ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

スカイ・ハイ──香港から来た男

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photo by Florian Wehde

 2019年の春から初夏にかけて、逃亡犯引き渡し条例の改正をめぐり、百万人単位の参加者を擁する抗議活動が断続的につづくようになった。特別区行政長官・林鄭月娥の失脚は免れまい。選挙で選ばれながらも、民主主義を崩壊に導いていることに無自覚であった。

 ところで、欧州では香港に関わるひとにもよく出会った。ドイツで束の間の同級生になった香港の子もいた。チェコに生まれながら、そのあまりに共産党全体主義的な社会に絶望して、香港に移住してしまったようなやつもいた。いずれにしても短期的には、生命の危険に陥る心配はないだろうとは楽観している(参:香港が「第2の天安門」になり得ない理由とは? WEDGE Infinity)。

1)香港から来た男(オストラヴァにて)

 もっとも印象的だったのは、2013年に出遭った画家である。香港在住ながら、その年に公選制となったチェコ共和国大統領選挙への出馬を目指し、帰ってきていた人物であった。ぐうぜん単発の仕事があって、オストラヴァを訪れていたときのことだ。

 チェコ共和国の大統領選挙は、このとし2013年から公選制になって、誰でも立候補できるようになった。誰でも──といっても、それには5万人分の署名を集める必要がある。候補者のひとり、トミオ・オカムラなどは、その署名の身元が確認できないなどとして、立候補の届け出が受理されなかった。そもそも、身元が確認できるような制度にはなっていなかったらしいのだが。

 「香港から来た男」は、まさにその段階にあって、自身の政策を開陳して支持を集めるべく、オストラヴァに来ていた。

 ホテルを会場に開催されていたのは、ビジネスマン、つまり経営者・自営業者向けのセミナーであった。なんとか時間をやり過ごし、やがてすべてのプログラムが終了すると、気楽な懇親会が始まった。このときは、いろいろと印象ぶかかった。というのも、この数日、地元では「偽造リキュール流通事件」というような騒動が起きており、蒸留酒の販売が一切禁止され、モラヴィアやシレジアで一般的なスリヴォヴィツェ等の蒸留酒が、酒場から姿を消していたからである。むろんスコットランドのスコッチだって、ロシア産のヴォトカだって、ポーランド産のジュブロフカだって……。だが、ピヴォ(麦酒)なら問題ありませんから──と世話人がいうので、安心して、そして遠慮なく、みんなで仲良く飲っていたのであった。そのとき、マネジメントか何かのテーマで登壇したドイツ人に英語で話しかけられ、相手をしているうちに、錆びついたドイツ語を披露してやると、こちらの予想以上に感動してもらえたことまでも仔細に覚えている。

 しかし、よく覚えていないのは、どういう経緯で、件の「香港の男」と引きあわされたか、だ。先方は、なんらかの理由で招聘され、いくらかの時間を与えられて、自身の政策を披瀝する機会を得ていたはずだった。ともかく、ひきあわされた際、思い切って尋ねてみたのであった。中心となる政策について。

 返ってきた応えは──

 ──君主政の復活。

 つまり、あれかい。プスブルクとか、リヒテンシュタインとか、ロプコヴィツとか、シュテルンベルクとか、シュヴァルツェンベルク──??? 

 どうやらそうらしいのだ。王党派というのがいることは知っていた。本場はむしろオーストリアのほうであろう。これに先だつ2011年にオトー・フォン・ハプスブルクが身罷った際に、こうした人々が、いにしえの軍服を纏ってウィーンのシュテファンスドームから隊列を組んで、葬送の行進に出立したのも、生々しく覚えていた。

 ──だけど、どうしてまた。

 ──民主主義よりもコストがかからないから。民主主義は高くつくのさ。

 それ自体は単純な理由だった。そりゃそうだ。だがしかし……。いかなるコストをかけても、その価値があるからこそ、民主主義というものが維持されてきた──と信じ込んでいた自分がいた。だが、それがこのとき、ながらく自分のほうが間違っていた……ような気もした。

 皮肉なもので、こうした「民主主義をぶっ壊す」というような輩は、むしろ民主主義の制度の内側から現れる。ルイ・ボナパルトしかり、アードルフ・ヒトラーしかり、林鄭月娥しかり、だ。

 この香港から来た男も、民主主義を廃するために大統領選に立候補しようとしていたわけなのだ。

2)香港から来た男(映画)

 さて、話は変わるが、かつてプロレス競技には「入場曲」などと呼ばれる、レスラーおのおのにテーマソングが定められていた。落語でいえば出囃子である。たとえば、ジャイアント馬場なら「王者の魂」、アントニオ猪木なら「炎のファイターINOKI BOM-BA-YE」、ジャンボ鶴田なら「J」、天龍源一郎なら「サンダーストーム」、スタン・ハンセンなら「サンライズ」といった具合であった。──こういったことは、1980年代に子ども時代を過ごした世代にとっては、むろん常識の範疇に属する(さしあたり参:そうだったのか!プロレス・テーマ曲の秘密 [プロレス] All About)。

 来日したメキシコの英雄ミル・マスカラスの場合は、控え室を出、観衆のなかを通り抜けてリングにあがる際にはいつも「スカイ・ハイ」("Sky High" by Jigsaw)が高らかに会場に響いていたものだ。ポップでオプティミスティックな曲調だが、歌詞は失恋を暗示している。

 前掲記事には、中継のディレクターが決めた、とあるにせよ、この楽曲が採用された詳しい理由はわからない。しかし、がんらい「スカイ・ハイ」は、豪州・香港合作映画のメイン・テーマとして制作されたものだった。映画は原題を_The Man From Hong Kong_といった。「香港から来た男」である。物語では、主人公たる香港の捜査官が、麻薬密売事件に関与した被疑者の身柄引き渡しのため、豪州に向かう……

 ことしの春過ぎ、YouTubeで「おすすめ動画」として楽曲「スカイ・ハイ」のクリップが表示されるようになった際は、まだそのことに気がつかなかった。だから、ミル・マスカラスがどうかしたかな、くらいに思っていた。

 だがそれは、おそらく香港で反対運動の狼煙があがった時期だった。むろんきっかけは前述した、いわゆる逃亡犯条例の改正、すなわち、身柄引き渡し手続きを簡略化し、刑事事件の容疑者を北京政府にも引き渡しできるようにするものである。

 それにつけても、YouTubeでリコメンド機能を司るAIのおそろしさ。中国共産党にも恐れらるるわけだ。

 デモを組織しているのが誰か、まだよくわからない(じつはGoogleのAIではないか)。いずれにせよ、あの香港からやってきた泡沫候補にも、民主主義というものが実感できたころではなかろうか。すくなくとも、ひとびとの抱く危機感や、かすかな希望が。

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Sky High/Jigsaw Super Hits

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  • アーティスト: Jigsaw
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  •  

www.youtube.com

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*参考記事:

wedge.ismedia.jp

www.sankei.com

www.bloomberg.co.jp

www.newsweekjapan.jp

www.itmedia.co.jp

www.afpbb.com

www.bbc.com