ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

プルゼニュのパットン記念館

f:id:urashima-e:20200815023649j:plain

photo by Ye R

 プルゼニュ市の〈パットン記念館〉を訪ねたのは、もう何年も前である。2005年に複合施設「ペクロ(地獄)」内に開設された資料展示館であった。ことし6月の報道によると、その古びた「地獄」とは仮の住まいであった由で、もとより本来の物件の修繕が完了しだい、そちらに移転する予定であるのだという。開館からはや15年が経過しているわけだが、行政となるとなおさら、所詮そういうテンポの国である。

 第三帝国保護領となっていたボヘミアの西部が、ジョージ・パットン将軍の米第3軍に「解放」されたのは1945年も4月から5月にかけてであった。ところが、数年のちに天下をとったチェコスロヴァキア共産党は、これを「神話」であると否定しはじめた。つまり、無かったことにしようとした。それで当時の御用ジャーナリズムは、真実を覆すことに血道を上げた。曰く、プルゼニュ市に関しては5月5日、独力によって解放されたのであって、外部の手はいっさい借りていない、最大の功があったのは革命国民評議会とシュコダ社の労働者たち、そしてむろん共産主義者らである……等々。要は、チェコスロヴァキアはソヴィエト・ロシアの同志である赤軍とわれわれ人民みずからによって解放されたのだ、米帝の出る幕などあろうはずがない、という趣旨である。

 共産党による「歴史の改竄」は手が込んでいた。たとえば、プルゼニュに向かう途中で撃墜されたアメリカ人パイロットの像というのが、近郊クラトヴィの目抜き通りに立っていたそうだ。しかしこれは、ちかばの目立たぬ公園に移築されて、銘板が共産主義の英雄ユリウス・フチークの言辞に書き換えられた。「人民よ、めざめよ!」──これでアメリカ人にはもはや見えない。だが、おまえらこそ目を覚ませ、と言いたくなるのは、なにもわたくしだけではあるまい。

 記念館では、その手のエピソードの数々が明かされ、そうしたプロパガンダのための情宣材の展示が中心を占めているようにみえた。つまり、迂遠な方法論によった、パットンら米軍将兵の名誉回復のための施設であった。

 さて、解放から75年が過ぎた2020年。8月12日に〈パットン記念館〉を訪れたのは、アメリカ合衆国国務長官マイク・ポンペイオである。解放記念日に訪問を予定していたが、悪疫の世界的流行によって、外遊を取りやめざるを得なかったらしい。

 政治家にして、異色の経歴である。ハーヴァードのロースクールに学ぶ前は軍人であった。西ドイツに駐留した第4歩兵師団第7騎兵連隊にて、戦車小隊の小隊長を務めたとされる。のち中隊副官から、大隊の車輛整備隊へ異動するなどして勤務し、大尉で除隊した。軍を去ったのは湾岸戦争の停戦後とはいえ、イラクの戦地には立ちこそしなかったものの、米ソ冷戦のさなかに最前線の戦闘部隊にいたことは特記される。そのポンペイオが、合衆国機甲部隊の草創期の指揮官でもあった伝説的な将星の名を冠した施設を観覧するというのだから、われわれ外野にも感慨がつたわってくるほどであった。立派な名前とは裏腹のひなびた博物館ではあったにせよ。

 翌13日、プラハチェコ共和国議会上院にて演説をぶったポンペイオは、それかあらぬか機嫌も上乗に見えた。チェコスロヴァキアの独立とは1918年にはじめてアメリカにて宣言されたものだったことや、先年ヴァーツラフ・ハヴェルが合衆国議会で説いた文言を想起させるなど、じつに名調子であった──チェコスロヴァキア国境からいくらも離れていないバイロイトのちかくで、若い尉官として勤務していたころ、こうして合衆国の国務長官プラハに立つことなど想像もできなかった。共産圏だったからだ。おもえば、わが中西部・カンザスにはモラヴィアなどから逃れてきた移民も多かったし、故郷のちいさな町にはプルゼニュのひともいた。昨日は、そのプルゼニュ解放75周年をともに祝う機会にめぐまれた。合衆国はナツィズムから、そしてコミュニズムから自由を勝ち取らんとするチェコスロヴァキアを応援してきた。われらにはつねに絆がある──というようなことを言われて、感激にうち震えんばかりの上院議員たち。すくなくともそう見えた。

