓舞激励しながら出撃し……大忙しだ。

 だから、せりふのほとんどが説明文じみているのも、致し方ない。池上彰のこどもニュース並みだ。──ここでジャップを喰い止めないと、西海岸を爆撃されてしまいます。ひいては合衆国の滅亡にもつながりかねませんよね。困りますね。

 尺に余裕がないのだから、観客に行間を読ませている暇はない。まして余韻をのこす空白などあるわけもない。結果、すべての登場人物が狂言まわしと池上彰になってしまっていて、豪華なキャストなのにもったいない気がする。なんといっても、チェスター・ニミッツ役はウディ・ハレルソンだし、ハルゼー提督などは、よく見ればデニス・クエイドだった(いいかげん「ホールズィー」表記が主流にならないんだろうか)。ところが総じて、演技じたいがなんとなくぎこちないのだ。

 むかしからこうしたハリウッド製の映画では、日本の軍人が口にするのは片言の日本語であると相場が決まっている。今作では、豊川悦司浅野忠信國村隼という、日本の名優たちが起用されているが、監督の言によると偶然の産物らしい。それぞれ山本五十六山口多聞南雲忠一役に配されてはいる。さすがにこの顔ぶれでは、文句のつけようもない。それにも拘わらず、どうも日本語による演技がところどころ棒読みで不自然だ。周囲のカナダ訛りの日本語につられたものと思われるが、それを矯正するスタッフすら欠いていたとみえる。

 いっぽう、エド・スクレイン(スクラインとも)が演じたディック・ベストの強烈な訛りに関しては、そういう演出なのだとはじめは思った。史実ではイタリア系の水兵ブルーノ・ガーイドをニック・ジョナスが好演していたこともあって、移民社会を反映した米海軍における多様性を描き出す趣向なのだと受けとっていた。ところが、ちょっとググってみた範囲では、英語圏のレヴュー記事にも散々に貶されていた。日本語だけでなく、やはり英語の演技も評価されていない。とりわけ、ロンドン出身のラッパーだったスクレインのアクセントに関しては、ディック・ベストがコックニーなんか話すわけがないと斬り捨てられている始末である。

 ──つまるところ、みんながおかしな言語でしゃべっている作品なのだ。ドイツ生まれの監督だからといって、これほど無頓着でよいものか。一部だけ大陸支那のシーンもあるけれど、そこでの広東語も推して知るべし、か。北京語ということにはなっているが、それはそれでいかがなものか。

 これを要するに、ほうぼうから製作費を掻き集め、八方美人を目指したものの、けっきょく三方良しともならなかった、というところ。それでも大枠では、米海軍からの視点に徹したことで、一貫した物語を保っている。日本海軍側の内情も、前出の三提督をめぐる場面に絞りこむことで、最小限度の説明にとどめているわけだ。

 戦争をあつかう娯楽映画において、参戦各国からの視点を平均的に、あるいは“公明正大に”描く試みは、かつてはあった。けれども、今日ではさほど流行っていないようだ。もとより、2時間内外という限られた時限の作品に、複数の語り手の視点を導入するのは、運よく消化不良に陥らなかったとしても、観客には混乱を招くこともあり得る。それもあってか、クリント・イーストウッドによる「硫黄島の戦い」プロジェクトは、それぞれ日米の別々の視点が採用された『父親たちの星条旗』および『硫黄島からの手紙』という、ふたつの独立した作品として公開された。現代ではけっきょくのところ、興行収入皮算用しだいではあるのだろうが。

 西村雄一郎『黒澤明──音と映像』(立風書房刊、1998)には「ハリウッド最後の大物プロデューサー」とよばれた、ダリル・ザナックのケースが出てくる。『史上最大の作戦』(1962)では、撮影隊を各国ごとに分けて、それぞれ別々の監督に撮らせた。英軍はケン・アナキン、米軍はアンドリュー・マートン独軍はベルンハルト・ヴィッキに演出が任された。この成功を受けて、ザナックは同様の方法を採用して『トラ・トラ・トラ!』(1970公開)の制作にのぞんだ

 このとき日本側視点の監督に指名されたのが、黒澤明だった。1967年のことだ。その後の経緯は、今日よく知られるとおりである。撮影は難渋したあげく、監督自身が疲労から倒れたこともあり、最終的には解任された。といっても仔細はわりと複雑で、このときの内紛や心労の経験が黒澤にとって、のちの作風の転換につながるほどの大きな心理的な打撃となった、というふうに西村は推定している。

