ウラシマ・エフェクト

竜宮城から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。日欧ブログ……?

ヨーゼフ帝の鋤車

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 プラハの旧市街広場に、1918年に破壊された聖マリア柱が戻ってくるらしい。再建のための予備的な発掘調査が始まったという報道があった。チェコスロヴァキア建国当時、軍団あがりなどという輩を中心とした群衆によって「愛国無罪」的な破壊行為が横行し、貴重なハプスブルクの遺産が各地で犠牲になった。ナショナリズムの熱に浮かされた末の集団心理が惹き起こした暴挙とはいえ、21世紀にはバーミヤンパルミラで見られたジハーディストのテロリストらと同様の蛮行であった。

 それで思い出したが、10年ほど前だろうか。チェコ共和国の旅行業界のスポークスマンであった某日系人が、モラヴィアは観光にするに値しない、という趣旨のことをインタヴューでコメントしたことがあって、驚いたことがあった。立場上の損得を考えたときに可能な発言なのか──ということ以上に、観光資源ならいっぱいあるじゃないか、という、ながくモラヴィアに関わった者の素直な感想であった。それで当時、なんとはなしに改めて調べてみることにした。

 むろん業界にとってカネの成る木であるプラハに比べられてしまえば、返すことばもない。モラヴィアの観光資源が整備されていないのもたしかであった。田舎に車を走らせてめぐるような名勝をのぞけば、総じて退屈な地域ではある。だが、文化財はどうなのか。

 手はじめに、よくある歴史案内やガイドブックなどを参照すると、理由がわかってきた。観光客向けに作成されたとはいうものの、ほとんどは地元住民の目線で執筆されており、外国で知名度のない史跡や文化財ばかりがフィーチャーされている。いくら地元で愛されていても、インバウンドの観光客にとって興味が抱きにくいのは、いわば「民族史観」にもとづくものだからで、ではどうして世界史的な観点から編集できないのかと問えば、それはもう政治的な理由としか思えない。有望な観光資源も無いわけではないが、いわば隠匿されている。

 たとえば、かつての州都ブルノは「ウィーンの郊外」といわれるほど、地理的にも文化的にもオーストリアの首都にちかい。現在でもウィーンから列車で1時間半ほどで着いてしまう。ところが、オーストリアからの観光客にアピールする文化財が、ことごとく隠蔽の憂き目にあっている。

 ヨーゼフ2世(1741-1790)といえば、マリア・テレーズィアの長男で、融通の効かぬ青年皇帝といった印象もある。流行りの啓蒙主義にかぶれた結果、教会の利権にもとづく旧弊を廃し、合理的で先進的な数多の改革を成し遂げてしまう。昭和天皇人間宣言にも似たようなことをいって、豪奢を戒め、質素な生活を旨とし、佐官クラスの騎兵の軍服を愛用した。こうした性格であったればこそ、宮廷においては煙たがられたのも無理はなく、つねに孤立気味ではあったという。それだけに、臣民をおもんぱかった人間味をしのばせる、どこか物悲しくも微笑ましいエピソードにも事欠かない。つまりは時代劇のネタになるような、日本人にもたいへんに好まれるような小噺だ。とくに、行く先々で皇帝陛下として遇されたのでは仕事にならぬからか、伯爵ファルケンシュタインに身をやつし、領地を視察してまわる──というやり方は、むろん『遠山の金さん』に典型であるが、『暴れん坊将軍』や『大岡越前』にも通ずる趣向であろう。

 そんなある日、ブルノの東20キロほどの集落であるスラーヴィコヴィッツ(スラヴィーコヴィツェ)に、馬車の故障で滞在していたヨーゼフ帝は、地元のおそらく農奴であったヤン・カルトシュから馬に繋がれた鋤車をひきとって、みずから畑を耕してみせたのである。この皇帝おん自ら鋤を握ったという偉業は「スラーヴィコヴィッツの畝」として知れわたり、イラスト・挿絵としてさかんに描かれた。ウィーン市立博物館にも、やや素朴な筆致の絵画が展示されている。さらにモラヴィア各地には記念碑すら建立せしめるところともなったが、そのほとんどは残念ながら今では跡形もない。農奴制がモラヴィアで廃止されたのは、最終的には1848年の革命の成果ではあるものの、先鞭をつけたのはヨーゼフ帝の廃止令であり、それを象徴するがごとき光景は人類の夜明けを暗示している……とすると、さすがに大袈裟かも知れないが。とまれ、これは1769年8月のことで、たとえばリンカーン奴隷解放宣言より100年ちかくも前のことであった。オーストリアのひとびとが誇らないわけがない。

 いっぽう、このときの鋤車は、チェコ共和国に現存する最古の農耕機具のひとつといわれ、ブルノ市街にあるモラヴィア領邦博物館民族学研究所によって保存されている。これは、おそらくビロード革命後のあるときから、公開されなくなった。担当の学芸員に理由について尋ねたところ、予算がない由であった。だが、誰が真に受けよう。小国とはいえ、農具ひとつ展示する予算を国がつけないというのだから、政治的に意図があるとしか思えない。

 ──この話も長くなりそうなので、今回はこの辺で締めておきたい。とまれ、破壊された文化財も数知れず、公開されていないだけならば、まだましである。冒頭のようなプラハのニュースもあったことだし、いずれは他所でも、いろいろと見直しが起きてくるのではないかと期待するとしよう。

 ちなみにこの博物館は「Moravské zemské muzeum」といって、モラヴィア州立博物館と訳してもよいが、むろん帝国内の領邦であった「州」は廃止されているから、「zemské」とは形式的に名称に残っているのみ。大日本帝国がなくなってからも、かなり長きにわたって帝都高速度交通営団が残っていたようなものかもしれない。運営予算の観点からみれば、国立の博物館である。また、Wikipediaなどでは「kraj」が「州」と訳されてしまっているが、その文献的な根拠についてはよく知らない。紛らわしいので、「kraj」は「県」、「okres」は「郡」で統一してほしいところだ。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/42/Joseph_II_is_plowing.jpg

*上掲の画像はいずれもWikimedia

 

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