ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

ハシェクと聖マティアの日

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 『兵士シュヴェイク』で知られるヤロスラフ・ハシェク(1883-1923)は、とくにポヴィートキとかフモレスキとか呼ばれたジャンルで掌篇の名手でもあった。生年がおなじで没年も近いからか、その生涯はカフカに似ているなどとWikipediaには説明がある。けれどもカフカよりだんぜん多作で、リアルでどこか既視感のあるような小咄は風刺がきいていておもしろい。

 たとえば「アル中の牧歌」というのがある。

 ホヂーネクだか、ホヂーシェクだかいう人物は、まいにち2杯の麦酒しか飲まない。これは地域の文化では珍しく、ほぼ飲まない人に分類される。つまり誇張ぎみに描写された、ごく真面目な市民といえる。だが、世の中には反アルコール連盟などという、依存症の人の脱依存を援助する団体があって、健全な人びとにとってはお節介でしかない啓蒙活動にも精を出している。

 ある日、ホヂーネクの夫人が事もあろうに、連盟によるパンフレットを入手してしまう。まず連盟は、アルコール依存症というのは身近なもので、麦酒を日に1杯でも飲んでいれば該当するのだと説く。その毎日の1杯が徐々に白痴化を招き、職場での公金横領、投獄を経て、家庭を崩壊させます──などという極端な例を挙げて夫人を怯えさせる。また、脱アルコールのための薬の新聞広告が脅迫する──すぐにアルコールを止めさせなければ、やがて殺人者、放火犯、強盗になります! 

 夫人は、さっそく夫に薬を飲ませる。用法の注意書きには、患者が毎晩のむリキュールに40滴まぜて、4か月のあいだ与えるべしとあった。ただし、麦酒には適さないとも。ホヂーネク本人はそんなに強い酒は飲んだことはないが、妻が薬だと言うものだからと蒸留酒を……。やがて3か月目が終わろうとするころ、自宅に燃油をまいて家族と自らに火を放つホヂーネクの姿があった……。

 ──これがまた、じっさいに起こりそうな話ではないか。「当社のしじみエキス入り青汁を飲まないと、視聴者の皆さんは癌か糖尿か心筋梗塞かコロナ肺炎か老衰で死にます!」などというCMがBS放送などに流れて全国の主婦が殺到しても、いまどき意外性はまったくない。アルコールというより、メディア依存か広告依存症の噺のようでもあり、昨今のコロナ報道にも通ずるパニックの風刺画だ。100年も前、1912年の作品にして、この現代性であるからして、恐ろしいものがある。実父の死にもアルコールが絡んでいたらしいから、ほんの小品とはいえ渾身の作だったのかもしれない。

 ところで、有名人が薬物使用の咎で受ける刑の重さや、それを伝える報道の過剰さは、日本に特有に見られるものであろう。当事者が俳優やタレントであった場合は、CMを含む出演作品が、販売や放送や公開の自粛に追い込まれたりすることもあるから致し方ないのかもしれないが、それすらも広告依存社会の成れの果てといった観がある。それに、必要なのは懲役や禁錮ではなく治療だと思うのだけれども、どうなのだろう。

 さて、すこし過ぎてしまったが、2月24日は聖マティアの祝日であった。といっても、現在では聖公会の一部とルター派などのみがこの日に祝うそうで、カトリックでは5月14日に変更されている。東方教会ではそもそも8月9日らしい。──というのも、この聖マティアとは、あらゆる依存症患者とそれを援助する人々の守護聖人でもあるというから、もっと注目されてもいいと思う。ハシェクの作品とともに。

チェコSF短編小説集 (平凡社ライブラリー0872)

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