 『トラ・トラ・トラ!』については、舛田利雄深作欣二両監督が代打に立って完成されたものの、米国では不評だったらしい。日本人からみれば、あの戦をこれほど公平に描いた作品はないし、これからもでないだろうが、まさにそれだからこそ“愛国的”アメリカ人には不満がのこったのだ。「羅生門エフェクト」ではないが、技術が進歩して画面が精緻になればなるほど、万人が納得する“主観”的映像を不特定多数に供するのは、困難になってゆくものではないだろうか。

 けっきょく出来上がった映像は、のちの『ミッドウェイ』(ジャック・スマイト監督、1976)にも流用されることになる。こちらの『ミッドウェイ』では、ドゥーリトル空襲からはじまり、それを受けてミッドウェイ作戦が始動するという流れだったから、日本側の逆襲という論理がつよい。そうはいっても、日米双方の思惑を描くことには腐心しているようだった。逆説的だが、日本の軍人役の俳優陣がすべて英語で演じていたのも寄与しているように思える。ただし、唯一の日本語話者たる三船敏郎が演ずる山本司令長官だけは吹き替えになっていた。それでも、どの言語圏の観客からも不自然な演技に辟易されるくらいならば、北米での興行を主眼に据えた、このやり方のほうが潔い。そもそも往時は、CGも中国資本も考慮せずともよかったし、またひょっとするとグローバルな映画市場にも、現在ほどの配慮は不要だったのだ。

 それだから、同名だからといって、この作品をエメリヒの『ミッドウェイ』と細部にわたってくらべるのも、あまり意味があるとも思えない。ところが参照すべきはむしろ、ジョン・フォードによる1942年の正真正銘のプロパガンダ映画『バトル・オヴ・ミッドウェイ』であるとは言えるかもしれない。相応の敬意が払われていることは、エメリヒの本編を観ればわかる仕組みになっている。

 フォードによって撮られた貴重な記録映像は全編18分ほどで、たとえばYouTubeでも視聴できる。すでに名のある映画監督でありながら、開戦直前に招集され、海軍の宣伝映画を作成する任についた。そんなフォードの映画班をミッドウェイ島に派遣したとき、当のニミッツは暗号解読によって、すでに日本軍の意図を知っていたそうだ。これも広い意味での情報戦に秀でた米軍と、ニミッツの慧眼をあらわしているエピソードといえよう。このときナレーターを務めたヘンリー・フォンダが、30年あまり経ってのち、1976年の『ミッドウェイ』でニミッツ提督役を演じることになるのだから、因縁を感じずにはおれない。

 ところで、山本五十六の役というのは『トラ・トラ・トラ!』の山村聰のほか、三船敏郎丸山誠治連合艦隊司令長官山本五十六東宝、1968と『ミッドウェイ』1976)や、役所広司成島出聯合艦隊司令長官山本五十六東映、2011)、エメリヒの豊川悦司と、いろいろな役者が演じてきたけども、だれひとりとして似ていない。恰好いいんだけれど、似ていない。生前の姿を知るわけでもないので、これこそまったくの主観なのだけれど。ただ、いまや大衆娯楽の古典的演目となった観もある「太平洋戦記」であればこそ、歌舞伎などと同様に、それぞれの演じ手の芸を鑑賞するのもまた、ひとつの道である気はする。いずれにせよ、映画の愉しみは一通りではないのだ。

ミッドウェイ (吹替版)

ミッドウェイ (吹替版)

  • チャールトン・ヘストン
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*The Battle Of Midway (1942)

www.youtube.com

 

*上掲画像はWikimedia

新欧州のポピュリスト枢軸?

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photo by Drazen Bajer

ブダペシュト=ワルシャワ枢軸?

