ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

癲狂院のヨーゼフ2世

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photo by urashima-e

 承前。2020年2月20日は、1790年のヨーゼフ2世崩御からちょうど230年に当たっている。最期は肺病であったというから、だいぶ衰弱していたことだろう。耳ざわりのよいおべんちゃらでお茶を濁すことなく、「快復の見込みはない」と直言した侍医は賜爵の栄に浴したというが、これもヨーゼフらしいエピソードだ。

 ヨーセフィニスムス、すなわちヨーゼフ主義と呼ばれる政策は、啓蒙主義にもとづく合理的なもので、先進的なものでもあった。農奴解放令や宗教的寛容令はむろん、もっとも高く評価されるところであろうが、くわえて行政と裁判の分離、拷問の廃止、検閲の廃止を打ち出したし、臣民に移住権、職業権、結婚権も認めた。領主が課す賦役や労働地代を順次、現物や貨幣地代へ転換することも進めた。それで教会や領主など既得権益を失う者から疎まれたのも無理もなく、分野によってはヨーゼフの死後に反動もみられたが、けっきょく現代のわれわれには当然となっているものばかりだ。現代人はもっとヨーゼフ帝に感謝してもよい。

 今日の観光資源という観点のみから思い出してみても、多くのものを遺したといえる。宮廷の地所を一般臣民に開放して、ウィーンのプラーター遊園地やブルノのルジャーンキ公園を開設したり、AKHと呼ばれる一般向けの病院を設置するなどした。モーツァルトに、庶民にもわかるドイツ語でつくるようにと発注したオペラも、『後宮からの拐かし』として結実した。いずれも、現代の観光客にもかかわりのある文化遺産といえる。

 時代が下って1892年、ラジャンスキー広場、現在の呼び名でモラヴィア広場(Moravské náměstí)に建立されたヨーゼフ像は、今でいうブルノ市の中心部・自由広場の方角を向いてそびえ立っていた。当時すでにドイツ系住民とスラヴ系住民の反目は激化の一途で、両者の緊張は最高潮に向かっていた。結果、チェコスロヴァキア成立後の1919年、軍団員を自称する暴徒らによって、ヨーゼフの立像は打倒されてしまう。ハプスブルクの遺跡遺構や文化財の命運については、もう帝国領ではないのだからと、おおかたの市民も冷淡であったのかもしれない。明治政府の廃仏毀釈のようなものか。──しかし、永遠に失われることにならなかったのは幸いであった。

 じつはブルノで幾度か謁見に訪れたことがある。一時は行方が知れなくなり、失われたかとも思われたヨーゼフ像である。1947年に食肉処理場の敷地に捨て置かれてあるのが発見され、紆余曲折を経て、1988年にブルノ・チェルノヴィツェ地区にある精神科の病院の中庭に移されて、そこで余生を送っているのだ。佐官クラスの騎兵の制服を好んで着ていたという、若々しいヨーゼフが今も立っている。台座が低くなってしまったので、かつてあったであろう迫力もおそらく目減りしてはいるのだろう。全長は3メートルほどだろうか、それでもなかなかの威容だ。ただ、腰から提げたサーベルの鞘の先端が折れて欠損してしまっているところに、これまでの艱難が偲ばれ、また哀れを誘われる。

 新たに作成されたと思しき粗末な台座には「精神病患者の守護者」というようなモットーがラテン語で刻まれている。たしかに、精神障害者にたいして「悪魔祓い」と称して行われてきた謂れなき虐待を禁じたのも、ヨーゼフの功ではあった。だが、言い訳のための単なる建前には見えまいか。癲狂院──というと、明治の語感があるが、ともかく町はずれの精神科医院にかつての神聖ローマ帝国皇帝を厄介払いのていで追いやっておくのが、チェコ共和国のなし得る旧宗主国への最大限の抵抗、と思えなくもない。

 もしカレル・シュヴァルツェンベルクが大統領になったら、幽閉されたヨーゼフ帝を救い出してくれるのでは……と思いついたのは、大統領選挙のあった年だから、2013年のことだったのだろう。しかし地元の友人らは否定的で、むしろ「ハプスブルクの廷臣の子孫」だというイメージが広がるのを厭がるのではないかという意見を述べた者もあった。いわれてみればその通りだった。似たような事情は韓国の朴槿恵にもかつてあって、選挙を不利にしたり、支持率低下を招きかねない「旧日本軍のエリートの娘」というイメージが普及するのを惧れていたことはよく知られている。いずれにせよ、都市部での高い人気にも拘わらず、シュヴァルツェンベルク侯はけっきょく落選してしまったが。

 近年にも件のヨーゼフ像に関して、移設に関するアンケートが行われたという報道もあったような気もするが、その後どうなったのかは知らない。べつに世界遺産に、というわけではない。ただ、もうすこし敬意が払われてしかるべきである気はする。チェコ人というまえに、人類なのだったら。──それで、どうして観光客はプラハにばかりでうちには来ないのだ、って嘆かれてもね。そんなの知らんよね。

 

*ブルノ市街ラジャンスキー広場に在りし日のヨーゼフ2世像:

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