ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

イラーセク史観?

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 ことしの3月13日は、ヨーゼフ2世の生誕281周年にあたっており、前日の3月12日は、アロイス・イラーセクが没してから92周年ということになっていた。それぞれ、皇帝と劇作家というふたりであったが……

1)脚本家の罵倒

 ミルカ・ズラトニーコヴァーが脚本を担当した『マリア・テレーズィア』は、出色の映像作品だった。2018年から5年にわたって、まいとし1話づつ公開されてきたものであったから、しょうじき過去の放送回についてはよく覚えていない。──そのうち、Amazonプライムでも観られるようになるだろうか。

 このズラトニーコヴァーというのが、ある新聞記事のなかで「イラーセクは政治を芸術に優越させ、民族をヒューマニズムの上においた民族主義者で、歴史歪曲の巨匠だ」と批難していたのが、いまだに思い出される。

 発言の大意には同意するが──しかし、そう言われると「そこまでおっしゃる以上は、さぞ上手に歴史をお描きになるはず」と、むしろズラトニーコヴァーの作品のほうを注視したくなる。

 とはいえ、イラーセクをめぐる状況については、補足が必要かもしれないと思ったので、先に書くことにした。膨大な作品のうち邦訳されたのはわずかで、つまり紹介がすすんでおらず、とくに負の側面はあまりしられていないと思われる。

 アロイス・イラーセク(1851-1930)は、中世のフス派に感情移入した、ボヘミアにおける民族派の作家であった。その作品群は、いわゆる「民族復興」運動の文学と歴史小説の集大成と目される。文学事典の項目を、ビロード革命の前と後に刊行されたものをくらべてみると面白いが、いずれにせよ、文学史的には歴史リアリズム小説を確立した書き手と評価されている。

 現時点ではチェコ共和国でも、中等教育での義務的な課題図書ではなくなり、選択肢のひとつとなっているそうだ。たまたま手もとにある読本では、長大な虚構の年代記をくりひろげることを好んだため、今日では時間的に難がある、などと率直に紹介されている(Jaroslav Pech, _Čítanka pro střední školy_, Praha, 1997)。

 つづいて同書では、未完の長編『フス派の王』がとりあげられる。信仰を守るためにローマ教皇に抗するフス派の王・ポディェブラディのイジーの物語である。そこで引用されているのは、ボヘミア王国最初期の医師で、中世大学の教授でもあり、なにより熱心なカトリック信徒であったジデクが、「黒蟇亭」のビアホールで激昂して学生たちと口論に至った場面だ。どうしてこのシーンが抜粋されているのか。おそらく、作品のもつ臨場感を生徒に伝える意図からではないか。

 同時代の辛口の文学史家すら、イラーセクの筆致については称賛せざるをえなかった。「この作家が、自身の登場人物たちや光景や情景を、もともとは図書館の埃のなか、博物館の日蔭のうちで脳裡に描き出したことを、それに反宗教改革の思潮の極致をゆっくりとした分析の過程で導き出したことを、われわれは残念ながら忘れてしまう──」それくらい、まるで見てきたかのように、歴史のひと齣を活写するのだった。


2)シバシカン?

 そうした作風から、連想する作家がある。司馬遼太郎だ。そこで、適当かどうかわからないが、比喩をもちいることにした。創作と歴史との関連で思いあたったのが、いわゆる「司馬史観」である。

 長篇『坂の上の雲』は、とりわけ「史観」を体現しているといわれる。十年以上が経過したとはいえ、NHKの映像化作品がまだ記憶にあたらしい。阿部寛本木雅弘が演じた秋山兄弟が見もので、鬼気迫る正岡子規役は香川照之だった。海戦シーンのCGだけは、ちょっとプレステみたいだったけれど。のちの昭和の敗戦を念頭に、明治の日本で発奮する偉人たちのロマンを娯しみとすることに、なんら問題はないはずだ。

 問題があるとすればむしろ、フィクションと歴史とを混同させる批評家らのほうではないか。「史観」といったって、相手は小説家だ。フィッシャー論争なんかとはちがう。

 とはいえ、司馬も学界に意見するようになったあたりから、反撃されてもしかたがない情勢になったようだ。しかも、大仰に「史観」呼ばわりされるほど、司馬の筆は冴えていた。また『坂の上の雲』は、単行本の売上部数が2千万部をこえたというから、なおさらだった。たぶん、当時の社会的な人気が、もはや政治的にも無視できず、産経出身の作家が書いた新聞小説に批評家連もだまっていられなかった──そうだとすると、「史観」というレッテルじたいが、洗練された左右の論客が活躍していた時代の徒花だった。現代ならきっと「司馬はネトウヨ」くらいが関の山かもしれない。

 ともかく、えてして大衆の空想する「歴史」とポピュリスト政治家(プーチン含む)が放言する「歴史」はほぼ同じものであろうが、史家のそれとは異なっている。内心の自由とはいえ、それが虚構の世界であることもまた覚えておいたほうがいい。


3)フィクションの政治利用

 娯楽作品をつうじて大衆に「史観」を植えつけたのがわるいというのであれば、かつてのオーストリア帝国の作家、件のイラーセクをめぐっては、さらにたちの悪い状況がある。

 すぐれた物語作家であったにはちがいないとしても、自身も政治運動に加わっていた。チェコスロヴァキア成立後には、議員にもなった。つまり、作品内容以外についても後世の評価を受けることは免れない。

 しかも、橋梁や道路や公共施設の名が冠されなどして「神格化」され、個人崇拝の対象となっていった。死の翌日には、軍に作家の氏名をおびた部隊までできた──第三十歩兵アロイス・イラーセク連隊。デレク・セイヤーによる文化史でもページが割かれていたが、チェコスロヴァキア第一共和政は、学校教育にも「市民教科」が採り入れられるなどして「歴史の民族化」が急速にすすんだ時期ではあった。