 チェコスロヴァキアは欧州中心部に巣食う癌であり、外科的に除かれるべし──

 ハンガリー王国を率いたホルティ・ミクローシュは1936年、そう言って、ヒトラーに談判したという。

 ところが皮肉なもので、こんにちハンガリー自体が、ポーランドチェコ共和国ともども、欧州連合内部に巣食う腫瘍のごときものとなって、EUのリベラル民主主義を脅かすことになろうとは、ホルティの想像も及ばなかったにちがいない。『シュピーゲル』誌などは、例えば昨夏にも「欧州連合は自らのうちの専制君主を野放しにするな、法の支配に関するコンセンサスの崩壊とは、EUじたいの崩壊である」と警鐘を鳴らしていたものである。

 今年の4月1日、ハンガリーオルバーン・ヴィクトル首相は、首都ブダペシュトに、ポーランドのモラヴィエツキ首相とイタリアのサルヴィーニ元副首相を招き、「EU懐疑派」の結集を誓った。たとえば、時事通信が報じている。さしづめ「ブダペシュト=ワルシャワ枢軸」といったところか。5月には再びローマかワルシャワに会すると予告しているから、なおさら不気味である。権威主義国家による新たな枢軸が、ベルリン=ブリュッセルに牙を剝くいきおいを見せているのだとすれば、なんとも遠大な意趣返しにも思えてくる。

 

除かれたチェコ共和国 

 いっぽう、先週末に外信がいち早く報じたところによると、ロシア政府はアメリカ合衆国チェコ共和国の2か国のみを「非友好国」としたと発表した。プーチン大統領は、ロシア国内の公館の雇員の数を制限する法律に署名したと伝えられている。チェコ政府は先日、ヴルビェチツェ爆破工作に関わったとして、工作要員として暗躍したロシアの外交官を追放したことから、関係が悪化していた。

 EUへの懐疑では一致するヴィシェグラード協定加盟国も、対露や対中姿勢にはばらつきがある。とはいえ、結果から類推すると、西側はひとまずプラハには楔を打ち込んだ──そんな構図もおもいうかぶ。防諜機関・BISをつうじて、インテリジェンス出身のアンドレイ・バビシュ首相を脅したものか。いずれにせよ、ミロシュ・ゼマン大統領を筆頭に、ロシアに恭順の意を示してきたチェコ政府は、梯子を外されたことになる。

 このゼマン大統領は、自国を「フィンランド化」させる、とまで言ったことがある。かつてはEU支持者を自認しもしたが、のちに懐疑派に転じた。外交を経済政策の手段と見、ロシアのみならず、中国との関係改善に邁進し、1989年いらいヴァーツラフ・ハヴェルチェコ外交の柱に据えた「人権」を、優先事項からも消し去った、と同国の経済紙は評している。ウイグル弾圧に目をつぶり、チェコ共和国を「一帯一路」の枠組みでヨーロッパへのゲイトウェイにしていただきたいなどと、自国領土を差し出すがごとき阿諛追従までも駆使しつつ、中国から何十億ドルもの投資を獲得したとアピールしていたものであった。

  2014年には「ヴィシェグラード・グループ拡大」を唱えて、オーストリアスロヴェニアを加盟させる構想を表明したこともあったが、これはハンガリー当局によって即座に拒絶されてしまった。そのかわりゼマンは政府をして、オーストリアとスロヴァキアとの3か国間でスラフコフ宣言に署名せしめ、「アウステルリッツ・フォーマット」なる枠組みを創設した。アウステルリッツとは、ナポレオンに対してオーストリアとロシアの同盟が決戦を挑んだ地にほかならず、地域協力の名のもと、モスクワに秋波をおくる以外の目的があったとは考えにくい。ヴィシェグラードとは競合するものでないことは強調されはしたものの、とりわけロシアへの警戒のつよいポーランドには看過できぬものであったろうし、親露のハンガリーとて、当時のウクライナ情勢をめぐるオーストリアの立場は容れることができなかったといわれる。これでヴィシェグラード協定のV4各国間に、すくなからず隙間風が吹くようになったことは想像に難くない。こうした経緯と「枢軸」をあわせて考えると、すくなくともオルバーン政権には、ポーランドとの協力関係を幾度でも確認する動因があったにちがいない。チェコ抜きで。

 

オルバーン政権と対中協力

 ハンガリーのオルバーン首相もまた、以前は、加盟を推進してきた親EU派と目されていた。ところが2010年に自身ひきいる政党・フィデス=ハンガリー市民同盟が、キリスト教民主人民党とあわせて総議席数の3分の2以上を獲得するや、権力基盤を磐石なものとする新憲法の制定、司法改革、メディア規制を断行した。これが、EU加盟の条件でもある、民主主義や法の支配といった「基本的価値」の尊重を規定したEU条約に抵触するとみなされた。2015年以降、欧州議会では所定の「制裁」手続きを開始するよう決議がいくどもなされたが、けっきょく実行には移されていない。

