ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

西ボヘミアの醜聞──サッカー協会の腐敗

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photo by Daniel Kirsch

 亡くなったマラドーナは、ピッチにあがるたびに十字を切っていた姿が印象に残っている。ほんの思いつきの乱暴な仮説だが、カトリック諸国のサッカーは、ドイツやイングランドとはやはり一味ちがうのかもしれない。おしなべて「母ちゃん」が強い国々で、それが聖母マリア信仰から来ていると措定するのは安直に過ぎるだろうか。おおかた母に褒められるためにボールを蹴りはじめ、長じてクラブにスカウトされるなどすれば、街路や村を出てスター選手への道がひらける。一種のラテンアメリカン・ドリームか。プロ選手になってからも、試合のたびにその母ちゃんを筆頭に一族郎党が応援しにやってきては、お祭り騒ぎをくりひろげる。

 旧共産圏には旧ユーゴスラヴィア諸国のような強国もあれど、無神論サッカーはまた筋が違う。中東欧といっても、いまは正教会サッカーといったほうがよい国もあるだろうし、むしろカトリックなのに、というポーランドのような国もあるにはある。いずれにしても、冷戦が終わって、近隣にブンデスリーガセリエAプレミアリーグリーガ・エスパニョーラが降って湧いた国々だ。けっきょくは資金のあるクラブが国境を越えて優秀な選手をひっぱっていってしまうから、どうしてもスポンサーの細い国のリーグは不利である。くわえて、汚職もはびこりがちである。袖の下など顕在化しなくとも、ほうぼうの酒場では目のさといファンが噂している──この試合もどうせスパルタが勝つんだろ、そういうことになってるんだ。どうしてだろうな、え? ほんとにつまんねえよな……。なにがしか賭けていれば、なおさら鋭い視線を試合に向けることになるから、人びとを騙すのは至難である。

 さて、マラドーナからこういう自由連想に至ったのは、さいきんのボヘミア西部からの報道に関係している。

 先月なかば、チェコ共和国サッカー協会(FAČR)の副会長を筆頭に、審判員など総勢20人が逮捕されたという報道があった。プルゼニュ地区のサッカー協会において、大規模な審判員の買収があったとされ、また同副会長には協会の資金を横領した嫌疑もかけられている。折しも、欧州選手権の予選スケジュールが着々と進行するなかでのニュースであった。

 そのロマン・ベルブル副会長というのは、地元プルゼニュのひとで、元警察官。一時期は国家保安部(StB)の防諜部門にも在籍していたと報じられている。その後、サッカー協会の審判員に転じた。欧州サッカーの審判にはどういうわけか警官や元警官が多いから、警察時代の職階がのちのちまで人間関係に影響を及ぼし、それが頭角を現すきっかけになったのではないか。けっきょく直近では、チェコ・サッカー界の「ゴッドファーザー」とも目されていた。

 試合の判定に不当に関与していた疑いについては、然もありなん。以前から囁かれてはいた。それがここにきて公共放送の取材からも、複数の関係者を巻き込んでのやらせ判定の数々が具体的に明らかになっている。国外のオンライン・ブックメーカーやマフィアとの関係はまだ判然とはしないものの、何らかの関係があったことが推定されており、おぼろげながらサッカー界全体への影響力の行使の形が見えてきている。いまおもえば、数年前に事情通による内部告発のていで、協会の「マフィア的運営」が非難されたこともあったのだ。

 さらに横領の容疑が逮捕後に出てきた。とはいえ、当局は過去2か年にわたって個人資産を捜査していたというから、証拠がそうとう固まっているらしいことはわかる。タックス・ヘイヴンとして知られるセーシェル諸島に登記上所在する会社「ルガス・コーポレーション」をつうじて、事業ないし資産を管理していたという情報も報じられている。ひょっとすると、5年ほど前に話題になった「パナマ文書」に関連した筋のリークもあったのかもしれない。

 ああ、やっぱりな、チェコだし、サッカー協会だし、元警官だし──と断じてしまうのは気が早い。裁判官が有罪といっていない以上、推定無罪の原則に反する。にも拘わらず、なかんづくタブロイド紙などが不動産などの個人的な資産をリストアップして報じるなどしているわけであるが、これは私刑にちかい。

