ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

マサリク・サーキットの危機?

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photo by Jiří Rotrekl

 エリシュカ・ユンコヴァー(1900-1994)といえば、初期モータースポーツにおいて名を残した、チェコスロヴァキアの女性ドライヴァーであった。2020年11月16日にGoogleの記念のロゴ“Doodle”に採用されたらしく、生誕120周年を迎えたことは、それではじめて知った。

 1900年の同日、オーストリア=ハンガリー帝国の領邦モラヴィアオロモウツに生まれた。学校で簿記やドイツ語を学んだことで、齢16から銀行づとめをはじめ、そこでのちの夫に出逢ったのがレースとの邂逅でもあったらしい。1928年7月15日、夫のチェニェク・ユネクとともに出場したドイツ大会、ニュルブルクリンク・サーキットで事故に遭う。助手席に乗っていたエリシュカは軽傷で済んだが、夫は頭部に重傷を負い、死去した。このあたりは、こんにち「Wikiなんとか」にも書いてある。

 思い出したのは、おなじモラヴィアでもブルノ市郊外に在る「マサリク・サーキット」であり、それにまつわる昨今の報道である。

 というのも、エリシュカは夫を亡くすと、レースのほうは引退してしまったが、くだんのマサリク・サーキットの開設に力をつくしたのだった。因縁のニュルブルクリンクを参考に、チェコスロヴァキア初の本格的サーキットの建設を主導したのである。1929年に、大統領マサリクは自らの名を冠することを承諾し、建設費の600万チェコスロヴァキア・コルナは、けっきょく大統領府が後援することになった。現在でも、主に二輪車の競技に使用されており、とりわけロードレース世界選手権("MotoGP"と全クラスを俗に総称)のチェコGPの会場となっている。1990年代以降は、毎年のように日本人選手も出場し、いくども優勝の栄誉に輝いている。

 2000年前後のことになるが、ふとした折り「ブルノ」の風聞を開陳したのは、テューリンゲンの大学町の医師であった。周囲に訊けば、共産圏では珍しかった本格的なサーキットを擁し、そのため旧東ドイツではよく知られた町なのだ、と。それだから、ブルノの側でも一定以上の世代になると、サーキットを町の誇りとしているひともある。

 ところが先日、来年度の世界選手権のスケジュールに記載できない状態がつづいると、報道があったのだ。路面の状態がわるく、安全を保証できないためだ、とはプロモーターの言である。老朽化のためであろう、補修は喫緊の課題であった。つきつめると、ひとえに予算の問題である。路面の事情が改善をみれば、8月上旬開催の枠でまだ登録申請できると、大会主催者側は述べていたのだが。

 そのころ、南モラヴィア県のボフミル・シメク知事は10月の選挙結果を受けて、間もなくの退任が決まっていた。そのため、ブルノ市長のマルケータ・ヴァニュコヴァーに対応を委ねた。ところが、同市長と先週あらたに就任したヤン・グロリフ知事は、別の問題に直面したようである。すなわち、補修の費用を拠出するかしないかという問題とともに、サーキットを会場登録するための費用の問題が横たわっていた。開催が危ぶまれる所以である。

 折しも当年は5年契約の更新が予定され、登録料というのか、1億2000万コルナの費用が見込まれていた。とはいっても、ご案内のとおり、世界中が催し物をとりやめたり、縮小せざるを得ない疫禍の年である。そこで主催団体の代表者は納める額について、今年度のみ無観客で開催して100万ユーロ(約2700万コルナ)とし、来年度は観客をいれて600万ユーロ(約1億6200万コルナ)とすることで、ロードレース世界選手権の諸権利を管理するドルナ・スポーツ社と合意していた。これに、市と県は一致して6000万コルナの拠出を承認しており、国からもそれぞれの開催に8500万コルナの補助が期待されてはいた。だが、ここでレース開催の断念を行政が決断すれば、補修の費用として見込まれるという数億コルナとともに、応分の財政の節減ができる。感染防止やそれに附随する不況への対策費の足しにするのであろう。そこで目下、政治と関係者とのあいだで綱引きがつづいている模様である。

 ことし9月下旬には悪疫による死者の累計が、人口規模で同等のスウェーデンと比して大幅にすくないと胸を張ったチェコ共和国首相アンドレイ・バビシュであったが、秋以降の感染拡大の結果、11月半ば現在でのそれは6200人を超え、かの国を追い越してしまった。世界に目を転じても、ワクチンを開発中の独ビオンテックの共同創業者、ウール・シャーヒン教授は、ふつうの生活がもどるのは来年の冬である、とBBCに語っている。となると、来年8月の観客を動員しての開催というのも、ありえないことになる。いっぽうIOCのバッハ会長などは、来夏に延期された東京五輪の予定どおりの開催に自信を見せたと伝えられてもいる。いずれにせよ、情勢は、予算以上にまだまだ不透明である。

 費用そのものの問題はどうしようもない。それでも、世界選手権へ参加する第一の政治的な意義が国威発揚であることをおもえば、こんな感染症騒動さえなければ、自治体も国も費用の負担にやぶさかではないはずであると思われていた。しかし、マサリクを称えたヴァーツラフ・ハヴェルもいまは亡く、それだけマサリクの威光も求心力を失っているということもあるのかもしれなかった。一般企業への命名権売却という方策は、やはり国民の威信にかけても避けたいところなのか、それとも思いついていないだけなのか。もっとも、この時局では成功する保証もない。ひょっとすると、仮に「毛沢東サーキット」と改名しうるとしたらば、パンダをこよなく愛するゼマン大統領が悠々と北京からの援助をひきだしおおせたのではあるまいか。あり得ない想定は措くとしても、命名とはかくも大事なものである。

 けれども、そもそも今のご時世、そろそろ化石燃料を炊く乗り物の競技にはスポンサーが付きにくくなってきても致し方ないとも思われる。政府の補助がしづらくなるのも、あるいは時間の問題であろう。直近では、英国が2030年以降のガソリン車の販売を禁ずるという報道があった。ホンダのF1撤退の報も、この観点からの経営判断だとすれば、おおいに理解できる。エリシュカ・ユンコヴァーがブガッティを駆って活躍した時代は、もはや遠くなったのだ。

 

*参照:

www.bbc.com

www.auto.cz

www.stuttgarter-nachrichten.de

 

*今年8月の開催時の様子:

www.youtube.com