 さらに学術研究や教育の分野では、かのジョージ・ソロスが創設した中央ヨーロッパ大学を敵視し、2017年の立法措置によって閉鎖に追い込んだ。政敵を支援している、というのである。法廷闘争にもつれ込んだものの、翌年末にはさすがのソロスも白旗を揚げざるを得なかった。

 ちなみにこの名門大学院大学には、出版物をつうじてお世話になった向きも多いと想像する。というのも、多岐にわたる研究・教育や学術交流、それに出版が英語によって行われているからでもある。とりわけ提携校どうしの交換制度などを利用して、日本からこの近隣の諸国に短期留学したひとなどは、ハンガリー語のみならず、チェコ語ポーランド語を習得しきれていなくとも、学期中にこの地域の政治や経済などのレポートの提出をもとめられて、英語による参考文献として重宝したのではないか。ウェブ上に学術情報が増えた昨今では、もうどうかわからないが。

 さて、その代替ということか、上海の復旦大学がブダペシュトにキャンパスを開設するに際して、協力を申し出ていたことが、ここにきて暴露された。2019年に会談した中国・王毅外相は、当該プロジェクトがいかに重要なものであるか強調したというが、それもまたインテリジェンスの一大拠点、つまり中国の欧州における橋頭堡を成すためではないかと疑われている。

 もともとは、招致が取り止めになった2032年のオリンピック計画において、選手村の建設予定地であった。その後は、学生のための低廉な住宅を最大1万戸以上も整備して、雇用の創出にもつなげるという「ステューデント・シティ」構想が進められていた地所であるという。しかも、全国の高等教育の振興のために今後数年にわたって政権が費やすとしていた15億フォリント(約57億円)の予算のうち、3分の1が充てられるとされ、さらに建設費に加えて維持費の一部もハンガリー政府が負担する計画であることが報じられてもいる。つまり、ほんらい国民の福祉のために用いられるはずであった財貨が、ひそかに中国への貢ぎ物に転用される手筈になっていた、という驚愕と批判に満ちた論調である。

 

ポーランドの法と正義

 このオルバーン政権を手本に、権威主義的な政府を打ち立てたのがポーランドの右派勢力であった。ポピュリスト政党「法と正義」(PiS)を率いるヤロスワフ・カチンスキ党首と、2017年から在職のマテウシュ・モラヴィエツキ首相が、やはり憲法を事実上「改正」し、メディアを統制している。党名は「権利と公正」とも訳しうるだけに、反リベラルの姿勢は悪ふざけにも思える。2016年以降、EUも各種の手続きで牽制を図ってきているが、制裁を実際に発動するまでには至っていない。

 このあたりの制度的なメカニズムは、たとえば庄司克宏『欧州ポピュリズム』(筑摩書房、2018年)に詳しい。庄司によると、そもそもEU加盟に際しては、人間の尊厳、自由、民主主義、平等、法の支配、人権の尊重といった、リスボン条約第2条に定められたEUの基本的価値観は、加盟国がいちどは批准して、受け容れねばならないことになっている。だが、その後に成立した政権がそれらを否定しはじめたとしても、EU側には実効的な制裁を科すような仕組みを欠いている。限定された制裁にしても、実行にうつすには最終的に欧州理事会において、当事国をのぞく全会一致による決議が必要となることが大きなハードルとなっているようだ。ポーランドにはハンガリーハンガリーにはポーランドという、互いをかばう共犯者が理事会内に存在するいま、実現する可能性には乏しい。

 とまれ、ハンガリーポーランドにおけるEU懐疑派の手法は、チェコルーマニアの政権においても、とりわけ汚職縁故主義といった面で模倣されている、と前に挙げた『シュピーゲル』の記事では指摘されている。──やはり欧州連合にとっては、腹中に増殖をつづける病巣のごときものか。

 

チェコ共和国の懸念

 チェコ共和国でも、ポピュリスト政党・ANO党と社会民主党(ČSSD)による政権が2018年に成立したが、ハンガリーポーランドのような事態にまではなっていない。フィデスにしても、法と正義にしても、洪波の両党には、キリスト教を基盤とした保守主義と強固なナショナリズムが基底にある。けれどもANO党のばあいは、一見するところ、ひたすら恩顧主義的な政党で、創始者のバビシュ首相がスロヴァキア出身ということもあるのか、ナショナリズムの傾向というのもあるにはあるが、反移民的な政策ほどにとどまっているように思える。表立っては、反EU的な言辞を弄することも稀である。

