アウトポスト──米国流の荒事
財貨と航空戦力にものを言わせ、アメリカがいかにでたらめな戦争をやっていたか、よくわかる。
ロッド・ルーリー監督の映画『アウトポスト』は、端的にいえば、そういう劇映画である。そのあたりは、ドキュメンタリーよりよっぽどわかりやすく焦点が整理、調整されている。早く観たいとは思っていたけれども、観るまえに、カーブル陥落が先に起こってしまった。あれだけの衝撃的ななものを見せられたのであるから、時機を逸したような気がした。が、やっと機会を得た。
もちろん、主としてアメリカ合衆国の観客のために制作されているのだから、かの国の安全保障について、あるいは自由をまもるために犠牲になった兵士のことを思い出してほしいというメッセージが前面にでている。そのために、やや冗漫にも感じるところもある。ただ、エンドロールには実在の関係者のインタヴューがあるので、劇場で観る場合にも早まって退場すべきではない。
米国市民でない観客としては、戦争映画というジャンルの娯楽作品として、チケットを買うなり、ポチるなりしているはずで、そちらの需要にも対応できるようなウェルメイドな仕上がりにもなっている。換言すれば、たんなるドンパチ映画としても出色の出来だと思う。アフガニスタンの戦場を扱った作品はすでに選択肢も多いが、まず『ローン・サバイバー』(ピーター・バーグ監督、2013)を連想して、比較してしまうのも致し方ない。
1)主人公・ロー
「原作」は別にあるものの、「原案」となったクリント・ロメシャの手記も、2017年に邦訳が出ている(伏見威蕃訳『レッド・プラトーン──14時間の死闘』早川書房刊)。そこで件の『ローン・サバイバー』との差異が説明されている。「兵士たちは、少年聖歌隊員のように純真無垢ではなかった。かといって、ここ一〇年ほどのあいだに多く語られてきたような、強固な意志を持つ冷徹な目のスーパーヒーローのたぐいでもなかった。」つまり、自分たちは特殊部隊の精鋭ではなく、一般の部隊にいるごくふつうの兵隊だったのだと言いたいらしい。
そうはいっても、主人公「ロメシャ」は、ちょっと特別だ。畜産を生業としながらも軍人を輩出してきた家系の出で、祖父はノルマンディーやバストーニュの森で、父はヴィエトナムで戦った。ロメシャ本人もけっきょく、モルモン教の神学徒をやめて、1999年9月に志願入隊した。
スカウトとか騎兵斥候と書いてあるが、要は偵察にかんする技能を叩き込まれた──偵察、監視、航法から、もろもろの通信技術、それに衛生、車両整備、戦闘支援、爆破、あらゆる火器のあつかい……。こうしたことが、軍隊にはいるまえは勉学に苦労したというロメシャには「薄気味が悪いほど、まるで本能のように身についた」といっている。天職だったのだ。さらに本人は書いている。「斥候という仕事のあらゆる面が大好きだった──もっとも、いちばん得意だったのは、〝接敵時の対応〟だった。それには、撃ち合いがはじまったとたんに、戦闘計画をひねり出さなければならない」。役職としては「セクション・リーダー」というのだけれど、ちょうど陸上自衛隊の小隊陸曹のようなかたちで部下に目をくばり、ばあいによっては上官にも食ってかかるように意見を具申し、戦闘を指揮する。(ただし、「小隊軍曹」にはゲレロ一等軍曹のというのが別のセクションにいた)。愛称で「ロー」と呼ばれ、上官や部下からの信頼も厚かった。
まず派遣されたイラクで、優秀な部下・スネルを亡くしたことをきっかけに、下士官としての職務やティーム・メイキングについて真摯に考えるようになったらしい。そして、その喪った部下の穴をうめるラーソンという無二の相棒に出会う。ラーソンは映画でも、山のように泰然とした冷静沈着な軍曹として描かれている。演じているヘンリー・ヒューズは、元空挺隊員だという。
2)地形と物語
題名の「アウトポスト」は「前哨基地」と説明される。映画の舞台となった陣地の名称は「COPキーティング」。COP(コンバット・アウトポスト)というのは、陸自では「戦闘前哨」と直訳されているようだ。遠目には、ベニヤ板でできた掘っ建て小屋があつまっている「フットボール場」ほどのキャンプ場にしか見えない。
