ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

アロイス・ラシーン(1)──『滅亡した帝国』

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 アロイス・ラシーンの名は、経済学に明るい向きなら、あるいはご記憶のことだろう。来たる10月18日は、生誕154周年という計算になる。

 ラシーンは、第一次大戦時のボヘミアにおいて、カレル・クラマーシュらとともに、反ハプスブルク「抵抗運動」を指導した人物でもある。君主政崩壊の瞬間に権力を掌握した五人組のひとりで、建国の日付けをもって「10月28日の男」と呼ばれる。また政治家としては、チェコスロヴァキア建国後、初代の財務大臣として独自通貨を発行し、この価値の維持につとめた。

 『滅亡した帝国』は、チェコスロヴァキア建国から100周年の節目に合わせて、2018年にチェコ共和国の公共放送(ČT)により制作・放映された、独立の立役者の伝記的物語である。原題は_Rašín_ラシーン)。

 先日のヒルスネル事件をあつかった『無実の男』同様、前後編の2部構成で、おざなりの日本語字幕はほぼでたらめである。その代わり、Amazonプライム会員でなくとも、各話50円で購入が可能。割り切ってご覧いただきたい……

アロイス・ラシーン

 プラハの中心部をながれるヴルタヴァ川の右岸には、岸壁にそって遊歩道がもうけられていて、いつも地元のひとでにぎわっている。

 イラーセク橋の袂まで来ると、「ダンシング・ハウス」と呼ばれる、フランク・ゲーリーが手がけた場違いな印象の現代建築がある。そのあたりから、南のヴィシェフラト方面へと伸びる大道が「ラシーン河岸通り」である。そう呼ばれるのは、ビロード革命後の1990年からではあるにせよ、かつて1924年から1941年まで用いられた名称の復刻であった。

 いっぽう共和国第二の人口を擁するブルノでは、市内でもっとも高い尖塔をもつ聖ヤコブ教会のまえの通りが「ラシーン通り」である。

 同市でも歴史的にふるい通りで、記録の残る18世紀以降「死者街(トーテンガッセ)」とか「教会街(キルヒェンガッセ)」とか「リヒテンシュタインガッセ」とか変遷し、アロイス・ラシーンの名が冠されたのは、当人が暗殺された1923年のことであった。こちらも保護領期から共産期にかけては改称されており、革命後の1991年にラシーンの名が復活した。

 もとより民族派ないし右派の政治家が、街路に名をのこすことなど、共産体制下ではありうべくもなかった。要は、共産党が試みたダムナティオ・メモリアエ(記憶の破壊)の一例にすぎない。

 とはいえ、これら大都市をのぞくと、どれだけの町で紀念・顕彰されているのだろうか。想像するに、あまり多くない気がするのだ。たしかにラシーンは、現在のチェコでも学校で習うほどの歴史上の偉人で、それも後世にとどろく高い名声によってはいるものの、存命中の評価はさんざんで、すくなくとも晩年は国民に不人気の政治家だった。それも、その政策と頑迷ぶりのせいである。

 それにしては、権力の座についていたのは、ほんの短期間にすぎなかった。チェコスロヴァキア共和国の成立した直後に、初代の財務大臣を8か月だけつとめ、その3年半あまりのち、路上で撃たれたときは、シュヴェフラ内閣で2度目の財相に就任して数か月というところだった。

 当時、あらたな通貨の発行と安定が、急ごしらえの独立国家・チェコスロヴァキアにとって焦眉の課題であったことは間違いない。当初は、オーストリア=ハンガリーのクローネ紙幣に、一枚づつ印紙を貼りつけて、チェコスロヴァキア・コルナ紙幣とした。このさいに、回収した紙幣のうち、半分の額だけを市中に戻すというやり方をした。その後、この通貨の価値を安定させるためとして、確信的に緊縮とデフレ政策をとったのだ。その意図は、主として「国家の品格」のために通貨の価値を高値でたもつことにあったとはいえ、庶民や左派からは怨まれた。が、結果的には、のちに近隣諸国が苦しめられたインフレを回避することに貢献した、とも後代では評価されるところだ。