 政治性向を鮮明にするのはむしろ、いまひとつのポピュリスト政党「自由と直接民主主義=トミオ・オカムラ」で、ANO党が少数政権を築かざるをえなかったのも、この党とのあいだで票が割れたためであったともいわれる。こちらは排外的な極右政党で、絶えず反イスラム的な言動をくりかえし、さいきんは同性婚に反対する旨のコメントで物議を醸した。このあたりの立ち位置はポーランドの政権にも似る。党首はいちおうカトリックの洗礼はうけているが、キリスト教民主主義の理念を包摂しているような真っ当な政党とは思えない。選挙のさいのビラは怪文書のごとき小冊子で、屠殺場の獣肉に政敵を貼り付けたような雑なコラージュが表紙を飾ったりしていたものだった。いずれにしても、ひたぶるに如何わしい政党であるにも拘わらず、おおかたの調査で10%以上の支持を保ち、4番手につけている。

 また、欧州議会では、かのAfDとも同じ会派で連携する立場でもある。党首をヒトラーとか、ファシストに喩える風潮も当然ある。たとえば戦前チェコスロヴァキアのいわゆるチェスキー・ファシスト政党が、反ユダヤ・反ドイツ人の立場であったのを思い出すに、系譜を継ぐとまではいえないにせよ、たしかに類似した傾向は指摘せざるを得ない。ファシズムとナツィズムの政治学上の相違は措くとしても、似通ったイメージが巷間で共有されていても無理はない。保護領が成立するや、ラドラ・ガイダのファシスト民族共同体(NOF)周辺の連中もけっきょくナツィズムに改宗してしまったのだから、本質的には同類だと思われている。

 シリア内戦に端を発する難民危機も峠を越え、EUとしても国境管理の厳格化がすでに諒解されているいま、排外的な言説のみで得票をおおきくのばす可能性は低下したと思われる。ただ、近年では連合王国独立党(UKIP)が、政権政党にならずしてEU離脱という政策目標を達成してしまった例にかんがみるに、この手の排外ポピュリズムの存在も、第一党にならないからといっても油断はならない。

 党名は、内務省の公式の略号どおり「SPD」と略記されることが多いが、これも如何わしさに輪をかけている。名称からして模造品なのであるから。このブログではドイツ社会民主党SPD)にも触れてきただけに、まぎらわしいので「SPD-TO」とでもしたいものだ。ついでにまた、来たる選挙では、党首の実兄が中道右派連合から立候補を予定しており、苗字だけの記載では、これまで以上に紛らわしくなるので、氏名ともに用いることを新聞メディアなどにはできればお願いしたいものである。

 

希望の緑?

 こうしたなか、現職のブダペシュト市の首長で政治学者でもある、カラーチョニュ・ゲルゲイ市長が、打倒オルバーン政権の錦を掲げて、来春に予定される選挙に名乗りを上げた、と週末に報じられたのである。

 所属政党の名称が──政治には別の形もありうる、政治は変わりうる、ありうべきもう一つの政治……うまく訳せないが、別名「ハンガリー緑の党」である。したがって、チェコ海賊党のイヴァン・バルトシュ党首がさっそくTwitter上で激励していたのも、まったく不思議はない。欧州議会の会派「緑の人びと・欧州自由同盟」では盟友どうしなのだから。そして、自身も今秋の選挙では高い支持率をもって、与党ANO党・バビシュ政権に挑む。

 ハンガリーにしろ、チェコにしろ、リベラル系のオルタナティヴ勢力から、政権打倒をめざす有力候補が出てきているのが面白い。EUの価値観を代表して闘うのが、マイノリティを代弁する理屈っぽい若きエリートというのが、すこし漫画的にも思える。

 最近の調査によると、団結した野党と与党フィデスの支持率は、およそ拮抗しているとつたわる。すでに2019年に、首都の行政をフィデスから奪取した実績もある。とはいえ、通算5回目の就任を目指すオルバーン首相には権力が集中している。前途はそうとう険しい。

 

 *参照:

www.jiji.com

www.nikkei.com

www.direkt36.hu

www.bloomberg.com

www.nikkei.com

www.sankei.com

www.afpbb.com

jp.reuters.com

www.newsweekjapan.jp

www.jiji.com

www.dw.com

「緑の党」と欧州の東西

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photo by Alexander Dietzel e. K.

