ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

アンドレイ・バビシュの壺皿(1)

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photo by husnerova

 チェコ共和国政府が4月17日、ロシアの外交官18名に退去を命じた。それは2014年に国内で起きた弾薬庫爆発に、ロシアの機関が関与したことを理由にしていた。どうして今になって6年半ほど前の事件の真相が判明したのか、という素朴な疑問については、前回すこし触れた。その後、事態は両国の外交官の追放合戦に発展した。チェコ側が、ロシアの外交官が工作に関わっていたことを理由に挙げたのもふしぎはなかった。

 米ソ冷戦終結後の1991年、当時のチェコスロヴァキアに駐留していた赤軍部隊は撤収し、ほどなくソヴィエト連邦も崩壊した。ところが、後身のロシア連邦はひきつづき、プラハ・ブベネチュの広大な大使館のほか、30をかぞえる地所、100にのぼる車輛など、他国にはみられない巨大な外交資産を維持して、スロヴァキア分離後のチェコ共和国への影響力の保持につとめた。

 報道によると、直近の人員は140名で、アメリカの外交官の76名、中国の31名とくらべても、いかにおおきい数字であるか、よくわかる。このうちの多くのが諜報員ないし工作員として活動しており、弾薬庫の爆破にも関わっていたというのが、チェコ側の言い分の真意であった。

 23日には、ウクライナ国境地帯に集結していたロシア軍が、撤退を開始したと報じられた。それでもチェコ国内にあっては、市民のあいだの反露感情が目に見えて昂まっていった。すでに18日、プラハロシア大使館前で、種々の抗議をする人びとの姿が報道されていたが、23日には、ブルノ市に在るロシア領事館の門扉にケチャップがかけられた様子までが報じられた。

 こうした状況のもと、沈黙を守ってきたミロシュ・ゼマン共和国大統領が、25日午後になってやっと声明を発表した。自らの口から弾薬庫爆破事件をめぐる見解を、カメラのまえで国民に開陳したのだった。ところが同大統領は、かなり鷹揚な調子の演説のなかで、ロシアが関与した決定的な証拠の存在を否定した。捜査の過程でいちど否定された「過失による爆発」説をむしかえし、ロシア・GRUによる工作の線との両面から捜査をつづける方針を説いたのだ。親露派として知られる同大統領が、ロシアをかばったものと視聴者に映ったのも当然であった。興奮した国民感情を逆撫でし、火に油を注ぐがごとき結果となった。

 週末にはいった29日、プラハやブルノなどで、ゼマン大統領に抗議する抗議集会やデモが行われた。プラハでは数千人規模に達したと報じられた。ちなみにウクライナがらみも含めて、こうした「親西側」のデモが行われるさいは、プラハではヴァーツラフ広場で檄を飛ばして始めるのが定番で、ブルノでは最近はドミニコ会広場で催されることが多い。暴力を批判する勢力とて、危険はないとはいえ、巻き込まれたくない向きは近づかぬほうがよい。通信社・ČTKの推計では、ブルノの集会には約800人が参加したとされるほか、プルゼニュ中心部では300人ちかい参加者の集会があり、オパヴァでは約200人のデモ、ズリーンでは約100人のデモがそれぞれ行われたという。これをČTKやDNES紙が熱心に報じているのにも相応の背景があるわけだが……。

 あくる30日には、追い討ちをかけるような報道が出来した。2回にわたる爆発のあいだの時期にあたる2014年11月、ゼマン大統領は中央アジア歴訪の一環として、タジキスタン共和国を訪れている。その際、同行した代表団のなかに、アイメクス・グループ社のオーナー、ペトル・ベルナチークがいたというのだ。つまり、爆破された「商品」の主である。そしてタジキスタンといえば、実行犯が視察という名目で現地入りするさい、それを同社に掛け合ったのが他ならぬ「タジキスタン国民警護隊」であった。そのような仕儀で、ゼマン大統領による公式訪問じたいが、警察の捜査対象になっていることもメディアによって確認されたという。要は、大統領みずから、なんらかの役割をはたした疑いが持ち上がっている。火に注がれる油とは、もっぱら情報のことである。

 ところで情報といえば、去る19日、チェコ共和国政府は「ハイブリッド介入に抗する国民戦略」を閣議決定したことが伝わっている。いま話題の「ハイブリッド脅威」への対処の方針を、30箇条で規定しているもので、ロシアに対する毅然たる政府の態度を示したかったものと思われるも、外交官の追放の発表と同時に準備が進行していたことになる。戦略の策定そのものは、2016年に行われた国家安全保障監査によって国防省に指示されてはいた。しかし、このタイミングでの発表は、何を意味するのであろうか。これが国家安全保障会議で審議されており、週明けの19日にオンライン閣議によって承認される予定であることを、17日にいち早く報じたのはたとえば、政権与党・ANO党の事実上の機関紙、DNES紙である。

 こうした動きは全欧的なものであるし、どこの国であっても、国内における破壊工作は脅威には間違いない。公共放送(ČT)が紹介した調査によると、61%の被験者が安全上、ロシアをなんらかの脅威と見做しているという。これは公共のラジオ局が民間の企業をつうじて実施したアンケートらしかった。ただ、10%の回答者がまったく脅威はない(žádná hrozba)としていたところを、ことさら強調した番組の意図するところは、なんだったのか。また、この情報番組では、ロシアの外交官を「ゴキブリのよう」とまで形容した。しかし、たとえばこれがNHKだったらば、公共の電波で放送しおおせた表現だろうか。極端な物言いは、敵愾心をことさら煽り、隠れ親露派を剔抉するかのような「犯人探し」ないし「魔女狩り」を招きかねず、ひいては国民の分断を助長するだけではないのだろうか。

 しかしそれこそ、こうした状況を仕組んだ者の意にちがいない。要するに、こうした反ロシア・反ゼマン大統領の風潮が勢いを増す束の間、追及の手が緩むことを望んでいたのは誰か。ANO党代表にして共和国首相、アンドレイ・バビシュにほかならない。つづく