ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

タリアーンの謎──知られざるプラハ名物?

 むかし、ある友人がプラハで雑誌の編集者として勤めはじめたころ、見つけたばかりだという酒場に招いてくれた。といっても、はなやかな表通りから脇へはいった路地裏の地味な店で、メニューの内容のほうも、建物の内装におとらず簡素なものだった。

 どうやら博士課程の学生のころから金銭感覚が変わっておらないらしく、「どうだ、プラハプルゼニュがこの値段だぞ」と、店の唯一の長所をアピールする友人であった。

 「プルゼニュ」というのは、いわずもがな「ピルスナー・ウァクヴェル」のことであるが、日本では「ウルケル」として定着してしまっている。「ボヘミアンピルスナー」スタイルのビールとして「元祖」にして随一の製品で、たいていどの店でもほかの銘柄よりも価格が高めに設定されている。

 しばらくして、卓上にあったアクリル製のメニュー立てをひっくり返すと、ふしぎな単語が目を引いた。

 ──タリアーン。

 日本語でも「メリケン粉」など、語頭音消失の例を思い浮かべれば、語頭の母音が脱落した「イターリアン」に由来する語だろうと類推できた。じっさい、現代チェコ語ではイタリアの国号は「イターリィェ」というふうに発音されるが、スロヴァキア語では「タリアーンスコ」のように言う。

 いずれにせよ、イタリア風の酒の肴なのだろうと解した。友人はおもしろがって、正体を訊ねても教えてはくれず、そのかわりに「たのんでみろよ」とのたまう。

 はたして、店の女将さんがもってきたのは、皿に載った色白のソーセージである。加熱してはあったのだろうが、熱々というのにはほど遠かった。生ぬるい表面はぶよぶよしていたし、粗く挽かれた肉片は硬めのゴムのようで、風味は淡白……しょうじき不味かった。

 「白いソーセージ」と聞くと、バイエルンミュンヒェン名物のヴァイスヴルストが思い浮かぶ。未明からつくりはじめ、午前中には売り切ってしまうというのが「伝統」で、それだから午後になるともう、ありつくことが原則的にはできない。釜揚げうどんのように、湯につかったままテーブルに出てきて、おのおの皮をむいていただくのだ。きめの細かいなめらかなテクスチャに、甘く仕上げてある粗挽きのマスタードをつけると、口のなかで面白いコントラストになる。絶品である。

 両者とも、白っぽい加工肉にはちがいないが、あまりの格差に愕然とした。

 店には、タリアーンの名の由来を知っている者がなかった。それに、これに懲りてからというもの、もう注文することもなくなってしまって、すっかり忘れてしまっていた。

 けれども、それから何年も経って、「食肉加工業者連盟」のようなサイトに掲載された記事をみつけた。それで、かつて記憶にのこるほどの感銘をうけなかった、あのタリアーンのことを思い出したわけだ。ググってみると、ほかに記事もみつかった。

 ──19世紀から20世紀にかけての話。エマヌエル・ウッジェというのは、名前からしてイタリア系のひとだが、プラハに育った。ハプスブルクの帝国全体を見渡せば、そういうひとは珍しくもなかったはずだ。

 旧市街に現在も在るリブナーという通りは、中世以降になると精肉職人が集住していたといわれ、とりわけ南から中間部にかけては「肉屋街」のような名称だった時期もあるらしい。ところが別のソースには、当時の旧市街に加工肉業者はまれだったと、ほとんど真逆とも思える記述が見られることもある。

 肝心の製品のほうは、燻煙せずに湯煮しただけのソーセージで、当時は大人気になって、そうとう売れたらしい。特許を取得しなかったために、ほかの業者もにかよったものを製造販売しはじめたのだという。

 公共放送の記事には、原材料も紹介されていた。

・豚もも肉900gにたいして、若い牛のもも肉100g。
・24gのプラガンダ(亜硝酸ナトリウムを含む、岩塩や糖類から成る製品の商標名)。
・大蒜ひとかけ、2gの胡椒、すりおろした生姜が少々、カルダモンがひとつまみ。

 いい部位をつかいながら、スパイスも効かせている。──じつは担がれたのか。ヴァイスヴルストほどの繊細さはないにしても、原材料からすると、ちゃんとした店で試してみれば旨いのかもしれない。

 発案者の特徴的なイタリア姓から、はじめ製品も「ウジョフカ」と呼ばれたが、やがて「タリアーン」と呼ぶ者ばかりになったという。すなわち、個性的な名すら忘れ去られ、たんに「イタリア人(みたいな名前の野郎)がつくったやつ」と認識されるようになったわけだ。

 むかしから変わらぬ、大都会プラハの不人情を感じてしまう。

 

*上掲画像はエマヌエル・ウッジェと息子(Wikimedia