緑の盛衰

 5月6日に行われたスコットランド議会選挙では、独立を唱導するスコットランド民族党(SNP)が64議席を獲得したものの、過半数に1議席だけとどかなかった。そこに、8議席を獲得したスコットランド緑の党の名がつらなったのは、やはり独立を主張しているためである。

 ドイツの緑の党では、ベーアボック共同代表が首班候補になった件については、すこし書いた。これに連関して、5月3日には、過去1週間の世論調査緑の党がトップになった旨、ブルームバーグが報じていた。ただ、のちの10日から翌日にかけて、公共放送連盟(ARD)がおこなった、電話とネットによる聞き取り調査では、少々ことなる結果が公表されていた。次の政権を率いるべきは誰?──との問いに、メルケル現首相の属するCDU/CSU(Union)と回答したのが31%、緑の党が21%、現在は連立与党の社会民主党SPD)が17%、「わからない」が31%という結果がでている。

 いずれにせよ、さいきん緑の党がまた、勢いづいている。グレタさんのブームも関係しているのかもしれないが、そのほか、パンデミックの遠因を気候変動にもとめる言説だけが背景というわけでもなさそうだ。

 ふりかえると、米ソ冷戦が終結してからというもの、世界じゅうの社会民主主義政党が衰退していった。しかしその後「第三の道」を謳ったトニー・ブレアの英・労働党政権が成立すると、それに前後して息を吹き返したかのようにもみえた。ところが近年ではまたぞろ低迷気味で、ドイツでは戦後最低水準の得票率に一時は落ち込み、第三次メルケル政権からはふたたび連立与党に収まりはしたものの、第一党の座は遠い。オーストリアの社民(SPÖ)なども2013年以降は議席を減らしつづけ、17年についに下野して「建て直し」が叫ばれている現状がある。──この「左の横綱」政党が振るわない国ぐにの政治シーンで、程度の差はあるにせよ、ふたたび存在感を増しているのが、緑の党というわけである。

 それも、環境政策が、市民にとってみぢかに感ぜられるようになっているからにほかならない。たとえば豪州のある調査では、国の最重要課題として「環境」を挙げたひとが、じつに41%にのぼったのだという。若い世代ほど、この数字がおおきくなったのも当然だろう。とりわけ若者は、「カンキョー」「オンダンカ」「キコーヘンドー」といったことばを、生まれたときから聴きながら育っている。いわば、エコ・ネイティヴ世代だ。1998年にドイツの緑の党が政権に参画したとき、ことし不惑の40歳だというベーアボック共同代表は、まだ10代だったことになる。


反核と緑

 ところで、自然にかんして……と大風呂敷をひろげたばあい、たとえば「最初の近代人」ペトラルカが近代的な登山を嗜んで以来、自然を愛でる文化は制度化される運命にあった。そこからざっと500年も要したとはいえ、それでも1872年という早い時期に、世界初の国定公園を開設したアメリカ合衆国の先進性たるや、驚愕に値する。それから、酸性雨の害からシュヴァルツヴァルトの木々を守れという運動あたりまでは、おおよそこの手の「自然保護」というのが、文化に根ざした習慣としてあった。

 大陸ヨーロッパで、それが「環境運動」に変質したのは、あたらしい潮流がはいってきたからで、思想的な連続性にはとぼしい。すくなくとも、かつてそう言われていた。『沈黙の春』以来、この領域で「先進的な」北米で興隆した新環境主義を、ペトラ・カリン・ケリーに代表されるような、かの地で教育を受けたひとが祖国ドイツにもちこみ、政治文化として根づかせた。

 それは「森を守れ」というような保守的な実践から、「反核」という社会運動へのシフトとなって表面化した。それだけに、反体制運動ともむすびつく余地もあった。こうして設立された緑の党は、社会民主主義とも親和性がたかかったため、象徴的な人物としてオトー・シリーなどが挙げられるが、社会民主党から緑の党に参加したひと、あるいは逆に緑の党から社会民主党に移るひとなど、人的な往き来がみられた。なんといっても、世界的に学生運動の季節がつづいていた。活動家らも合流し「異議申し立て」の色がつよくなっていった。

