ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

国名や外名、その表記について

 外務省の国名表記の問題の記事がよく読まれているようなので、そのあたりのことで思いついた由無し事を、覚え書き程度に書き留めてみようとおもう。

 

 

合衆国か、合州国

 「United States」を「合州国」と表記すべき──などというと、同様に唱導していたのが悪名高き本多勝一だったこともあって、いまどきサヨクないしパヨク呼ばわりされてしまうかもしれない。だが、正論である。本多は、自著『アメリカ合州国』のなかで、「合衆国」の字面はあたかも理想郷のような印象を与えるから、という理由から主張していたとおもうが、これはどうでもよい。ただ単に、「United States」は直訳調で「合州国」としたほうが自然かつ中立的であるからで、オッカム先生も同意することだろう。

 「合衆国」は、すでに幕末から使われている語で『古事類苑』にも登場するとはいえ、現代人が変えても問題はない。ビルマグルジアの例もある。従順な日本人のことだから、すぐに慣れよう。

 だが、漢籍などを論拠にもちだす向きもあるし、むかしから猿谷要のような北米史の大家すら、合衆国憲法の記述を根拠に「合衆国」とするのがふさわしいとしていたから、多分に議論の余地があって、単純にどちらかが誤りと断ずることはできない。

 

第三帝国

 いっぽう確定している誤りもある。しかし、その誤った訳語が定着してしまっていると、やっかいである。国号ではないが、「Nationalsozialismus」や「Nazismus」の誤った訳語としての「国家社会主義」がこれにあたる。ふるく戦前からの誤訳だから致し方ないとはいえ、数十年前の時点で、西洋史の業界では「国民社会主義」か「民族社会主義」と訳すのが正しいとされていたのに、いまだに混同がみられる。「国家社会主義」は、ラッサールらの「Staatssozialismus」の訳語としてほんらい使用される。

 逆に、慣用として定着している訳語が近年になってSNSなどで批判されるのを目にするようになった、ということもある。ドイツ語で「Reich」は「帝国」をかならずしも意味しないのだから、「Drittes Reich」を「第三帝国」と呼ぶのは誤りだ、という意見がある。これはある意味で正しいけれども、「Drittes Reich (Das Dritte Reich)」を「第三国家」あるいは「第三国」などと直訳調で呼んでしまうと、これもまた、おかしなことになってしまう。ことばとは不便なものである。「第一、第二のドイツ帝国につらなる〝第三帝国〟」なのだから、これは慣用表現として許していただきたい。

 同様の問題に「ハプスブルク帝国」がある。研究者らは、時代をさだめずに同国をさすばあいに「ハプスブルク君主国」と呼称している。だが、いずれにしても、すでに存在しない国の通称にすぎない。

 関連して、「ハプスブルク」が「ハプスブルグ」と表記されているのが散見されるけれども、我ながらこれが気になる細かい性分である。だが、ドイツ語が達者なひとでもときどきそう書くのは、英語というよりも、おそらく「ハプスブルガー(Habsburger)」が意識にあって、ひっぱられているためではないかとおもう。容赦せねばなるまい。

 

中国か、支那

 中国か、支那か──というのも、昨今もよくみられる問いだが、それぞれ、国号と地理的な概念という別個のものをさしている。「中国4000年の歴史」などというのは正確ではない。中国は、中華民国ないし中華人民共和国の略称であるから、20世紀に成立したばかりの若い国である。日本の中国地方と取り違えるではないか、という意見もあるが、略称がかぶってしまうことはよくあることで、それはしかたがない。いずれにせよ、何千年もの悠久の歴史を有し得るのは「支那」であって、「中国」ではない。また、支那とは蔑称ではないか、という声もあるが、言い掛かりにすぎない。

 

ボヘミアモラヴィア・シレジア(ベーメン・メーレン・シュレージエン)

 特異な例が「チェコ」かもしれない。

 1918年、第一次大戦が終わりをみるころ、ハプスブルク朝が崩壊するにおよんで、いわば火事場泥棒的に発足した国がチェコスロヴァキア(第一次共和政)だったが、そこではじめて対外的な国号が出来した。時代がくだって1993年、いわゆる「ビロード離婚」でスロヴァキア共和国が分離独立を見、残る部分が「Česká republika(チェコ共和国)」となった。

