ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

ケリーメク──チェコ共和国の次期連立政権?

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photo by Robo Michalec

 アドヴェントも第三主日がすぎたというのに、いぜん疫禍の騒ぎはつづき、ヨーロッパではドイツ連邦共和国を中心に規制が強められている。いつも冷静なメルケル連邦宰相が悲憤慷慨しつつ国民に協力を訴える姿が報じられていたが、隣のチェコ共和国も、政府の対応策をめぐってそうとう揉めている。

 チェコ政府は人びとが接触する機会を減じるために、ふたたび対策を強化する予定である一方、国民の10人中6人は規制を気にしていないという調査結果が報じられた。公共放送の調査によると、3/5にあたる人びとが、来たるクリスマスの休暇中に家族や友人との接触を避けようとは思わないと回答したという。

 それにもかかわらず、メディアに掲載された記事では、北ボヘミアの店主が嘆く。「いまどき酒場をつづけるのは自殺行為で、もうその愚を犯すつもりはない」。営業の制限によって損害を受け、すでに廃業してしまった店も多い。「中小企業協会」なる団体によると、同国の外食産業では1/5に相当する企業が倒産すると推計されている。

 ところで、チェコ共和国で「coffee to go」という業態が流行ったのは、もう10年はまえのことになるだろうか。「Go To」ではなく「To Go」のほうである。新奇性を醸すためにわざわざ英語の表現をもってくるのは、どこでもやることだ。スタバの店舗は当時まだ見あたらなかった。すでにウィーンまでは進出していたのではないかとは思うが。

 この週末に話題になっていたのは、共和国のヤン・ブラトニー保健大臣が、この手のテイクアウトのコーヒーに言及した件であった。すでに飲食店の営業は20時までに制限され、公共の場でアルコール飲料を消費することは禁じられている同国であるが、ウイルス感染の状況は期待されたほど改善されなかった。そんななかで、通りでコーヒーを片手におしゃべりをする人びとの姿が、医師でもあるブラトニー保健相の目にとまったらしいのだ。国民は紙コップ入りのコーヒーを悪用している、とまで言ったらしい。というわけで、コーヒーの販売も禁止する意向だとつたえられた。

 さっそくこの話がSNSの俎上にのぼり、束の間の盛り上がりを見せた。プチ炎上である。あわてたのは、共和国首相アンドレイ・バビシュで、コーヒーの販売が禁じられることはないから安心してほしいと発表し、陳謝する事態となった。たしかに、もし実施されていたらば、根拠に乏しいゆきすぎた規制であって、およそ常軌を逸している。もとより、利用者たちにしろ大手メディアにしろ、公式の発表を待たずして閣僚の発言を取り上げ、勝手に憤っているのだから、世話ない話ではある。けれども、それだけ政権への不信感が拡がってもいるのであろう。

 ちなみに、この種の紙製ないし樹脂製のカップ容器を指すのに、チェコ語では、kelímek(ケリーメク)というとくべつの語がもちいられる。トルコ語からポーランド語を経由してはいってきた語だという。語源的には陶器に関係しているともいうが、焼き物やガラス製の食器類にはふつう用いられない。

 ケリーメクで思い出したのは、ミロスラフ・カロウセク元財務大臣である。中道右派の政党・TOP_09の創設者にして、元代表でもある。晩秋の候であったが、この御仁がビールのはいった「ケリーメク」を手にして微笑む画像がでまわって、ちょっとした祭り状態となった。政府によって飲食店での飲み食いが禁じられて間もなく、レストランで飲酒した旨の報道がもちあがり、それが揶揄されたのだった。

 いまや野党の一議員にすぎぬとはいえ、立場上、責められることもまた仕方がない。かといって「自粛警察」よろしく、目くじらを立ててもきりがなかろう。春のロックダウンの時節には、オーストリア共和国のファン・デア・ベレン連邦大統領すら、ウィーン市内のレストランに制限時刻をこえて滞在し、警官の注意を受けたものだった。罰金を請求されたのではなかったか。

 それに、どうやら知己の店を訪ねたものらしいから、酌量の余地もある。飲食店経営にかかわる友人や知人がいたら、だれしも思い当たるふしがあるにちがいない。しかも、ほかならぬTOP党のことである。結党された2009年には、政権与党の疑獄事件で既存の政党が国民に厭気され、たんに目新しさからという以上に注目をあつめた。党代表に、なかんづく都市部で絶大な人気を誇った外務大臣、シュヴァルツェンベルク侯が担ぎだされたことも大きかった。とくに身のまわりで外食産業にかかわる自営業者のなかに支持者が意外にいたことが記憶にのこっている。案の定というべきか、翌年の選挙でおおくの票を得、いきなり連立政権の一翼を担うことになった。とりわけ、実質的な結党者たるカロウセクは、ひょっとすると地道にドブ板的な戦術をとったのではあるまいか。古いタイプの政治家で、バビシュ首相のようなポピュリストとは対極に位置する印象がある。想像だが──共感力を欠く政府が守ってくれぬ以上、飲食店の経営者としては野党に縋るしかない。カロウセクはといえば、窮状にある有権者と膝をつきあわせ、その声に真摯に耳をかたむける政治家を自認すればこそ、「まあまあまあ」と主人に手ずからピヴォを注がれて「ナ・ズドラヴィー」の唱和をむげに拒否するわけにいかなかったのではないか。