 この点、白川と黒田の日銀両総裁にかんして巻き起こっている批判をながめていれば気がつくが、時代や文脈や論者の立場によって政策の評価は変わってくる。ブレーキとアクセルに喩えればよいものか、時空を超越して絶対的に「白黒」つけるというのはあり得ない。くわえて昨今、前の菅ガースー政権の支持率下落にさいしても素朴な疑問をもっていた。そもそも「緊急事態」などという危急の際に、国民あらゆる層の切迫した要望を平等にみたすことのできる政治家など存在するのだろうかと。

 ……ちょうどこれと同じ論法で、ラシーンを擁護していたのが、近代史家のヤナ・チェフロヴァーだった──「国家公務員、知識人、自営業者、大ブルジョアジーの利益を同じ次元で守ることは非常に困難であったと言わざるを得ない」。

 そこまではよしとしても、ラシーンというのは、おそらく性格的に「ほどほどでやめる」ということができなかった。二期目の財相就任後にはまた緊縮財政を志向して、おもに社会保障を攻撃しはじめた。とりわけ1922年12月のとある会議において、シベリアなどから復員してきたチェコスロヴァキア軍団員を非難した。ボヘミアにとどまって「抵抗運動」をつづけ、投獄までされているラシーンとしては、元軍団員だけが特権を享受している状況が不当にみえたにちがいない。ひろく大衆に慕われるようになっていた元軍団員らを、恩給や種々の利権にむらがる「寄生虫」呼ばわりし、国民には「祖国への無償の奉仕」の必要をうったえたのだった。だが、これが新聞に曝露されるや、軍関係者や右派を中心に各層の猛烈な反発を招いた。ラシーンの直情径行がいまや、左から右まですべて国民を敵にまわしてしまった。

 ところが、ひとたびラシーンが銃撃に遭って病院に担ぎ込まれると、マサリク大統領をはじめ、政治指導層はこのテロ事件を最大限に利用せんとした。民族、宗教、歴史、文化、自然条件にいたるまで「一体性というものを欠いていた」チェコスロヴァキアなる人工的で脆弱な国が、精神的に瓦解してしまうのを阻止しようとしたにちがいない。

 ラシーンが発行人をつとめていた『民族新聞』の紙面をみると、まいにち各界のコメントが掲載され、そこにラシーンの体温や脈拍や血圧まで記載してある。かつて、昭和天皇崩御する直前の時期につたえられていた「ご容体」報道を髣髴とさせる。病室への「ラシーン詣で」も行われた。その病床でラシーンが絶命したのちには、盛大な国葬が執り行われ、またすでに述べたように大都市で目抜き通りの名称に祭り上げられたり、アルフォンス・ムハがデザインした20コルナ紙幣に肖像が採用されるなどして、悲劇の英雄として神格化されてゆく。

『滅亡した帝国』

 2018年制作の『滅亡した帝国』は、夫人がのこした手記を手がかりに、ラシーンの「脱神話化」に挑んだ作品といえる。作中に描写されるのは、仕事のことを四六時中めぐらせつつも家族と時間をすごすラシーンであり、獄中にあって歳上の友人を気づかうラシーンである。つまりは、家族愛と友情をテーマとする、べたなメロドラマである。まちがっても、歴史の謎を解き明かすがごときドキュメンタリー作品ではない。そのあたり誤解をまねきかねぬような邦題は、作品の趣旨からも相当ずれている。

 しかるに、メロドラマの長所とは、史料や資料からはかならずしも捉えきれないディテールを、情感ゆたかに再現してみせてくれるところだ。あるいはそれこそが、このジャンルの存在意義といえる。

 肖像写真をみれば、眼光するどく、そうとうの強面である。反ハプスブルク地下活動あがりの不撓不屈の闘士。なにより政策実現にかけては「狂信的(ファナティツキー)」と形容されるほどの頑迷固陋の徒で、マサリクやクラマーシュにかぎらず、とりわけ政見をめぐっては他人とは一切の妥協をゆるさざるがごとき印象をあたえる。そのいっぽう、あらゆる政治運動のオーガナイザーとして大いに評価されてもいるところに、矛盾とは言わぬまでも、二面性のある想像し難い人柄を感じさせるのが、このラシーンだった。──しょうじき、3年前にこのメロドラマを観るまでは、どうしてラシーンが一部で好かれている風なのか、まったく理解していなかった。

