ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

胡瓜の季節

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photo by Pavel Timanov

 ひとたび夏の天候が大暴れすると、甚大な被害をもたらすことがある。

 チェコ共和国では6月24日、南モラヴィア県の南部に竜巻が発生した。同日の夜から全土で荒天に見舞われており、まいとし降雹の被害がでる季節ではあるものの、竜巻は想定されていなかった。5人の死者をふくむ数百人規模が被災し、600戸の家屋に損害が出たと伝わっている。

 現場はオーストリアとの国境沿いの地域で、ブジェツラフの先、フルシュキ村の付近で発生し、ホドニーンあたりまで東進したと思われている。そこまでの間に位置する、フルシュキ、ティーネツ、モラフスカー・ノヴァー・ヴェス、ミクルツィツェ、ルジツェ、といった村々の被害がとりわけ甚大であったようだ。そのうちいくつかは知る人ぞ知る、大モラヴィア国の埋蔵文化財で聞こえた地名でもある。

 翌日ドローンで上空から撮影された映像がSNSなどで公開された。屋根がはがされ、窓や壁が破壊された家々がみられた。ひどいものであった。構造材におおきく損傷をおったばあいには、ぜんたいを取り壊す必要がある建物もあった。

 こうしたときの対応はどこの国にも共通している。現場で作業する有志を募り、金融機関は義捐金への協力をよびかけた。政府は家屋再建に要する資金の拠出を表明したけれど、保険にはいっていたひとがいい面の皮だと、批判するメディアもあった。いずれにせよ、復旧にもそれなりの時間がかかりそうだ。

 ──これを「きゅうりのとき」というのかもしれない、とよく目にする語をおもいだした。ドイツ語やチェコ語で「(酢漬けの)胡瓜の季節」といえば、臥薪嘗胆、雌伏のとき、正念場、じっと我慢の子……そんな語義がおもいうかんだわけだ。

 ところが、あらためて辞書をひいてみると、どうもそうではなかった。じっさい上記のように使う人があるということは派生した用法なのかもしれぬ一方、やや齟齬のある意味合いではあった。

 Sauregurkenzeit(Saure-Gurken-Zeitとも綴られる)という語であるが、三省堂の『クラウン独和辞典』には⦅戯⦆として「 (政治·商売などの)夏枯れ時.」とあり、また三修社の『新現代独和辞典』には、⦅俗⦆として「閑散期, 夏枯れ時(政治・商売の).」とある。

 6月になると夏休みムードがただよい、政治や商売の動きがにぶる。すると、新聞は書くことがなくなって、そのように称したのだといわれる。キュウリを収穫するのは、たしかに夏季にはちがいない。けれども俗説によると、この語が指しているのは、むしろ冬であるという。野菜の採れぬ冬季に、酢漬けのきゅうりを喰ってしのぐ様子を表現したものだと。つまり、季節については議論の余地がありそうだが、とまれ、ながらくこの解釈で記憶していたのだ。

 じつのところ語源としては、イディッシュの「悔いと改めの時期」が訛って、そう聞こえたのだというけれども、そうであれば、収穫期であろうが消費シーンであろうが、そもそもキュウリとは関係がないことになる。それだからか、チェコ語にはokurková sezóna、すなわち単に「胡瓜のシーズン」としてとりこまれた。こうなるともはや、酸いか甘いか、加工されているかどうかすら定かではない。字面とは裏腹に、季節はますます曖昧である。

 ググってみると、Wikipediaにも複数の言語で立項があった。英国ではキュウリの出番はなく、silly season(ばかげたシーズン?)がこれに相当する、とある。19世紀にさかのぼる、もっぱらジャーナリズムでつかわれる用語らしい。北米では、dog days of summer(夏の犬の日々)と、唐突にも犬が現れる。フランス語では「死の季節」ないし「栗の季節」、スウェーデン語ではずばり「ニュース日照り」というらしい。ドイツ文化圏のようにキュウリがでてくるのは、ほかにノルウェイ語くらいなもので、スペイン語の「夏の蛇」というのは、この時期に新聞を売るのに、書くに事欠いて、あの如何わしいネス湖の「蛇」の目撃談などが紙面をかざるようになるさまを表現しているという。

 とすれば、さいきん英国のタブロイド紙が、あるフランス人サッカー選手の日本滞在中に撮影された私的な映像を「差別だ」として採り上げたのも、季節柄いたしかたないのかもしれない。SNSに大論争がふきあれたようだが、同紙にとっては思う壺だったにちがいない。

 この時期、天候不順による災害の報道ばかりで気が滅入るのもたしかである。しかしだからといって、センセーションをつくりだすために、魔女狩りのごとくマスメディアが跳梁するのもまた、釈然としない。いずれにせよ、なかんづくこの時期のゴシップからは距離を置くことだ。

 ちなみに、この「ガーキン」などと呼ばれる、酢漬けにする小型のきゅうりは、件のモラヴィアでも栽培されている。とりわけズノイモ(ツナイム)市といえば、名産地としてつとに名が高い。訪れたさいは、その瓶詰めが土産になるかもしれない。もっとも、おなじズノイモ特産でも、ワインのほうが喜ばれるのは必至であるが……。

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Wikimediaより