立地が問題だった。アフガン東部、ヌーリスターン県でも東の端、カームデーシュ郡。周囲にきりたった急峻な山肌から見下ろされる谷底で、「金魚鉢か、ペイパー・カップの底」と形容された。つまり、これ以上ない不利な地形で、よくこんなところに拠点を置いたなと、われわれ素人でも呆れるほどだ。2006年に設置されて以来、着任した兵士らとて口ぐちに「基地として最悪の場所」と断言していた。岩山の斜面には陣地となりうる地点が多く、逆に標的となるすべての設備や装備がそこから一望できた。そんなアウトポストへ通ずる悪路は、とりわけ雨天時には危険なうえ、待ち伏せ攻撃の脅威もあり、やがてすべての物資や人員の補給・補充を夜間のヘリ輸送にたよるようになった。
はじめ上層部は「開発プロジェクト」という名の「バラマキ」をとおして、地域住民の人心をつかむことができると考えていたようだ。しかしながら、いくらCOPの司令官が札束とひきかえに協力をもとめても、住人たちは、ターリバーンや地元の抵抗勢力の戦闘員らが集落を通り抜けるのすら止めようともしなかった。やがて、このCOPキーティングは廃止されることが決まったのも、経緯からすれば至当であった。2009年の7月と当初は予定されていた。が、オバーマ米大統領とカルザイ・アフガン大統領との信頼関係にかかわる問題から、その撤収計画は延期されてしまった。それでも、10月中旬という撤収の期日が決まってはいた。
そうしたなか、ロメシャらは10月3日の「カームデーシュの戦い」をむかえることとなった。米側の戦力は、ラトヴィア軍所属の軍事顧問らをあわせて48名と、アフガン国民軍(ANA)の24名。ところが、報道によってご案内のとおり、戦闘がはじまるやANAの連中はほとんどが逃げ出してしまって、役に立たない。そこへ、300人にのぼるというターリバーンが攻略を期して殺到した……。
3)その他の見どころ
映画『アウトポスト』では、前半で部隊の文化や成員どうしの親密さ、各員のジョークのセンスを描き、後半から戦闘一色のシーンへ至る。そこでは敵に包囲されつつも死闘を繰り広げ、騎兵隊の援けを待つ──。要するに、いつものアメリカ人にとっての「歌舞伎」だ。そのかわり、われら日本人の観客はこうした古典的な様式美を愉しむことにも長けている。つきつめれば「細部にこそ神は宿る」であるが、その点、本作も映像のほうは「ライアン以後」のリアリズム様式で作り込まれているようにみえる。
歌舞伎といえば、舞台衣裳や役者の芝居も鑑賞に欠かせないポイントとなる。当時の戦闘服はACU型の被服で、マルチカム迷彩に替わるまえの、不評だったというユニヴァーサル迷彩パターンである。そして士官の一部にいわゆるコンバット・シャツを着用している者もある。こういうところで時代が把握できる向きも、想定される客層のなかには多いはずだ。この手の作品では、あざといくらいに過渡期の装備をプロップにつかうことがあるけれど、それもディーテイル描写の工夫なのだろう。
本作中、その戦闘服の左上腕には皆、四つ葉が図案化されたワッペンをつけていて、第4師団の隷下部隊だとわかる。米陸軍はおもしろくて、右の上腕部に以前所属したことがある部隊の徽章を各自つけたりするらしいのだが、ロメシャのばあいは第2師団のものとおぼしきマークが確認できる。実在の人物であるため、いまどきググればすぐに、それが実際の軍歴を反映しているかどうか確認できてしまう。だから、そういう細部までもお座なりにしていない。
ちなみに所属は、第4歩兵師団第4旅団戦闘団第61騎兵連隊第3偵察大隊の黒騎士中隊(ブラヴォー中隊)だそうで、同中隊は、レッド、ホワイト、ブルーの3個小隊を擁し、定員65名。ロメシャはレッド小隊のAセクションにいて、小隊長のバンダーマン中尉を支えた。
このロメシャを演じたのが、スコット・イーストウッド。この人はしばしば、肺からの呼気をあたかも声帯にぶつけずに代わりに軟口蓋をつかうかのような発声をすることがあって、そんなとき、実父が演じたダーティ・ハリーそっくりの声にきこえるのだ。なかんづく長ぜりふを言うときに顕著にあらわれるが、おもわず「ゴウ・アヘェ、メイク・マイ・デイ……」と呟かずにはおれなかった。父、クリント・イーストウッドはことし、御年91歳だそうだ。くわえて、メル・ギブソンの子息、マイロウ・ギブソンも、イェスカス大尉役で出演している。──さしづめ、メリケン歌舞伎の襲名披露公演だ。
また、キーティング大尉役のオーランド・ブルームは、かつて『ブラックホーク・ダウン』(リドリー・スコット監督、2001)で、作戦が開始された直後にヘリから落下して負傷するブラックバーン上等兵を演じていた。それが20年を経て大尉として帰ってきた、というふうにも映った。だが今回も……。
*参照:
*上掲画像はWikimedia