 この時期から環境の問題は、はっきりと政治の問題として認識されるようになった。科学はあいかわらずさまざまな予測を出すけれども、それが正しいかどうかは、その後の絶え間ない学問的な議論に委ねられる。そのかん目の前の問題を放置するわけにゆかぬ有権者は、さしあたって政治家に俟つよりない。その意味で、原発が危険かどうか、某国のワクチンが有効かどうか、気候変動が破滅をもたらすのかどうかも、最終的には民意を反映した政治が判断を下すほかない問題ではある。

 オーストリア共和国緑の党の起源もまた、1970年代のツヴェンテンドルフ原子力発電所稼働に反対する抗議運動に求められることが多い。現在のアレクサンダ・ファン・デア・ベレン連邦大統領も、もとは緑の党の代表まで務めた人物だが、それ以前は社会民主党に属していた。

 2020年初頭、疫禍が猛威を振るう直前の時期に発足した政権では、緑の党は国民党(ÖVP)と連立を組み、政権政党となった。この保守政党との連立が成立したことは、驚きのニュアンスをもって大々的に報じられたものだった。というのも、上述のとおり、成り立ちや方向性のちかさから、社会民主主義政党と赤緑で連立を組むことが穏当で、むしろそれ以外は困難だと思われていたからであろう。ドイツ連邦共和国で1998年に成立したシュレーダー政権も、この例に漏れない赤緑の連立であった。

 それだけに、オーストリアでも政策面であやぶまれたものの、とりわけ難民政策などで妥協をはかって、不一致に陥ることなく今日まで存続している。先日の『フィナンシャル・タイムズ』による記事「ドイツ、緑の党が政権入りしたら」も、知られざる政党への投資家らの不安を汲んだ見出しだったのだろう。けれども、いまどきの緑の党は現実主義路線であるから、ときには妥協することもある。「プラグマーティシュ」と表現した記事もあったが、要するに普通の政党なのだ。

 米バイデン大統領も先日、「環境技術で勝てないで、中共に勝てるか」みたいなことを言っていたけれど、気候変動対策で世界をリードすることこそが覇権ないし生き残りにつながる、というのが、いわゆる先進諸国のあいだでお題目のごときものになってきた。過去においては「環境をとるか、経済をとるか」という二者択一の前提にもとづいた議論が主流であったが、いまや「環境技術こそ、これからの経済成長の鍵」というのが、社会通念となった観すらある。政治がそう決めたのだ。かくして、とくにグリーン投資とかESG投資などといわずとも、大企業はつねに脱炭素への取り組みをアピールしていなければ、投資家どころか、顧客すらも逃しかねない時代になった。それらに関連した政策分野で知見と蓄積のある政党が有権者に選ばれても、なんらの不思議もありはしない。

 さらに、件のベーアボック党代表は、じつは外交政策の専門家であり、現メルケル政権が目先の経済的利益に目がくらみ、ロシアや中国に接近しすぎた傾向を、地政学的な面からも批判してもいる。外交に関しては、現政権よりもよっぽど保守・リアリズム路線なのかもしれない。やはり、緑の党反核一本槍の異議申し立て政党というのは、すでに過去のイメージなのだろう。


東西の緑

 西側世界では、反原子力運動が、環境主義の盛り上がりや環境政党の興隆にむすびついたが、たほう鉄のカーテンの東側では、原子力は「共産主義国家建設のための夢のエネルギー」であったから、おおよそ環境意識が国民にひろく芽生えることなどあろうはずもなかった。東独出身のメルケル首相も当初、福島の事故が起こるまでは原発推進派であった。

 たとえば、レーニンの肖像が一面を飾る党の機関紙は、ふだんはとくに原子力には触れもしない。ところが、西側で反原発運動の学生たちが警官隊と衝突した翌日ともなると、唐突に「夢のエネルギー」を称揚する記事が紙面にでかでかと載った。──むかし、図書館でマイクロフィルムをぐるぐるまわして閲覧しながら、面喰らったものだ。

 ここに隔たりがある。現在も旧東側の地域では、反原子力にかぎらず、緑の政治もいまひとつ盛り上がりに欠けているように見える。民主化直後、1990年代初頭の一時期こそ得票を伸ばした国もあれど、その後はどこでも「緑」は苦戦しており、国政レヴェルでは議席がないようだ。例外は、下院に3議席を有するポーランドと、5議席ハンガリー、上院に1議席チェコ共和国緑の党くらいのものであろうか。いずれも、欧州懐疑派とか、反リベラル・ポピュリズム政党などと称される政党が政権を担っている国ぐにである。

