世界中で一斉におなじことを体験する機会というのはめずらしい。延期になったオリンピックなど、スポーツ観戦ならあり得るが、それだって興味のない者は観ない。
こうなってみると、各国で焦眉の課題にのぼったのは、石油でも天然ガスでもなく、マスク資源の確保である。マスク外交を展開する中国にしてみれば、これまでばら撒いてきた金品やパンダ外交よりも、はるかに安上がりに一帯一路戦略をすすめてゆけることとなった。たとえば、チェコ共和国バビシュ首相の中国大使への態度が、マスクをめぐって豹変したと『日経』の電子版が報じている。時代は、札束よりマスクだ。
この地域におけるマスク争奪の様相をめぐっては、AFPが報じたニュースがわかりやすい。中国がイタリアに寄贈したはずのマスクが、どういうわけかチェコ共和国内で密輸品として押収され、さらに押収品を当局が地元の医療機関に分配したと知らされるや、イタリアのメディアは、チェコ政府による窃盗である旨、断罪した。
いっぽうチェコ共和国のマスク事情に関して、賛嘆の声もあがっている。外出時の装用が義務化されたため、それまでほぼゼロであった着用率が、わずか10日間のうちに100パーセントになったと伝えられたのだ。これに連関して、イレナ・コチーコヴァーなる人物が、市民による手製マスク推進の経過について報告している。それによると、社会起業家らによってソーシャル・メディア上にマスクづくりのグループがいちはやく立ち上げられ、そこでノウハウが共有された由で、ひとつの仮説として、政府の遅々とした対応への怒りがこの運動を動機づけているという。低く抑えられている現在までの死者の数をみれば、成果までも伴っているといえるのかもしれない。
信用できない政府を相手にした人びとの面目躍如、あるいは修羅場といえば、三十年前のビロード革命である。
Rさんは、格安の学費に惹かれ、政治学の学位を取得するためにチェコ共和国に留学していた。ニューヨークから来た、アフリカ系の知的な女性であった。文科省のプログラムで関東某県の中学校で英語を教えた経験もあったからか、日本から来ていた中学生めいた中年に、なにか母親のように忠告をしてくれることもあった。
──チェコの人を信じてはだめ。平気で嘘をつく人たちだから。
聞けば、カレッジを卒えて初めてやったことが、NGO団体での人道援助活動で、ビロード革命後のプラハにいたという。修羅場であった。食糧が配給される際にも、はったりをかまし、嘘をつき、他人を出し抜く人びとを目の当たりにした。
──そうしないと、この国では生きていけないのよ。
逆にいうなら、そうまでして自分と家族を守る人たちでもあった。もとより政府も神も信じていないのだから。
Rさんの見立てはごく主観的なもので、むろん革命前後の変化を比較するデータなどありはしなかった。だから、どこの誰でも食糧に窮したらそんなものだろうと、まず思った。それから、連中が嘘つきなのは、きっともっと昔からだと。たとえばあのよく槍玉にあがる、面従腹背のシュヴェイクの時代から。いずれにせよ、なにか大きな事件や災害を経験したことによって地域全体の人びとの行動様式が不可逆的に変化する理屈だとは、その当時、受け取らなかった。
しかし、まもなく東日本大地震が起こった。震災の前後を比べると、日本人の振る舞いもどことなく変わったように見えたのだった。さらに、この手製マスク運動の顛末を参照するに及んで、そういうこともあるかもなと、Rさんの仮説を思い出したのだ。
いま、世界中の人びとが同様の事象を経験していて、多かれ少なかれ似たようなストレスにさらされている。つまり、われわれは人類に共通する文化を獲得しつつあるということか。それが、マスク装用以上のものであるかどうかはわからないが。
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