ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

ヴルビェチツェ爆破工作

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photo by Umut İzgi

 チェコ共和国政府は、ロシアの外交官18人を国外に追放すると発表した。2014年に国内で起きた弾薬庫の爆破事件への、ロシア連邦軍参謀本部情報総局・GRUの関与が明らかになったためとしている。これを受けて反発したロシア側も、チェコの外交官20人を自国から追放する措置を発表した。

 識者がいうように、現今の「新冷戦」が、リベラル民主主義国家と権威主義国家のそれぞれの陣営による対立であるとすれば、チェコEUNATOに属すとはいえ、双方からの綱引きのなかで、近年は東側にちかい国だと西側からは思われている。「オリガルヒ」のバビシュ首相率いるANO党と社会民主党による連立政権は、いまだに存続する共産党が政権の外から支持する形で成立しており、さらに親露・親中のゼマン大統領が任命権を有している──という図式的な解釈は『シュピーゲル』誌などがよく説明につかうものだ。ただ、かろうじて元老院(上院)では反共政党の市民民主党が優勢で、西側からみれば「良識の府」を体現しているといえそうだ。昨年ここで、米トランプ政権時のポンペイ国務長官が演説をぶったのも道理であって、のちヴィストルチル議長の台灣訪問はおおいに話題になった。

 それゆえ、バビシュ首相とて今回の措置をとらざるを得なかったのは、西の方角から風が吹いたからにちがいない、とまず思った。どういう種類の風なのかは、まだわからない。ロシア外務省はチェコ政府が米国に気に入られようとしてやったのだと批難しているが、本当にそうだろうか。このところ、ロシアを拝み倒してワクチンを入手することすら検討していた首脳部なのである。たしかに米バイデン政権も15日、サイバー攻撃を理由に、ロシアの外交官10人の追放措置などを発表したところではあった。しかしこれで、EUからも個人的な不正を追及されてきたバビシュ首相としても、西側に向けていい顔ができるようになった。いずれは、EUが対露制裁に動くという専門家もあるようだ。

 そもそも、外交官追放の理由とされたのは、件の爆発事件の捜査結果だった。2014年、モラヴィア東部ズリーン県ヴラホヴィツェ村の集落・ヴルビェチツェ付近に位置する倉庫が、二度にわたって爆発した。10月16日に第16倉庫が、同年12月3日には第12倉庫が炎と煙に包まれた。武器の製造や販売を手がけるオストラヴァの企業、アイメクス・グループ社が借り受けていた倉庫で、従業員2人が死亡したが、当初は作業中のミスという観測もあった。当時の報道では、付近の住民が着の身着のまま避難する映像が流されていた。

 今になって、これにGRUの特殊工作班29155が関わったことが判明したというのだが、ウクライナ向けの武器を阻止するための工作であったとの推測がつたわる。それが、どうして今なのかと問われれば、まさに今しかないというタイミングでもあった。折からロシアがウクライナ国境地帯に軍を集結させつつあると報じられており、19日の時点では15万人超にもなっているというのである。陸上自衛隊全体の定員に匹敵する規模だ。

 被疑者は、のち2018年に英国で元諜報員が殺害された、いわゆるスクリパリ事件にも関与した工作員とされる。「ソールズベリの巡礼者」とも通称されていたのは、ソールズベリには観光がてら「大聖堂を見に行っただけだ」とインタヴューで嘯いていたからであるが、今回ばかりは言い訳に窮することだろう。このときの書類上の名義「アレクサンデル・ペトロフ」と「ルスラン・バシーロフ」はむろん偽名とされ、調査報道によると、ふたりはGRUの将校で、それぞれアナトリー・チェピガとアレクサンデル・ミシュキンであると推定されている。爆破工作のあと、プーチン大統領からロシア英雄賞を受け、アパートなどを授与されたことまで判明しているという。

 ところがバビシュ首相は、沈静化を図ったものか「国家的テロ行為にあたらず」と、なんとも煮え切らない声明を出してもいる。GRUが行なった作戦は受け入れがたいことではあるものの、ブルガリアの武器商に売約した商品に対する攻撃であり、チェコ共和国に対する直接的な国家侵略行為には該当しない、というのだ。「国家的テロル」という表現は、ロシアの関与を糾弾する多くの政治家が口にしており、爆発事件当時の首相だったボフスラフ・ソボトカも使っていた。

 奇妙なことはそれだけではない。つい1週間ほど前に更迭されたトマーシュ・ペトシーチェク外務大臣は、この件についてポストを去るまえにすでに知らされていたそうだ。ところがその後に外相を兼務することになったヤン・ハマーチェク内務大臣は、ロシアの関与を知ったのちに急遽、予定されていたモスクワへの外遊を取り止めたというのだから、ちぐはぐな印象は拭えない。警察の捜査であれば、むしろ内務省の管轄のはずではないか。

 そのチェコの警察が被疑者の行方を追っているという。だが、なにしろ連中が爆破後に現場を離脱してから、6年半が経過している。

 決め手となったのが、工作の直前「タジキスタン国民警護隊」を名乗る者から、件のアイメクス社あてに送られてきた、偽造パスポートのスキャン画像だとされる。それぞれタジキスタンのルスラン・タバロフとモルドヴァのニコライ・ポパなる名義で、弾薬庫の視察を求めるメールだった。ふたりは10月11日にプラハに到着、2日後にオストラヴァのホテルにチェックインし、16日には100キロほど離れた現場にいたことになるが、その日のうちにモスクワ行きの飛行機に乗るためにウィーン・シュヴェヒャートに向かった。

