ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

ヤン・ジシュカのザリガニ

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7a/%C5%BDi%C5%BEka_Jan-Coat_of_Arms.png

 よく一緒に飲む連中のなかに、ニュー・オーリンズの男がいた。いわゆる「ヤナーチェキアン」の音楽家で、ながくモラヴィアに住んでいるが、仕事がない時期はアメリカに帰っていたりする。あるときピヴォを飲りながら、故郷の食文化のはなしをはじめた。したり顔が鼻についたが、ちょうどその頃、ラフカディオ・ハーンの手になるクレオール料理の解説を読んだところだったから、興味ぶかく拝聴したものだった。フランスやスペイン文化の名残りがつよく、生牡蠣をはじめとした魚介類の自慢などは、日本人としては、美味そうだなあという感想のほかは抱きようがない。じっさいジャンバラヤのようなケイジャン料理なら、日本ではお馴染みでもある。内陸国の住民にとっては、怪談じみて聞こえたようだが……。

 そこで、ザリガニ料理の話がでてきたわけだ。フランス料理でもヨーロッパザリガニというのがあるが、食生活の面で保守的な傾向のチェコ共和国では、人気のある食材とはいえない。それにザリガニ・ペストのような流行り病も近年あるそうで、国内に約800箇所ある棲息地にしても、個体数の減少が懸念されているとのことらしい。

 米語ではクローフィッシュと呼ばれ、crawfishと綴られる。語源をしらべると、古高ドイツ語のcrebizまで遡り、もともとcrabを意味したというから、けっきょく蟹のことだ。そして蟹といわれて思いつくものといえば、タラバガニであったり、サワガニであったりするかもしれないが、まあまあ、日本語話者のあいだでは一応のコンセンサスはとれているはずである。平たい本体の両側面から脚がはえており、左右一対の鋏をつきだしている、あの生き物である。

 ところが、大陸ヨーロッパの内陸部には、十脚目短尾下目に属する甲殻類、すなわち日本人がまずイメージするであろうところの、いわゆる蟹を見たことがないひとも多い。それゆえ、天文学占星術で蟹座とか巨蟹宮とかよばれるサインにしても、思い浮かべる生物は、ひとによってさまざまである。結果、挿し絵としては、カニとザリガニの両者が混在している。ドイツ語圏で蟹座といえば、カニの絵の場合とザリガニの絵の場合であることは、半々くらいの割り合いという印象もあるが、たほう内陸国たるチェコ共和国で蟹座となると、タブロイド紙などにみる「きょうの星占い」欄のイラストには、例外なくザリガニが描かれているのである。ちなみに現代のドイツ語ではKrebs、チェコ語ではrakといって、ふつうカニとザリガニの区別はない。

 とはいえ、ザリガニの姿かたち自体は、そのほかの場面でもなかなかに親しまれている。さしあたり、ザリガニの意匠として、ふたつの例を思いつくところである。

 プラハから西へすすみ、ざっと50キロといったところか。クシヴォクラーツコの自然保護区を過ぎると、ラコヴニークという町がある。人口は1万5千ほど。その名称(Rakovník)からして、ザリガニ(rak)を含んでいるわけだが、市の紋章にも、赤いザリガニがあしらわれているのである。これも推測するに、ベルリーンの市章が熊(ベーアBär)であったり、ミュンヒェンの市章が修道士(メンヒMönch)であったりするような、語呂合わせに由来した紋章(カンティング・アームズ)の一種だとはおもうのだけれど、いちおう謂れというのがあるらしい。

 伝説によると、ひとりの粉挽きの男が、家族とともに小川のほとりに暮らしていた。ところがあるとき飢饉におそわれ、男はあっさり亡くなった。絶望した妻は、子どもたちと心中を図った。致死性の毒を有するとされたザリガニを小川でつかまえてきて、最後の晩餐に供したのだ。しかし、何も起こらなかった。それどころか、子どもたちはザリガニの味が気に入ったらしく、もっとくれと要求する始末だった。この噂は周囲にひろまり、人びとは小川にやってきて、こぞってザリガニを獲った。そうやって飢えから救われた人びとが定住し、のちのラコヴニークの町が形成されたのだ、と。それで、茹でて真っ赤になったザリガニを市章とするようになったそうである。あとづけの創作であるとは思われるものの、飢饉の際はいわずもがな、現在より多くのひとがザリガニを平素から食用にしていたということは、あるいはあったのかもしれない。

 いまひとつ、ザリガニの意匠として思い出すのは、ヤン・ジシュカである。15世紀のボヘミアで、異端の咎でヤン・フスが火刑に処されたのち、ジシュカはフス派の信徒らを率いてカトリック勢力と戦った。いわゆるフス戦争である。プラハのヴィートコフの丘には、軍が運営する無名兵士の廟や博物館や展望所があるけれども、そのまえに巨大なジシュカの騎馬像が立っており、一体の追悼施設を成している。軍神・楠木正成にも通ずるような、チェコスロヴァキアナショナリズムにとって欠くべからざる歴史上の人物であった。

 くだんのヤン・ジシュカの紋章とは、つい20世紀になってから発見された。1378年の封蝋に、不明瞭ながらザリガニの紋が押印されてあったのだという。色彩についても、銀地に赤いザリガニであったと推定されている(上掲の画像)。

 象意に関する紋章学の書を繙けば、ザリガニ紋というものが、伝え聞くヤン・ジシュカの人物像にどれだけ合致した旗印であるか、よくわかる。ザリガニすなわちrakとは、不撓不屈、反抗、生存能力の象徴であるという。その爪に挟んだ対象を、引き裂くまで決して放さないからであると。また、汚れのない水辺に棲息することから、清浄さ、純粋さのシンボルでもある。さらに、鋏を失っても生きつづけることから、生命への永遠の渇望を意味するとも記されている。──ここまでくると、おおよそ出来すぎていて、20世紀に発見された封蝋というのも、ゼレナー・ホラの法螺吹き手稿のごとき、政治家か劇作家による狂言ではないかとの疑いもいだくほどである。いずれにせよ、勝ち虫とも呼ばれた蜻蛉が武将に好まれたという日本の小噺をおもいだせば、むしろそのありふれた発想の、いわば大衆性に感心するところではあった。

 とまれ、さいきん外来種のザリガニが生態系を脅かしていると報道に聞き、筆を滑らせてみた次第である。

ヤン・フスの宗教改革 (平凡社新書0947)

ヤン・フスの宗教改革 (平凡社新書0947)

 

*参照:

www3.nhk.or.jp

www.nikkei.com

 

 *上掲画像はWikimedia.