ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

病に効くスープとは

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/2018-01-04-Biersuppe-5779.jpg

 身内が入院することになり、欧州と日本を往来する生活にはいった頃の話である。当時「手術後に咀嚼できぬ者が、栄養を摂って次の手術に備えなければならない」という難問が持ち上がった。

 何年も経ったいま現在でこそ、大手食品メイカーの多くが嚥下食と呼ばれる市場に参入していることはよくわかっているが、その頃はさほどの数の企業はこの市場に興味を示しておらず、またこちらも便利なレトルト食品の存在など、よく知りもしなかった。

 こうしたときに素人がまず思いついたのは、スープである。

 ──この世でいちばん栄養価の高いスープは何であろうか、と。

オリオ・スープ

 呆気なくも、さしあたりの答えが見つかったのは、読み物としても出色の、関田淳子『ハプスブルク家の食卓』の第一章のなかであった。

 マリア・テレーズィアが日に7回も8回も口にしたという高カロリーの羹、〈オリオ・スープ〉が載っている。16人の子を産みながら、広大な領土を統べていた女帝の活力の源であった。

 まず、10キロの仔牛肉を切り分け、250グラムのバターでもって軽く火を通す──と、文庫版82頁以降にレシピも記述されているものの、結論からいえば、その道の業者か、それこそ宮廷でもなければ、これを毎日の食卓に供するのはそうとう困難であると知れた。

 手順は省略するが、このほかに用いられる材料をもって推して知るべし──スープ用の骨付きのスネ肉、人参、セロリ、パセリ、玉葱、栗の実、粉砂糖、兎肉、ベイコン、蕪、山鶉、野鴨、キャベツ、レンズ豆、赤身の牛肉、茸、鶏肉、羊のもも肉……といった具合で、鳥類などはそれぞれ1羽とか2羽とかいう分量をもってして、最終的に30リットルに仕上げるそうである。

 ──早々に断念したのはいうまでもない。

ビーアズッペ

 それではいっぽう、庶民のスープはいかなるものかというと、そもそも固くなったパンの「再生料理」として成ったという通説があるが、いずれにしても中世からあまり代わり映えのしない文化とはいえる。

 そのヴァリエーションのなかでも面白いのは〈ビーアズッペ〉ないし〈ピヴニー・ポレーフカ〉で、要するにビールを再利用する「麦酒スープ」である。

 記録上は16世紀までさかのぼることができるようで、また北欧が本場だという見解もあるらしい。チェコの歴史家の手になる書などを繙くと、滋養に富み、また時代によっては病中病後の体力恢復に最適であると信じられてもいた由で、社会階層を問わず愛されていた。

 ボヘミアを含むドイツ文化圏では中世から近代初期まで、すなわちコーヒーが普及するまでは、典型的な朝食として供されてもいたし、結婚式には付き物、と考えられていた地方もあった。そのため、史家によると、ある貴族の購入物品の目録には、飲用に供するビールとは別に、スープの材料としてわざわざ古くなったビールを買い求めていたことを示す記述も確認されている。

 現代でも人気のビーアズッペのレシピから、原材料の一例を挙げておくと、ライ麦パン、バター、生姜、ビール、クミン、卵黄、スターチ、チャイヴ、塩・胡椒……とある。ほかにもミルクがはいったり、レモンピールやシナモン、ラムや白ワインが加えられたりするレシピもあるようで、変種はじつにさまざまである。ビールはドッペルボックを用いるべしという指示があったりするから、麦汁濃度や残留糖度の高い、こくのあるものが推奨される場合もあるようだ。

 むろん「古びたビール」など、現代ではどのレシピの材料欄にも見当たらない。いうまでもなく、ビールというものは新鮮でなければ、ひね香や収斂味のため、とてもではないが飲めたものではない。調理する場合にも、すくなくとも劣化していないものを用いることをお奨めしたい。

 

*ビーアズッペの調理例。白パンを使用している(YouTube動画):

www.youtube.com

 

*上掲画像はWikimedia