 それを受けて、チェコ語ではチェコスロヴァキアを意味する「Československo」から、スロヴァキア部分をたんに差っ引いたような「Česko」という名詞があらたに造られ、こんにち新聞等でもふつうに使用されており、すっかり定着した観があるが、15年ほどまえまでは「美しくない」などといわれ、だいぶきらわれていた。自国民に疎まれる国号というのも、さすが旧共産圏。相当にパンクな世界といえよう。(「Česko」はじつは新語ではないという見解もあるが、根拠薄弱の感を抱いたので、ここでは無視した)。

 それまで名詞1語で済む国号がチェコ語に存在しなかったのだから、英語にあるはずもない。英語の日常会話では、「Czech Republic」と2語になってしまうのを避けたがるひとが多いらしく、10年ほどまえまではふつうに「Czechoslovakia」と呼ばれつづけていた。地理学者らがすでに「Czechia」という語を提唱していたが、そのころは普及しなかった。英語のことは当の英語話者が決める権利を有するからであって、これは「Sea of Japan(日本海)」に代わって「East Sea(東海)」という、どこの東にあるのか即座に判別できない名称を拡めようとする運動にもいえることである。10年以上前に、在京のオーストリア大使館が提案した自国のあらたな表記「オーストリー」も、日本語話者に定着しているとは言い難い。

 日本語では、わりといいかげんで、チェコスロヴァキアの時代から、その略称としての「チェコ(あるいはチェッコ)」が使われていたため、そのあたりは意識されることなく、いまだにぞんざいにチェコと呼ばれているが、品詞すらなんだかわからない使われ方をする。たとえば「チェコ地域」という場合。研究者もよく使っているが、これはよくない。ただ、便宜上やむを得ず、使用される。具体的には、ボヘミアモラヴィア、一部シレジアを含む領域──つまり、大雑把に今日のチェコ共和国の領域を指している。前述のとおり、チェコ共和国は、つい1993年1月1日に成立した国家であり国名なので、それ以前の歴史、とくにハプスブルク君主国の枠組みでの叙述をする場合に問題が生ずるわけである。厳密には「聖ヴァーツラフ王冠の地」とか、「ボヘミア王冠領」、「ボヘミア諸邦」などという謂いもあるが、長ったらしく、相手によっては通じないので、使い勝手がわるい。

 カタカナの使い方に関して、「モラヴィア」を例に挙げよう。「ヴが世界から無くなる」などという、NHK外務省記者クラブ提灯記事を鵜呑みにしたわけでもあるまいが、「モラビア」と表記する向きがある。だがこれは、歴史的な文脈では別の地域を指すばあいがある。家庭の事情とか、宗教上の理由で、どうしても「ヴ」を使いたくない、というひとがもちうるべきは、むしろラテン語の綴りに留意した「モラウィア」であろう。ハプスブルクの帝都「ヴィーン」も、慣用的に「ウィーン」と表記されるのがふつうである。これに関して「ビーンなどという表記は見たことがない。英語では「Vienna」だから、「ヴィエナ・ラーガー」というスタイルのビールもお馴染みであるが、ふつうは「ビエナ」とは書かれない。

 ちなみに、世界史の教科書にも出てくる「ボヘミアモラヴィア、シレジア」を、英語の発音にできるだけ忠実に表記するとすれば「ボウヒミア、モレイヴィア、サイリーズィア」となるはずである。ドイツ語では「ボェーメン、メーレン、シュレーズィエン」、チェコ語ならば「チェヒ、モラヴァ、スレスコ」である。

  

 国名──考えてみると、日本語学、歴史学政治学ないしレアルポリティークまで絡んできて、学際的にして複雑な問題であった。したがって、ここで記し得たことは、ほんの思いつきにすぎない。しかし、高校の世界史も必修科目から外されるというから、われわれ日本人は今後、こうしたことなどすっかり忘却してしまって、風に吹かれながら、羊のように草を食んで生きるのがいいのかもしれない。