 しかしながら、ありふれた疑獄事件と異なるのは、市民にひろく被害意識が共有されている点であろう。といっても、賭け事をたしなむ層のみではあるが。昨2019年にチェコ共和国の国民がギャンブルに費やした額は3892億コルナにのぼり、そのうち「スポーツくじ」を含む「ロテリイェ」と呼ばれるカテゴリーでは約166億コルナ、日本円にしてざっと800億円ほどになるという。単純比較はできないとしても、日本のtotoやBIGといったスポーツくじに関して「令和元年度売上」が「約938億円」であったと発表されていることに鑑みれば、かなりの額ではないだろうか。人口規模では東京都よりも小さな国なのだ。この層が憤っていればこそ、報道の過熱は避けられない。いかさまではないかと訝っていた競技に身銭をむしられたと感じ、そのうえ横領ときいては、腹の虫もおさまるまい。

 疫禍の現状にあって、世界では無観客による試合がおこなわれることが多い。忘れがちではあるがこれは、観客が主催者側を完全に信頼していることが前提にあり、その信頼のみに拠って成立している興行スタイルである。それだから仮に、選手や審判らをはじめ、放送にたずさわる関係者の全員が結託していたらば、どうなるのか。ヴィデオ判定(VAR)すら、おおよそデジタル技術によってどうとでも加工できる世である。極端な話をすれば、映像スペクタクルによって、大がかりな賭け銭の詐取も理論上は可能となろう。ちょうど、映画『スティング』で描かれたような犯行だが、遠隔でやるのだから容易いはずである。そうなったら最後、無神論サッカーの面目躍如だ。マラドーナが奉じた神はそもそも不在であり、くわえて現場に証人もいないときている。担がれたと勘づいた視聴者がいたとしても、ブーイングによる弾劾はこれまで同様、津々浦々のバーやお茶の間でむなしく響くのみである。

 ゴッドファーザー本人と逮捕された審判員らがじかに関与していたと疑われるのが2部や3部のリーグであることも、慰みにはなるまい。実際のところは、わかりゃしない。それだけに、ことはサッカー協会の信用問題に関わっている。むろん協会としては、これを背任として告発できないか検討中で、12月8日に開催される会合で決定される見込みと伝わっている。

 さて余談だが、そんな八百長にまみれたチェコ共和国のサッカーがひときわつまらなかった時代に、何度か観戦に行ったことがある。最初はよく覚えている。当時、留学で同国ブルノ市に滞在していた知己が誘ってくれたのだった。モラヴィア近代史の大家といえども、留学当初の言語の学習に明け暮れていた時期には、スポーツ観戦が無上の息抜きになりえたのではないか。ルールさえ知っていれば、言葉がいらないからだ。じっさい、よく応援に通っていたらしく、スタジアムにも慣れているふうであった。かといって、こちらには先入観があったので気が進まなかったが、けっきょくお供することにした。──結論からいえば、愉しかった。

 ブルノのクラブ・チームは当時、束の間のスポンサーだった建設会社の名を冠し「スタヴォ・アルティケル・ブルノ」と呼ばれていた。現在の「FCズブロヨフカ・ブルノ」である。閑散としたスタンドに、けっして多くはないが熱心なサポーターが前のほうで興奮した表情で声援を送っている。ピッチをみれば、経験豊富なカドレツや、若いパツァンダといった巧みな選手たちが、よく動いていた。

 ミロスラフ・カドレツというのはすでに選手としての峠は越えていたのかもしれないが、チェコスロヴァキア社会主義共和国時代からの代表選手で、1990年代にはブンデスリーガで幾度か優勝したカイザースラオテルンで活躍していた。ミラン・パツァンダのほうも卓越したフォーワードとして定評を得ており、のちプラハのスパルタに移籍して優勝も経験することになる。

 ボビ・ツェントルムというスタジアムもぱっとしないどころか、むしろ荒廃の極みであった。けれどもそれがまた、小学生の時分に「読売クラブ」の試合を観に行った、地方のグラウンドを髣髴とさせるような寂れ具合で、ぎゃくに好ましく思えた。やがて「読売ク」が「ヴェルディ川崎」になり、「東京ヴ」へと変遷していったように、Jリーグ発足から日本のサッカーが商業化に成功して爾後、環境が変化しつづけていったことを認識させられる。が、あの時はたんにノスタルジーに浸っただけだったのかもしれない。

 いずれせよ、決闘には証人の立ち会いが不可欠である。神がいても、いなくても。そして証人を務めることは、中継映像の画面を眺めることとは決定的に異なる。なにより愉しい。これを機に業界の膿も一掃され、ついでに感染症も撲滅され、できるだけ早くスタジアムに証人たる観衆が戻ることを願ってやまない。