ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

ゆく年のベートホーフン

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photo by Taylor Deas-Melesh

 2020年は、ベートーヴェン生誕250周年であった。この、せっかくの観光客万来の年だというのに、こうむったのは疫病さわぎの冷や水であった。「ベートーヴェンハウス」を擁するボンやウィーンの関係者はさぞや、ほぞを噛んだことであろう。

 どうして「ベートホーフン」など、原語の音にちかい表記がメディアに採用されていないのか、ふしぎでならなかった。音にさとい音楽関係者たちがよく平気でいられるものだと。250周年を機に、いっせいに切り替えたらよかったのに。報道機関がロナルド・リーガンを「レーガン」に訂正したのは、よっぽど早かったらしいが、アンゲラ・メルケルが「メルクル」に直されるのはどうやら、任期切れの2021年9月までなさげである。さいきんは学校の教科書もルーズベルトから「ローズヴェルト」になっているらしいというのに……。

 詮ないこととはいえ、気になるたちである。日本語に正書法がない以上、けっきょくは、おのおのの業界の慣行に合わせるしかない。英語圏をはじめ、世界の演奏家や批評家たちのあいだで会話するには、ベートーヴェンと言ったほうが通りがよいのではあろう。スペイン語圏の発音に至ってはベートーベンと音写されるはずで、かなり日本語にちかいのではないか。とはいえ、オリジナルだけが例外的な発音というのもなんだか、いっぽ日本を出たら世界中でハラキーリ、フジヤーマ、カマカーゼ、サヨナーラだった──みたいな話だ。

 さて、ベートホーフンといえば、とりわけ年の瀬には「第九」すなわち「歓喜の歌」でお馴染みであるが、この楽曲は現在では「欧州の歌」としても知られている。原詩をものしたのが、かのフリードリヒ・フォン・シラーであった。

 ウィーンの中心部、オーペァンリングとエリーザベト通りをはさんで、ゲーテの坐像と向かい合うように佇むのが、シラーの立像である。その名も「シラーパルク」という、こぢんまりとした公園になっている。いっぽうテューリンゲンのヴァイマルには、ゲーテとシラーが並んでたつ像がある。19世紀後半の作というが、じっさい行って見てみたら、どうもポーズが劇的すぎる気がして、旧東独だけにソーシャリスト・リアリズムっぽさを感じてしまった。いずれにせよ、シラーといえばゲーテゲーテといえばシラーといったところがあるほどの友誼であった。

 そういえば両者の表記とも、19世紀からギョッテとか、シルレルとか、いろいろの変遷を経ている。いつだかSNSで文献学的に考証してまとめていたひとがいた。ゴェーテとシラァあたりが、もとの音っぽい気がして好みではあるのだが。ほかにも歴史的にはさまざまな表記があったいっぽう、共時的にみてドイツ文学をはじめ、現代ではどの界隈でも同じような表記がつかわれているようであるから混乱もすくなく、なにより、もっと原語の発音から遠い表記もあることをおもえば、ゲーテとシラーが無難であろう。……この話はきりがない。

 チェコ共和国では、かならずしもドイツ系ということを意味するわけではないにせよ、いまでもドイツ姓のひとがそうとう多い。秋口に訃報がつたわったイジー・メンツルもそうであった。じつにこのシラーさんとて、「シレル」にちかい音で発音されるものの、いらっしゃるわけだ。ほかでもない、アレナ・シレロヴァー現財務大臣が該当している。女性の苗字が原則的に-ová(-オヴァー)という語尾となるのは文法に由来する習慣であるが、シレロヴァー(Schillerová)さんの男性の家族は「シレル」さんであるはずで、綴りもかのシラー(Schiller)と同一である。

 シレロヴァー財相に関しては、元次官の経験からくる実務能力が買われたらしく、アンドレイ・バビシュ首相の肝煎りで起用されたが、むろん、民意の洗礼を受けていない「貴族政治」という批判もある。それでもやはり特殊な年であったがため、2020年には存外に活躍の機会があった。各種の補助や補償金の給付制度はもちろん、この年末には税制改革までやりおおせた。会計上のいわゆるスーパー・グロス賃金の見直しをともなう大掛かりなもので、話題になった。SNSで自らの手柄をアピールするのも忘れないが、親分とはちがってインスタ派のようすで、ツイッターでも各種の立法などを広報している。ちょっと気どった面持ちでいつも写真に収まっており、じつはけっこう出たがりなのかもしれない。

 政治の事件もSNSで知ることも多くなってひさしい。おもえば日本の総理を筆頭に、年の初めと終わりでは、人が交替してしまっているポストもすくなくない。チェコ共和国でいえば、ヴォイティェフ元保健大臣などは、春にはツイッターでさかんに感染症対策について広報をおこなっていた。このひとも「バビシュ・チルドレン」のひとりだった。あのころは、未知のウイルスへの不安もあってか、どこの国でもひとは熱心に情報収集に努めていた。たとえばドイツ語圏にはクリスティアン・ドロステン、北米にはアンソニー・ファウチというカリスマ的な権威がいて、人びとは注意ぶかく、こうしたひとの発言を追ったものだったし、ある程度までは今でもそうにちがいない。けれども、ほかのたいていの「普通の」国では、こうしたウイルス学や感染症学といった学界のスーパースターがいることは、まれである。次善の方途として、政府の対策にかんする情報くらいはタイミングよく知りたくなるというのが人情だったのであろう。よくわからんけど、政府のいうことにつき合おうと。

 人間の馴化のすばやさを目のあたりにしたのもまた、2020年だった。それまで習慣のない国ぐににおける、マスク装用の普及などは最たる例である。それでもあれ以降にも、疫病とのつきあいかたというか、規制との折り合いのつけ方や態度も、だんだん変わってきているような気もする。慣れというのもあるだろうし、またワクチンがすでに開発されてしまった事情もあるのだろうけれども。

  春から夏にかけてのころだっただろうか。100年前のスペイン風邪に関する書籍が、平凡社東洋文庫〉の公式サイトにて無料で公開されていた。『流行性感冒スペイン風邪」大流行の記録』といった。読まれた向きも多かったとおもう。資料が充実していて、大正時代の官僚の手によって、ありとあらゆる情報が網羅されていたことに嘆じつつ、読みふけってしまったのも、なんだか遠い昔のことにようにも思える。ひとつだけ、往時の臣民の流行り病への態度の移り変わりのようなものは、記述が薄かったようにおもうのだけれど、どうだっただろうか。なお、内務省衛生局の報告自体はデジタル化されていて、国会図書館の「デジタルコレクション」から閲覧することもできる(流行性感冒)。

 ベートホーフンの「交響曲第9番」が、日本ではじめて本格的に演奏されたのは、このスペイン風邪のさなか、徳島の捕虜収容所であったという説がある。疫禍から解放されたとき、やはり人びとに歓喜は満ちていたのだろうか。それとも感覚はすでに鈍磨していたか。もしくは、疲弊してそれどころではなかったか。実際には、それぞれだったろう。いずれ、2021年もなかばを過ぎれば、あるいはわかることかもしれない。

 

*参照:

book.asahi.com

natgeo.nikkeibp.co.jp

sp.universal-music.co.jp

 

www.bbc.com