 演ずるオンドジェイ・ヴィェトヒーは、『コリャ──愛のプラハ』(1996年)以降、日本の映画ファンにも知られている。同作では、先日なくなった伝説的な女優、リブシェ・シャフラーンコヴァーとも共演していたものだった。さわやかな生真面目さを感じさせる演技ではあるけれど、史書や肖像にみるラシーンは、もっと陰険な感じだ。よくいえば、もっと凄みがある。後述するが、ラシーンに「ソフトな」イメージを過剰に欲したのは、ほかならぬ監督であったのかもしれない。

 第一次世界大戦中、地下活動に従事してもいたラシーンは公安に追われ、ついに投獄される。いちばんの見どころは、この監獄のシーンであろう。なかんづく、年齢にしろ七つも離れたカレル・クラマーシュとの、政治的信条のちがいをもこえた友情だ。

 上司と部下といってよいものか、険悪になりがちな職場関係にくわえて、育ちも国家観もまったく異なっている。クラマーシュがラシーンを党の副代表の地位にとりたてたり、首相のクラマーシュをラシーンが財相という立場で支えることになったとはいえ、書物から空想するかぎり両者は仲がわるいにちがいないと思い込んでいたけれども、映像には別種の説得力があった。汎スラヴ主義という、自身が生まれたときにはすでに破綻していた時代遅れの「誇大妄想」に拘泥するクラマーシュであったが、それを痛烈に指摘してなじりつつも、ラシーンは決してこの年長の盟友を見棄てることはなかったのだ。ヴィェトヒーの表現によって、そのことが暗示される。

 クラマーシュは、もともとブルジョワの坊々で、肖像から受ける印象のとおりの性格で描かれている気がする。つまり、ふだんは鷹揚で、ややもすると横柄なふるまいだが、極限状態には弱い。だから、ハプスブルクの官憲に逮捕されるや、すぐに神経を衰弱させてしまう。また、それを演ずるミロスラフ・ドヌチルの演技がすごい。とりわけ動揺したときの様子が、クラマーシュそのひとだ。もちろん、じっさいのクラマーシュは存じ上げないけれど、きっとあんな感じだったろうと思わせるのが役者というものだ。

 はんたいに、20代のときにもいちど政治犯として収監されてもいるラシーンは、逆境につよい。房のなかでも気丈にふるまい、なにかとクラマーシュの世話を焼く。そんなラシーンが用意してくれたひと皿にも、クラマーシュはけちをつけるのだ。当時の監獄では、まともな食事にありつけるだけでも幸運であったろうに。要は、そういうふうに人となりが描写されているわけだ。まるで囚人の日常のごとく、灰色の単調さと退屈さのなかにも、ささやかな感動がひかる作品になっている。

 これを演出したイジー・スヴォボダ監督の活動は、近年では公共放送向けの作品制作が多いらしい。ウェブでフィルモグラフィーをながめていたら、2005年公開の『ビロードの殺人者たち(Sametoví vrazi)』が、個人的には最後に劇場で観たスヴォボダ作品だとおもいあたった。かなり昔だ。これにしても、ビロード革命後に、資本主義的な欲望に呑まれて人を殺めるようになった、元警官の話だったと思う。やはり、共産主義者の恨み節のような映画だった。というのも、同監督は代議院議員も務めた共産党員で、1990年代には党を指導する地位にもあったのだ。

 じつは『滅亡した帝国』は、共産党員としての監督による、ラシーンへの「罪滅ぼし」を企図した作品だ──ということを主張していたひとがいた。たしかに作品は、いわば「すばらしき人格者」としてラシーンを描いているわけだが、さすがにどうなのだろうか。しかし、上記の映画『ビロード殺人』の記憶がよみがえってきたら、にわかに仮説に賛同したい気もしてきた。──つづく。

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