ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

クリスマスには鯉

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photo by Jiří Fröhlich

 鯉をクリスマス・イヴの食卓に供する習慣は、戦間期に一般に普及した、というのが通説らしい。現在までその文化の広がる領域は、かつての大ドイツ主義を偲ばせる。すなわち現在のドイツ、オーストリアチェコポーランドハンガリー等々がこれに相当する。帝国崩壊後に、旧来の帝国の領域で流行りだした、というのも興味深い。

 品種に差こそあれ、鯉じたいは珍しい食材ではなく、日本でも、とくに内陸の地方に行くと、養鯉場があったり、鯉料理をたべさせる店があったりする。「鯉こく」はともかく、あまり全国的な人気があるものとも言い難いのは、海産物ゆたかな美酒美肴に満ちた島国ならでは、といったところであろう。大陸ヨーロッパでは、中世以来の養殖の歴史があって、領主が奨励したり、戒律を厳しく守る修道院などで重宝されたりという経緯もあった。

 「青き鯉」──などと訳しうるかもしらん「カルプフェン・ブラウ」は、あるいはもっとも普及している鯉の調理法かもしれない。酢を使った野趣あふれる煮魚で、魚体の表面が青くみえることからいうのであろうが、白ワインの代わりに鯉の血液やビールやジャム等々を煮汁に用いた「黒き鯉」というのもあった。

 現在のチェコ共和国ではしかし、衣をつけて揚げた「スマジェニー・カプル」が定番とみえる。要は、鯉の切り身のフライである。鯉の粗を利用したスープも、その直前にいただくことになる。あら汁仕立てであれば、たら子にも似た鯉の魚卵がそこにはいっていることもある。つけ合わせは、馬鈴薯のサラダ(ブランボロヴィー・サラート)であるが、日本の居酒屋によくあるような「ポテサラ」を想像しても、当たらずと雖も遠からず。レシピは家庭によって異なる。

 文字どおりの意味で泥臭そうだという先入観に反し、魚肉の風味は淡白で、油を吸った衣がそれを補ってもいるからか、さほど癖は感じない。シンプルだが、首尾よく調理してあればいうことはない料理だ。しかし、これが一年に一度のディナーとなると、クリスマス・ツリーの搬入とともに、大切な「家長の仕事」となっている家庭もあり、慣れないお父さんの手料理に、火のとおりを心配しながらつつくことになる、という場合もある。

 一方で、いまどきは鯉料理などたべない家庭もままある。現状で「クリ鯉」の習慣を実践しているのは国全体の2/3の世帯である旨、報じられていた。過去にはいろいろな家庭にお呼ばれしたものであるが、七面鳥をオーヴンで焼いてみたという、すこし気負ったお母さんもいた。また、娘だけ鯉をたべないため、ひとり分だけ特別に鶏肉料理をつくってやっている、という優しいお父さんもいたものであった。いずれにしても、国民すべからく家族で過ごすべしというヴァーノツェ、つまりクリスマスに、あえて独りぼっちで過ごさんとする帰省しそびれた日本人など、座視すること能わない、そんな優しい人々であった。

 肝心の鯉を調達するのは、まいとし広場に出る露店で、と昔から決まっている。昨今ではアドヴェントの市が立ってごった返す、町々の市街地である。おおくゴム長を履いた屈強な男たちが、寒空に白い息を吐きながら、客の注文を受けるが早いか、生け簀、おおくは大ぶりの樹脂製のたらいであるが、そこから活きのよいやつを網ですくって、秤に掛けるわけである。それを手ばやく新聞紙で包んで一丁あがり、となるも、現代日本の職人から見ると、即座の「神経締め」を勧めたくなるにちがいないところを、自宅のバスタブに水を張ってひと晩かぎり游がせておくというのが、とくべつな技術も要らない家祖代々の知恵というものである。

 アドヴェントの市といえば、いまや11月の声を聞くと設営が始まるようなところもあって、やがては12月23日の夜までのあいだ、ほうぼうの町の広場という広場で連日てんやわんやの活況を呈する。チェコスロヴァキアの共産体制の時代にはこうではなかった。それがこの30年のあいだに、近隣の資本主義社会の習俗を真似て、年々クリスマスの商業化が進行し、無神論社会・チェコの冬は現在のような賑わいを見せるに至っている。

 ──アドヴェントの市については稿を改めたい。機会があったら……

 

*参照: 

cookpad.com

japan.diplo.de