チェコ共和国にいて、地方の飲み屋で令和を迎えることになった。明くる5月1日はメーデーの祝日である。
平成が最後の数分をむかえるころ──といっても、むろん日本時間ではない。日本ではとっくに令和になっていて、宮内庁職員がおそらく徹夜で準備した儀式がそろそろ始まらんとしているのだろう──とにかく、そのころには、もうだいぶ酔っていた。
そういうていで、こちらの出身を問うているとわかるまで、その男にはなんども訊き返した。
日本人だよ、というと、男の背後からブロンドの女が顔を出して、エンペラーが交代したんでしょ、おめでとう、といった。「10連休」の話題も知っていた。
外資系の銀行に勤務しているとかで、男よりもましな英語を喋ったが、母語だというチェコ語で話してもらった。
男のほうはしかし、情報学の学生でスロヴァキア人。しかも、かなり東のほうの出だった。
──すまないけれど、スロヴァキア語はよくわからないんだ、といってやった。チェコ語なら問題ないんだけれども。実際そうなんだから、仕方がない。多少は学習してみたが、元気いっぱいの男子学生が呂律も廻らないのに酒の勢いで早口でまくしたてるのを、酔った頭で一字一句ききとるのは面倒にすぎるのだ。同じ職場にスロヴァキア人がいた場合には、頑張るしかないのだが……。
──10年も暮らしているのに、こいつチェコ語を話さないの、と女は愚痴った。
いかんね。グスターウ・フサークの昔ならいざ知らず、最近じゃ、アンドレイ・バビシュだってチェコ語で話すのに。
ともに西スラヴ語群などと分類されるチェコ語とスロヴァキア語は、ひじょうに似ているが別個の言語──ということになっている。じっさい、チェコ語者にとっては、まず問題なく会話が成立する言語で、それだからこそチェコスロヴァキアという国も成立していたともおもえる。
東京でも標準語を話さない関西弁話者もおおいが、それでも日本語母語話者のあいだでは問題なく意思疎通が可能だ。が、東京のひとが真似をしようとしても、にわかには無理である。似非関西弁は必ずばれるものと認識せねばなるまい。チェコ語話者にしても、スロヴァキア語の会話内容が理解できるからといって、しぜんに話せるわけではない。
19世紀にリュドヴィート・シュトゥールらがスロヴァキア語の文語を確立していなければ、あるいは、いまごろはチェコ語の一方言と認識されていたにちがいない。つまり、東京における関西弁と同様の扱いだった。国はハンガリーの一地方にとどまっていたかもしれない。
多少チェコ語がわかる日本人がスロヴァキア語を聴くと、「懸命にチェコ語を話そうとしているが滑舌が悪すぎて発音しきれていない子ども」という感じにきこえる。それがまた可愛いと感じることもあるが、スロヴァキア人というのは、一般に直情的といわれていて、それにどういうわけか態度が横柄なやつもおおいから、いつも好ましく思えるわけではないのだ。酔っていればなおさら、平たく言えば──むかつくことがある。
1993年の「ビロード離婚」でチェコスロヴァキアは解体されたが、チェコ共和国内のスロヴァキア人は以前とほとんどかわらない権利を有しつづけた。たとえば現在では両国政府間の協定によって、各々の職場においてはどちらの言語とも使用する権利が確認されている。かくして、国家としては消滅したにも拘わらず、社会としてのチェコスロヴァキアはいまも存続している。これは、人権やら経済やら外交やらを考慮すれば、当たり前の政策だろう。
しかし庶民の視点からみれば、当たり前とはいかない。とくにチェコスロヴァキア時代を知らない若者層にとっては……。なかんづく地方の情報学部となると、科目によっては教室の8割9割がスロヴァキア人学生ということもあると聞いた。「もう別の国なんだから、おまえら帰れよ」という声も聞かれるが、ふしぎなことではないのだ。とはいえ、合法的に滞在している人間が「帰れ」といわれれば、いまの御時世「ヘイト・スピーチ」のそしりは免れない。
それはそうなのだが、「謝ってばかり」ともいわれている日本人からみると、スロヴァキア人にも、すこしはホスト国に恭順の意を示すようなポーズがあってもよいのでは、と思ってしまう。ポーズというのは、生存に直接は関わりそうもない行動で、様式化された不自然な行為である。一種の儀式ないし儀礼であり、つまりは礼儀に通ずる。剣や勾玉をもってこい、って話じゃない。些細なことでいい──たとえば、「チェコ語を話す」とか。
だから、むかしから一定の程度いたのであろう、知り合いのなかにもいた、チェコ語を話すスロヴァキア人には、敬意がしぜん湧く。そうでない連中のなかには、とうぜん傲岸な輩も多い──という印象になる。
ちなみに、スロヴァキア語にももちろん方言があって、チェコ共和国の国境に近い地方のひとの会話は、ほとんどチェコ語と区別がつかない。だが、東にゆくと、すっかりスロヴァキア語だ。幼児のチェコ語のような、呂律が廻らないひとのチェコ語のような。
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