 旧共産圏で例外的にある程度の成功をおさめているとはいっても、たとえばチェコ緑の党の場合、直近の世論調査では、支持率はせいぜい2%から3%程度となっており、国政選挙を10月にひかえて厳しい情勢となっている。環境への意識が比較的たかい若者の支持も、目下のところ躍進めざましい海賊党に集中しているのではないか。同党は欧州議会の会派では「緑の人びと・欧州自由同盟(Greens/EFA)」に属し、おそらく支持層が緑の党とかぶっている。そのイヴァン・バルトシュ党首が毎日のようにSNSを更新しているのにたいし、マグダレナ・デイヴィス緑の党共同代表などは、生物学の研究者にして基礎自治体の首長でもあり、さほど頻繁には有権者への発信ができていないようだ。

 ことしの初めには、この国の緑の党も定石どおり、社会民主党(ČSSD)との連携を模索する動きがあったが、4月中旬には交渉が決裂したことが発表された。政権運営感染症対策において政府の失態や混乱、さらには不正疑惑が報じられつづけるなかで、連立政権の一角を担うČSSDとは組めないと判断されたとしても、それは仕方がない。

 そもそも「赤い貴族」出身のバビシュ首相率いるANO党とČSSDの連立政権を、つい先日まで閣外から支持していたのはボヘミアモラヴィア共産党(KSČM)である。ほかに国政の水準で議員を擁する政党のうちには一番人気の海賊党があり、明確に左派でないといえるのは、中道右派連合(SPOLU)をのぞけば、排外極右政党くらいしかのこらない。選択肢として林立する政党が「オール左」のような状況では、もとより緑の党が伸び悩んでも無理からぬものがある。

 じつは2006年には、オーストリアに先駆けて右派政権に参画したこともあったチェコ緑の党だが、そのころはまだ党の路線が明確でないところがあった。のちに諸国の「緑」同様の左寄りの政策へ転じ、現在に至っている。

 さいきん同国では、環境がらみの喫緊の課題がいくつも噴出している。国内だけでなく、国境をまたぐ問題も当然ある。このあたりについては稿を改めたいが、この分野に稀有な専門家を抱える環境政党も、むろん有権者に選ばれなければ大きな仕事はしにくい。


緑の党」ということば

 ところで、誰が呼んだか「緑の党」というと、なかなか独特の響きがあるが、歴史のある豪州やドイツを例にとれば直訳で「緑の人びと」となろうから、ほんらいは「緑人党」か。世界をみわたして、まったく「緑」とつかない例を除くと、「緑の党」でなければ「緑の人びと」あるいは「緑の人びとの党」の、いずれかの方式の党名に大別できそうだ。日本の新聞メディアの見出しをながめると、十把一絡げにしつつも注意ぶかく鉤括弧で「緑の党」とくくられることが多いのは「いわゆる」とか「通称ですよ」という意味合いが込められているのであろう。

 蛇足ながら、学術アカデミーのチェコ語学研究所のサイトにある『わたくしたちのことば』誌の抜粋に、面白い質疑をみつけたので触れておこう。チェコ語文法に関する覚え書き。

 チェコ共和国緑の党は、内務省に登録された正式名称では„Strana zelených“、すなわち「緑の人びとの党」という(略称は„Zelení“)。その党員たちは、自らのことを集合的に「緑の人びと」と呼ぶのを好む。では、そのさいは„zelení“と小文字でそろえるのか、それとも„Zelení“と大文字で書き起こすのか──どちらが文法的に正しいのですか、という質問である。

 識者の回答は、こうである。共産党員、人民党員、社会民主党員などは、それぞれ小文字で表記するのであるから、緑の党員も小文字で表記するのが正しい。ただ、大文字が用いられる場合があるのは、ほかの政党とちがって、色を表す形容詞(zelený)と区別せねばならない必要からで、「色ではなくて、政治的な所属のことです」ということを暗示するためではないか。だから、文脈によっては大文字で書くことも、間違いとは言い切れない。こうしたことは、まま起こるのだ、と。

 

*参照:

www.bloomberg.co.jp

www.bloomberg.co.jp

www.nikkei.com

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