 しかし、現状でもっともトランプ政権が強調せんとしたことはやはり、中国共産党の脅威であった。そのためにはあらゆる分野において、中国企業ではなくアメリカ企業をパートナーとして選択してほしい、と名代人はちゃっかり注文をだした。なかんづく報道陣が気になったらしいのが、ドゥコヴァニ原発の新規プロジェクトをめぐってウェスティングハウスを推していたことのようで、のちに首相をとりかこんで詰問していた。東芝が苦労して手放したウェスティングハウスである。

 そのアンドレイ・バビシュ首相がポンペイオの傍らでいつになく緊張した面持ちだったのは、さもありなん。しかし、とりわけ親露・親中と思われていた大統領ミロシュ・ゼマンとも会談するように申し入れてきたのは、むしろチェコ側外交筋のほうであったという。この悪名高き大統領にしてからが、米国との関係改善に舵を切らざるを得ない状況が、まさに今年になってから国内外で生じているわけである。

 1月にヤロスラフ・クベラ上院議長が急死した一件が、国内ではもっともつよい衝撃をもたらしたのは間違いない。翌月に台湾訪問を控え、これを阻まんとする駐プラハ中国大使館から執拗な脅迫をうけていたと報じられた。それこそシュコダ社など国内企業が中国での取り引きを禁じられることになれば……とまさに地獄の責め苦をうける心もちであったにちがいない。死因は心筋梗塞とされたが、夫人による証言などもメディアに取り上げられるにおよんで、さらに折しも一部の台湾メディアが「中共ウイルス」と呼ぶ例の悪疫が猛威をふるいはじめたことも相俟ってか、国内世論が一気に反中国に傾いた観がある。現職のプラハ市長が台湾留学の経験もある医師、ズデニェク・フジプであったこともおおきい。今回、ポンペイオを議場に迎えた議長が後任のミロシュ・ヴィストルチルで、今月28日から故人の遺志を継ぐかたちで台北に飛ぶことになっている。

 なにか似通った状況が世界から報じられてくるのは、やはり米国の外交攻勢が各地でさかんに展開されているからであろう。ポンペイオがしばしの外遊自粛ののち、最初に訪問したのが5月半ばのイスラエルであった。その数日後、テル・アヴィヴ駐箚中国大使が謎の頓死を遂げた。「プラハの仇をテル・アヴィヴで討つ」というような物語をつい想像してしまうところだが、くわしい因果関係が明らかにはなることはあるまい。

 とまれ、ポンペイオは主として、中国との関係を深めるイスラエルに釘を刺しに行ったのだと推測されていた。先端技術やチャイナ・マネーをめぐる諸々であるが、なんといっても、中国企業が来年コンテイナー・ターミナルを開業するというハイファの港は、地中海を管轄する第6艦隊が日常的に寄港する米海軍にとっても重要な拠点なのである。豪・ポート・ダーウィンにも見られたやりくちで、中国が米艦隊の動きを監視する体制を地球規模で整えつつあるのだ。

 しかしこの8月14日になって、もうひとつの意図であったとおぼしきところが明かされた。イスラエルアラブ首長国連邦とが国交正常化にむけて同意した件である。近年、その兆候が観測されていただけに、ひた隠しにしてきた夫婦関係が公になったにすぎぬ、という評論家もいる。パレスティナ人の猛反発をみるに、1938年のミュンヒェン会談の合意内容に憤懣を募らせたチェコスロヴァキアの民衆を連想するところでもあるが、今回は単なるその場しのぎの宥和策ではなく、両者の実利が伴っている。いずれにせよ歴史的な展開にはちがいなく、イランの狼狽ぶりとて隠しようがない。

 こうした百年ほど前の欧州情勢を見るような錯綜した外交戦に、ポンペイオにもまた帝国主義時代の外交官の姿が重なるのである。見るからに押しの強そうな御仁ではあるが、ひょっとしたら、かつてパットンが麾下の将兵にぶちあげた檄を思い出して自らを奮い立たせているのかもしれない。──アメリカ人が競うはつねに、勝たんがためである。それだからこそアメリカはこれまで、そしてこれからも戦に負けを知らぬのだ。

パットン大戦車軍団  (字幕版)

パットン大戦車軍団 (字幕版)

  • 発売日: 2015/01/03
  • メディア: Prime Video
 

 

 

goo.gl

www3.nhk.or.jp