 ここまではしかし、降ってわいた独立の熱狂と、急ごしらえの国家で国民統合の緊要にせまられた成り行きとも解される。

 ところが戦後、チェコスロヴァキアが共産化されてのちには、作品が国民教化の具に利用された。クレメント・ゴットヴァルト大統領らによって、イラーセク作品の普及が国家事業として推進されたのだ。

 同政権で、労働・社会啓蒙大臣などを歴任したイデオローグに、ズデニェク・ネイェドリーがいる。イラーセクの作品についても「改稿」と理論的な再解釈を担当した。ブルジョワ出版社による「改竄」を修正し、古典をふたたび人民の手に取り戻す、というのだった。そこでは、イラーセクの文学が「文芸的フィクションではなく、歴史的現実」とされた。

 物理的には、〈民族への伝言〉と銘打たれた叢書という体裁で、イラーセクの代表作『ボヘミアのふるい説話Staré pověsti české(邦訳既刊:『チェコの伝説と歴史』)』が、安価で大量に供給された。学校では講読が義務づけられ、図書館や書店や家庭にあふれるに及んで、共産党にとってイデオロギー的に好ましくない作品を書棚から駆逐することにも成功したといわれる。

 共産党政権がみずからの正統性を印象づけるための「経典」のごときものであった。チェコスロヴァキア共産党は、イラーセクの描くフス派につらなる正統かつ正当な統治者であり、ゴットヴァルトはイラーセクの遺産をいわば「正史」として国民にとりもどした英雄、というわけである。そもそも、共産党が奉じる単純な進歩史観とも相性がよかった。

 15世紀のフス派から延々と民族運動がつづいてきた──という妄想は、象徴的には「イラーセク史観」と呼んでもいいかもしれないが、フランチシェク・パラツキーらの歴史にもとづき、それを独自に発展させたものとされる。さらに、民族派の好んだカヴァー・ストーリーはつづく──17世紀、白山の戦いに敗れたチェスキー民族は、のち何百年にもわたってドイツ人の圧迫を耐え忍び、ついに独立を果たす……。

 19世紀後半の民族主義の傾向にかんして、また別の社会学者の言を借りれば「事実を単純化し、ネイションなどという近代的な概念を、歴史的にとおく隔たった時代に投影することがかなりあった」(Zdeněk L. Suda)。とはいえ、当時のロマン主義者は、どこでも似たようなものだった。民族が時代をこえて実在することを前提とし、あたかもひとりの人物として擬人化したような「神話」のあらすじである。

 日本語の旅行ガイドブックでは、たいていこの手の「神話」が、あたかも自明の真理のように書いてある。極限まで単純化され、歴史というよりも『ゴジラ対メスゴリラ』といった風情である。

 こうした「擬人化民族譚」を読み込んできた向きがプラハなどへ旅に出て、ストーリーに合致した説明を現地の史跡で受ける。それはそれで楽しいことだ。観光旅行としては満点だ。何百年も生きる怪獣たちの活躍にぞんぶん喝采をおくればよい。だが、はるばる日本からもっていった空想的な誤解を補強するだけの旅におわる。

 今日のチェコ共和国でも、アカデミックな業界や知識人をのぞけば、おおくの一般大衆が素朴に「神話」を信じていてもおかしくはない。津田左右吉より前の古事記日本書紀などを思い浮かべればわかりやすい。今では、神武天皇が実在したと信じている者はほとんどないが。けっきょくはヒトラーいうところの「アーリア人」も、この手の架空の存在だった。プーチンが説く「ロシア人」も、ロシア帝国主義の遺風に連なる「神話」ということになる。

 つまるところ、近代国民国家には「神話」が必要なのだというなら、そうなのだろう。あるいは、プラグマティストのマサリクにしても、そういう真意だったのかもしれない。実証史学の立場からヨゼフ・ペカシュらはそれとは妥協できず、論争を巻き起こした。現実政治と机上の学問がぶつかったのだとしたら、結果は平行線に決まっている。さしづめ「怪獣レアルポリティーク対ピュア・サイエンス」だ。


4)歴史と虚構と政治

 そこで「明るい明治」を「暗い昭和」に対置したと責められた司馬になぞらえれば、やはり象徴的に「イラーセク史観」と呼びたくなるのである。ちょうど、イラーセクら民族派バロック期を「テムノ(暗黒時代)」と呼んだものだった。

 また自らを好んで「小さな民族」と称したことも、『坂の上の雲』の濫觴にある「まことに小さな国」と相似形を成している。──というのも、両者は歴史叙述というよりも、物語を盛り上げるためのレトリックであるから、似ていても不思議はないのだ。小さなダビデが大きなゴリアテを倒して以来、好まれてきた物語の雛形であろう。

 いずれにせよ、われら情報化時代の現生人類は、創作と歴史とを区別できるし、それらの政治的な利用についても鼻が効くようになっている……と信じたい。が、そう簡単でもない。今回のプーチン牽強付会にたいしても、いくつもの歴史研究者の団体が声明を出して「歴史」の濫用を批難している。

 他方では、フィクションを書いたり読んだりする愉しみも保障されてしかるべきだ。それは国家によって「必読」とされる性質のものではあり得ない。共産チェコスロヴァキアのような社会が「明るい」と思うひとがあるだろうか。

 むろんイラーセク本人への批判の声もある。それも「民族運動に民話を利用した」くらいなら、まだ手ぬるいほうだ。冒頭のミルカ・ズラトニーコヴァーの謂いは、批判というより罵倒にもちかい。実作家としての心情から出たものであろうが、すくなくとも批評家や研究者の視角をももっている書き手とはいえそうだ。

──つづく。