 このときの画像中の顔写真が、スクリパリ事件の被疑者と一致したということらしい。だが、2018年3月の神経剤・ノヴィチョークが用いられたという暗殺事件は、世界中で煽情的に報じられ、同年9月には嫌疑をかけられたふたりのインタヴュー動画までが出まわっている。それが今になって発覚したというには、かなり無理がある。国家をあげて隠蔽していたというのでもないのだろうが、風雲急を告げる国際情勢のなかで、内外事情の変化に鑑み、とりわけバビシュ首相自身の利益にもっともかなう時宜をはかって公表したものではないか。そして、前述の元外相と内相の証言の不審さは、その決定におおきく影響したのが、国外からの情報なり圧力なりだった可能性を示唆しているのではないか。

 このことは、事件後の各国の監視の厳しさにも暗示されているようにも思える。爆破された倉庫の警備が当時からほとんどなされていなかったという報道にたいして、当のチェコ警察当局は、当該施設は国際的なネットワークで監視されており、いわばオープンソースの警備で万全なのだ、と他人事のようなコメントをSNSに出している。あきれたものではあるけれど、正直なところ小国の警察では手に負えないのかもしれない。

 監視といえば、かつても国際的な介入があった。プラスティック爆薬のSemtexは、チェコスロヴァキアの製品で、リビア等にさかんに輸出されていた。これが1988年のパンナム航空103便爆破事件で知られるようになってからというもの、製品の動きには西側が目を光らせてきた。いまでは同名のエナジードリンクがスーパーに並ぶほど、乗員・乗客270名が犠牲になった事件も風化してしまった観もあるが、製造元はいまだに自社サイトで「Semtexに関する10の間違い」なる記事を掲載し、「Semtexがすなわちテロルなのではない」などと悪評の払拭に躍起になっている様子だ。

 そういえば国際刑事警察機構のサイトの国別プロファイルにも、次のようなニュアンスの記述があった。すなわち、チェコ共和国は欧州中央部の内陸にあって、四方でそれぞれ別の国に接している。そこで国を跨ぐ組織犯罪に狙われやすいことから、国際的な監視が必要であり、じっさいそのための体制がとられている、と。いずれにしても、監視対象たらざるを得ない国らしい。“O nás bez nás”(我らに関するも、我ら抜きで)ではないだろうが、警察当局もこうした状況には慣れっこだとでも言いたかったのか。

 さて、ロシアとの緊張が戦後最高潮に達しているといわれるなかで、衆目があつまるのは、沈黙を守るゼマン大統領だ。同国の防諜機関・保安情報局(BIS)にロシア人工作員の名前を教えろと迫った、という報道が昨秋あったばかりだった。すでにその頃には、捜査結果が報告されていたものであろうか。その際もTwitter上はお祭り騒ぎだった。近年、ロシアとの懸案事項は多岐にわたり、そのたびに動静が注目されているわけだ。そのノリは、まさに「悪の黒幕」といったところである。今回はまだ声明もなく、いつものオフチャーチェク報道官による代理のツイートもないようだ。

  直近では、南モラヴィア・ドゥコヴァニ原発に予定されている工事に関して、露・ロスアトムを入札から除外するとさっそく発表されたのが、最新の案件である。また、ロシア製のワクチンとしてEU当局に先駆けて認可される可能性もあったスプートニクVも、断念せざるを得なくなった。さらに振り返れば、ちょうど一年ほどまえになるが、プラハのコニェフ元帥像撤去問題にさいしてのロシア側の反発も、意外なほど大きかった。のち、在モスクワのチェコ大使館が覆面をした謎の集団の襲撃を受けるなどしたものの、ひとりの逮捕者も出なかった。2019年には、かの1968年のワルシャワ条約機構による軍事介入に関しても、鞘当てがあった。ロシアが作戦に参加した軍人の名誉回復を図ろうとするいっぽう、チェコ側は8月21日を犠牲者のための「追悼の日」としたのである。ほかにも、こまごまとした件をふくめ、枚挙に遑がない。

  いずれにせよ、バイデン父子がウクライナに特殊な利益を有していることは、ご案内のとおりであるからして、ロシアに対してはトランプ時代にはなかった強硬な態度をとるのも至当であろう。日本も、G7の枠組みでロシアの軍事演習に「深い懸念」を表明したきりとはいえ、けっして対岸の火事ではない。東京ではGRUの「ガイジンさん」は目立ちすぎて仕事をしにくいという笑い話もあったが、最近では東京五輪の関連団体を標的にしたサイバー攻撃にも関与していたとも報じられている。

 そうなると先日、東電・柏崎刈羽原子力発電所警備体制に不備が指摘された旨の報道が気にかかる。あれも、ワシントンD.C.あたりから、ことによるとラングレーから内々に「教育的指導」をいただいて表沙汰になった一件だったのかもしれない。他の施設が、原発以上の警備を敷いているとは想像しにくいのである。日本のばあい、ロシアはともかくとしても……。

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*「映っているのは我々」ロシア元スパイ毒殺未遂の容疑者たち(BBC、2018):

www.youtube.com

 

*参照:

www.bbc.com

www.afpbb.com

www3.nhk.or.jp

www.jiji.com

www3.nhk.or.jp

www.novinky.cz