ウラシマ・エフェクト

竜宮城から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。日欧ブログ……?

チェコ語におけるドイツ語からの借用語

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 さいきん、Kurzarbeitというドイツ語がスラヴ語圏のメディアにあらわれるようになった。直訳すれば「短い労働」ではあるが、コロナ禍の影響で、賃金労働者の勤務時間が短縮されて稼ぎが減った分を、雇用主が解雇しないことを条件に国が補填するような仕組みを指している。雇用調整助成金の訳語をあてたものかどうか。むろん共産圏には存在するはずのない概念であって、ソ連邦の旧衛星諸国のメディアには、このご時世でもあるからして翻訳されずにそのまま流通している。1910年のドイツ帝国に遡る制度であるにせよ、いわゆるリーマン・ショック後は周辺国にも普及した。

 日本語では、ドイツ語からの借用語というと、アルバイトとかゼミとかグミとか意外なところにも残っている反面、ほとんどは医学や社会科学、山岳用語といった限定された分野の術語が主体であると思われる。カルテ、クランケ、カテゴリー、ゲマインシャフト、ゲレンデ、ザイル等々だ。ところがチェコ語のなかで生活したことがある向きは、日常会話でも毎日のようにドイツ語由来の語彙に遭遇することに気づくであろう。それ抜きにして会話するのが不可能にちかいほど、文語から口語までひろくみられるのも、ボヘミアモラヴィアの歴史を繙けば当然に思える。近代語をつくりだすときに、すべてを翻訳しきれなかったわけだが、それはそれで日本の学習者には幸いであった。

 たとえば、基本的な語彙に含まれ、一語で言い換えが困難と思われるものから挙げてみると、cukr(砂糖 Zucker)、drát(金属線、電線 Draht)、klika(扉の把手 Klinke)、malíř(画家 Maler)、malovat(絵を描くmalen)、studovat(研究する studieren)、špíz(串 Spieß)、švagr(義兄 Schwager)、tancovat(踊る tanzen)、trůn(玉座、帝位 Thron)などがある。špekもslaninaの一種であるSpeckとすれば訳しようがない。

 また、sako(上着、テイラード・ジャケット)はSakkoから来ているが、ドイツ語といっても標準的な語ではなくオーストリアの謂いで、首都がウィーンであった関係上、自然こういう例が多い。akkuratを語源とするakorátは「まさに、ちょうど、きっかり」といった意味ではつかわれるものの、標準的なドイツ語にある「入念な」という意味ではたぶん用いられない。オーストリアからバイエルンにかけての用法と共通している。

 20世紀初頭までのドイツ語の言語地図を見るとよくわかる。典型的にズデーテンと呼ばれる土地は、ボヘミアをぐるり囲む領域というイメージがあるかもしれないけれども、モラヴィアおよびシレジアにも伸びていて、くわえてドイツ語話者が優勢であった町がさらに内陸にも点在している。一種の言語島である。たとえばモラヴィアでは、どちらかというとプロイセンにちかいオルミュッツ(オロモウツ)では中部ドイツ語、ウィーンにちかいブリュン(ブルノ)では上部ドイツ語、といった色でそれぞれが示されている。それが島に見えるわけだ。

 人名なども、ドイツ語の発想がないと理解できぬ習慣や発音が多い。Jan(ヤン)をHonza(ホンザ)と称するのはなぜか。Josefをどうしてヨゼフというふうに読むのか。ただし、それがどうして愛称でペパになるのかは、イタリア語も関わってくるドイツ圏全域の習慣である。

 口語ないしスラングから、隠語(ジャーゴン)まで視野をひろげると、よりふかく地域差も関わってくるので手に負えない。方言というやつである。

 だが、たとえばブルノ市の路面電車が地元でšalinaと呼ばれていることは、いまどきプラハの人でも知っている。「Elektrische Linie」とか「Elektrische Stadtlinie」が語源といわれている。むろん標準的なチェコ語では、英語起源のtramvajである。ブルノは典型的な言語島であったから、「ハンテツ」と呼ばれる地元だけで流通する語彙のなかに、豊富にドイツ語由来の表現が残っている。

 いっぽうtrinkgeltなどは、おそらくどこでも通じる口語表現であろう。むろんTrinkgeldに由来する。飲み代に加えてウェイター等に少し多めに支払う、例の金子である。文語ではspropitnéである。酒場のスラングには多いのではないかと思う。štamgastは、Stammgastの音写であって、やはり常連客を意味する。zahlenに由来するzacálovatなども、知っておくと便利かもしれない。「お勘定!」という風に使うひともある。

 さらに業界の符丁にちかい隠語となると、日本語の事情と同様、綴りもわからないものも多い。苗字にもあることから、švarcと書くのであろう表現は、ドイツ語のschwarz(黒い)の音写にちがいない。原語では法に触れることを全般的に暗示する場合に用いられる色彩であるのに対して、チェコ語では、とりわけ雇用関係に関わる法的な「グレイゾーン」ともいうべき特定の事象を指す。現代の日本語で「ブラック」といえばやはり、会社の労働環境における特定の傾向を暗示する隠語となっているが、なかなかの奇遇である。商売といえば、kšeftなどは、Geschäftが語源であろうが、思い返すと商売人の連中は「売り上げ」から「儲け」くらいまでの曖昧な意味合いで、会話中に頻繁につかっていたものであった。

 最後に、日常会話で比較的よくでくわすと思しきものを選んでいくつか列記することで、検索サイトからご訪問いただいた諸氏の便宜に供したい。ドイツ語が第二外国語だったなどという向きには、チェコ語学習を始める際の取っ掛かりにもなる。日本の教育環境やドイツ語の学習人口からすれば、ひとつのコースであろう。あきらかに方言と思われたものは省いたが、自信はない。とはいっても、そのあたりはネイティヴの人びとのほうが無自覚であって、主に学校でことばを覚えた母語話者でない者にむしろ分がありそうな点は、日本語でも同様。え、これ方言だったん、わしゃ知らんかったわ、というやつだ。とまれ、学習者なら自分のノートをひっくり返せばたぶん記入してありそうな程度のものであるから、悪しからず。

  • blinkr:方向指示器(Blinker)
  • biflovat se:猛勉強する(büffeln)
  • deka:毛布(Decke)
  • fabrika:工場(Fabrik)
  • fajn:(体調などが)よい(fein)
  • fajnšmekr:食通(Feinschmecker)
  • falšovat:偽造する(fälschen)
  • fertik:完成、完了した(fertig)
  • fešák:洒落者、伊達男(fescher Mensch)
  • finta:フェイント(Finte)
  • flaška:ボトル(Flasche)
  • furt:いっつも、あいもかわらず(fort und fort)
  • kafe:コーヒー(Kaffee)
  • kára:カート、手押し車(Karren)
  • kasa:レジ、お会計カウンター(Kasse)
  • manšaft:ティーム(Mannschaft)
  • mašina:マシーン(Maschine)
  • pantofle:スリッパ(Pantoffeln)
  • šnek:蝸牛、カタツムリ、でんでん虫、マイマイ、ツブリ……(Schnecke)
  • šňůra:(靴などの)紐(Schnur)
  • špitál:病院(Spital)
  • taška:バッグ、袋(Tasche)
  • trefit:命中する、当てる(treffen)

 

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