 もともと化学徒で、南ボヘミアの郷里で洗礼を受けたという。以前はキリスト教民主同盟=チェコスロヴァキア人民党(KDU-ČSL)にいて、党首までつとめた人物である。市民民主党(ODS)のミレク・トポラーネク内閣では、財相として入閣した。どこの政府でも重責を担う反面、よほどのことでもないかぎり派手に表にでるポストでもないし、それ以降もとりたてて話題になったということも覚えがない。当時のことで思い出されるのは、いわゆる「サルカ事件」くらいだろうか。

 脱線ばなしになる。日本の野村グループの会社が、もとの国営銀行であった投資・郵政銀行(IPB)の株式を取得したものの、その後のチェコ共和国政府の差別的な扱いから甚大な損害をこうむり、国連商取引委員会に仲裁の申し立てが行なわれた。『デジタル大辞泉』によれば、IPB株を取得したのは、野村のオランダ法人で「サルカ」社ということになっているが、のちの野村ホールディングス社の発表では「ノムラ・プリンシパル・インベストメント」社とされている。ともかく、結果としてチェコ当局の投資保護協定違反が認定され、賠償責任が生じた。けっきょくは和解が成立したとつたわったが、すぐ後に担当大臣に就いたのがカロウセクだったと思うのだ。事後処理に奔走する姿が報じられていたものと記憶する。

 ところで、党名にある「TOP」とは、「伝統、責務、繁栄」のそれぞれの頭文字に由来するという。なにか「神学書を読んでいるとでくわすキーワード・トップ3」めいていないだろうか。ついでに、つづく数字は西暦の下二桁であるから、これがイエス・キリストの出生にかかわる暦であることは言うまでもない。つまるところ、公式サイトの紹介を裏づけるように、キリスト教ユダヤ教の価値観がバックボーンにあることを明示しているわけだ。親EUを旨とするのも、文化的にキリスト教共同体としてのヨーロッパを念頭におけば諒解しうるが、欧州懐疑論を弄しがちなポピュリスト政党とは一線を画している。そもそもカロウセクがKDU-ČSLと袂を分かつことになったのも、党内の属人的な抗争に端緒があったにすぎず、両党の立ち位置におおきな相違があるようにはおもえない。それだから、最近ではODSをくわえた中道右派の3党で共同の歩調をとっている。

 同国の公共放送が週末に報じた直近の世論調査によれば、TOP党は、10月の選挙以降、0,5ポイントほど支持を落としており、5ポイントの支持率をもつにすぎない。しかしながら、ODSの11,5とKDU-ČSLの4,5をくわえると、3党の合計は21ポイントに達する。これは、さいきん躍進の目ざましい海賊党の20ポイントを抜き、バビシュ首相率いるANO党の25ポイントが視野にはいったことを意味する。件の3党はつぎの選挙に協働してあたるというから、これを要するに、ともすると中道右派による連立政権が将来的に成立する可能性がでてきた。

 現在のバビシュ政権というのは、首相本人が実業家も兼ねるため、成立当初から利益相反の疑いがあった。これに関しては、新年早々1月中にも、EU当局による最終的な調査報告書が出来するとされている。さらに自身が関与する企業によるEUからの補助金の不当な受給の疑惑がいくつもあり、モラヴィア・ベチュヴァ川の汚染事故にかかわる疑惑などももちあがっている。連立を組む社会民主党(ČSSD)との閣内不一致にいたっては常態化していた観もあるが、足元では感染症対策をめぐっていっそうの紛糾がみられる。シリア難民の問題も、今は昔。おそらく潤沢な資金にくわえ、自社従業員やステークホルダーの動員によって選挙にはいくらでも勝てるのかもしれないが、けっきょく目下の輿論が推す理由は、疫病に抗する「戦時内閣」であるという以外にはよくわからない。

 なおTOP党は、すでに昨2019年以降、マルケータ・アダモヴァー代表が率いている。この30代の若い党首は世代相応に、SNS上でも積極的な発信をしている。前述した数多の疑惑についても、追及に余念がない。だが如何せん、典型的な野党の異議申し立てのかたむきがつよく、したがって政権の批難ばかりが目立つ。それはよしとしても、ローマの大カトーよろしく、さいごにかならず「バビシュは政権を去るべきだ」というような言わずもがなのひとことを添えるのだ。なにか芸がない。面白みがない。たぶん具体的な政策についてあまり煮詰まっていないのだと思うが、ほかに言うことがない。

 名誉代表として党にとどまるシュヴァルツェンベルク侯も高齢で、この12月10日に83歳をむかえた。となるとなおさら、まだまだカロウセクのような人物が必要とされている──とまでいえば、とりわけアンチにとっては余計なお世話であろうが。とまれ、なにしろ相手は巨大コンツェルンで私腹を肥やしながら、自営や中小企業にはコーヒーの販売すら禁じかねない政権なのだ。カロウセク本人はフス戦争に名高いターボルの生まれという。聖杯派ならぬ「ケリーメク派」の攻勢に期待したいところではある。