人間、意に反して何かをやらされたりすると、それに嫌悪感を抱くようになる。そこまでいかなくとも、飽きあきするようになる。──会社の仕事とか、学校の勉強とか、地域の活動とか、なんでもいい。それについて話題にするのはおろか、思い出したりもしたくない。ブログに書いたりも……
アウシュヴィッツの話題に、声を荒らげて嫌悪感を示したポーランド人もいた。残虐かつ非人道的で想像したくないから、というわけではない。学校でさんざん習ったがゆえに、アウシュヴィッツのアの字を聞くのもうんざりするという感覚らしかった。極端な例にはちがいないが、たしかに大虐殺や民族浄化といった日常感覚からかけ離れたテーマとなると、たんなる学習のための学習、説教くさいだけの説教となって、聴き飽きた昔話の記憶に堕してしまうことだろう。
さて、チェコ共和国の“日経”にあたる新聞のオンライン版にこの2月末、アロイス・イラーセクについてのコラムが載った。──近年、邦語でも読むことができるようになった『チェコの伝説と歴史』の著者にして、かの地の歴史小説の祖と目されている作家である。これがなかなか面白い記事だった。
イラーセク……。かつて、日本の学校でいうレポートに相当するような「エセイ」とか「セミナールキ」をよく書かされたものであった。しかし、提出後に教員が「面白かったよ」といってくれるのはたいてい、文学でいう受容史のようなテーマで書いたものであり──すなわち、チャペクが、RURが、日本でどのように読まれてきたか、上演されてきたかというようなことを、種々の忖度をしながら書きつらねたもので、これは留学生「あるある」ネタと言えようが──要は、ボヘミアの愛国文学など、日本人がどう解釈したところで、読むに耐えぬ退屈なものであったのだろう。
コラムの筆者、マルチン・ノヴァークが17歳から22歳までの生徒や学生に個人的に調査したところでは、現代でもほとんどの学校で課題図書として読まされているらしい。課題であったとなると、その後はやはり敬遠されるわけだ。しかし、その程度となると甚しきものがあり、たとえばボジェナ・ニェムツォヴァーとくらべても扱いがひどいと訴える。ことし2020年、2月初めのニェムツォヴァーの生誕200周年は祝福されたのに、翌月のイラーセクの没後90年というのは、ほとんどだれも気にかけないのだ、と。
とはいえ、かのヨゼフ・トポルの息子で作家のヤーヒム・トポルなどは、切実な思いでイラーセクを読んだ。共産党に目をつけられ、じっさいに国家権力の弾圧に遭っていたのだから、とうぜん権力との闘いに感情移入して読み、心の支えとしてきたのだろう。
いっぽう、脚本家のミルカ・ズラトニーコヴァーはけちょんけちょんに扱き下ろす。いわく、イラーセクは、政治を芸術に優越させ、民族をヒューマニズムの上においた民族主義者で、歴史歪曲の巨匠だと。
コラムニストの慧眼も容赦ない。さらにイラーセクの自己矛盾を指摘する。イラーセクは、フス派を神のごとく描いたり、ドイツ人を手加減なく敵視したり──という創作姿勢にも拘わらず、自身は生涯の大半をカトリック信徒として過ごし、当時の平均的な知識人と同様、ドイツ語に習熟していたのはむろんのこと、オーストリア領でもプロイセン国境にちかいズデーテンで、つまりはドイツ文化に馴れドイツ人に親しんで生まれ育った。
そして、今後のイラーセクの復権についても見通しが暗いことを、歴史家の口を借りて語らせる。「もう誰も読みませんよ。もう手遅れです。だって、この間ことばもそうとう変化をみましたしね。イラーセクは非凡な文筆家でしたが、残念ながら今日ではもう、ちょっと理解されないでしょう。」「似ているのは、たとえばカレル・チャペクです。あんなの誰がほんとうに興味をもって読むんですか。あるいは、ボフミル・フラバルなんか。 90年代にはまだ関心はもたれていたけれども、いまではそれだってもう過去の話です。こんにち、どこの若い人がフラバルの話をするんですか。要するに、名を馳せた文豪たちの作品群が風化してゆく、止めようがないプロセスなんです。戦間期に生まれた世代の作家をみても、今日では誰ひとり興味をもたれていないでしょ。たぶん例外はクンデラくらいで。いわんやイラーセクをや、ですよ。」
──いやあ、でもその人たち、日本ではどうも相変わらず人気がありそうなんだけれども。邦訳が刊行されている時点で……。
おそらく「国民文学」的な、学校で強要される読み物ほど、地元では人気がない。そして、人気がないことを憂いている教養人に、日本ではきちんと受容されている、あるいは需要があるというと、喜ばれる。留学する人は、行き先を問わず、対象地の文学の「日本における受容史」を予習してから行ったほうがよい。きっと、いろいろと捗る。
- 作者:アロイス・イラーセク
- 発売日: 2011/04/25
- メディア: 単行本
*アロイス・イラーセク記念像 (プラハ):
*参照:
*上掲画像はWikimedia