ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

チェコ語はむずかしい言語か

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photo by Wojtek Witkowski

 チェコ語はむずかしいのか──とあらためて訊かれてみると、応えに窮した。もし、B1レヴェルの試験に受かるには学習時間がどれだけ要るのか、というような具体的な問いであったらば、なんらかの数字を示すことができよう。だが、「フランス国鉄はサーヴィスがよいのか」とか「自衛隊は強いのか」とかといったものにも似て、あまりに漠然としている問いに、どのように応えたらよいのか。

 すこし一般化してみよう。あえて応答を試みるならば、まず質問者をみるべきだろう──相手がどのような人物で、何を求めているのか。ここでは、架空の人物を想定してみる。典型的な日本人で、チェコ語を学ぼうとしている。その目的は──話せるようになりたい、つまりチェコ人との会話をしたがっている。ということは、英語による会話もおぼつかない可能性が高い。ただし、学校で習ったぶんの英語の知識はある。

 簡単な言語などない、と返したら身も蓋もない。想定した人物にイメージをつかんでもらいやすいように、こう言ってみる──チェコ語は日本人、日本語母語話者には、わりあい相性が良い言語だと思う。比較的すぐに簡単な会話ができるようになる。──つづけて、学習していたときに抱いた個人的な感想や、わかりやすい比喩や比較を中心に、あくまで主観だといいわけしながら説明してゆくことになる。比較的、というのは、ほかのヨーロッパ諸語と比較して、という意味で、同時に日本語母語話者とヨーロッパ語の話者の傾向を大雑把に比較することになろう。

 ヨーロッパ人で、いくつも言語が話せる、などと言っているひとは珍しくもない。が、それらがすべてアジアや中東の言語ならばいざ知らず、そういうケースは少ない。たいていは近隣の言語である。そもそも日本人からみれば、印欧語というひとつの言語の、ドイツ方言やアングロ=サクソン方言、さらにはロマンス方言、スラヴ方言という差異に過ぎぬとしか思われず、それらを言語にカウントするやり方がフェアじゃない。要は、日本語話者が、それらの言語を学習するときに不利なのは、日本語が印欧語ではないからだ。また、社会文化能力にかかわる「文化」の違いも、ハンディキャップとなる。──それは措いておこう。

 まずチェコ語の語彙に関して、BASIC ENGLISHというのが800語程度から成るのにたいし、BASIC CZECHというのは500語にすぎぬ、とオトマル・ハヂムというひとが自著に書いている。これも気休めにはなるだろう。日本語にはしかし、ほかのヨーロッパ人の言語と比して共通の語彙がまず少ない。これは仕方がない。ギリシア・ローマの古典語、キリスト教、地理……と隔たりが大きい。

 音訳されただけの借用語が記憶にあったとしても、まず正確には発音できない。これは伝統的にカタカナの運用に問題があるからだけではなく、もともと日本語が音の面で単純な言語であることによる。典型的な欧州の言語が数千の要素から成るとしたら、日本語の音の要素はわずか数百である──と、金田一春彦岩波新書版『日本語』に書いている。

 音に関して、「聴き取れるかどうか」と「正確に発音できるか」は別の問題である。チェコ語はフランス語などと比べると格段に聴き取りやすいと思われる反面、発音を学習者が正確に再現できるかは、かなり個人差が出てくると思う。音声学・音響学をかじれば淀みなく発音できるようになる、というものでもない。この点は、早口言葉や物真似が得意かどうかにもかかわってくるかもしれない。

 不正確な発音がどのていどまで許容されるか、というのは、心理学的かつ社会学的な問題でもある。これも印象論になるが、チェコ語の場合はきびしいひとが多い。

 ある工場で通訳として勤務していた日本人がいた。勉強熱心でやる気もじゅうぶん、そのぶんチェコ語会話には自信もあるようだった。チェコ人の配偶者とは問題なく意思疎通ができていることも、自信を裏付けた。だが、チェコ人従業員らは「あのひとは自分ではチェコ語を話していると思っているようだけれども、おれたちはあれがチェコ語だとは思っていない」「理解はできても、あれはチェコ語ではない」などと陰口を叩いていたものであった。象牙の塔をいっぽ出てみると、言語の定義というのは、じつはひとによってさまざまであるようだ。おまえら理解できてるならそれでいいじゃん、とは思ったけれど。たとえば、インド人やシンガポール人の話しているのを聞くと英語だとはとうてい思えないことも多いが、本人らが英語だとおもっていて、それで意思の疎通ができるのだから、それで許容されている。だがそれは英語だからだ。

 日本ほどではないにしても、チェコの社会の同質性の高さから、このあたりは厳しくなるのだろう。概して、ネイティヴ・スピーカーは言語を音として捉えるぶん、この手の官能試験のハードルは高い。だが逆に、そのハードルを越えてしまえば、神のように崇めてくれるひともある。これは気分がよい。

 さて、発音はともかく、成人にとって語学といえば、まずは文法ということになろう。すなわち、文をつくる法ということになる。だが、そもそも日本人はあまり文章やセンテンスでもって会話しないのではないか、という気がする。これも科学的な根拠はない。平田オリザの実験的な芝居で、人物が「ふん」「ああ」「ええ」しかいわないようなのがあったと思うが、あれは極端な例だとしても……。

 よくニュース番組などでは、目撃者の証言とか、街の声とかいって、通行人のインタヴューのVTRが放映されることがある。チェコのニュースを動画でみていただきたいものだが、みんなどうしてそんなに雄弁なのか、というくらい、応答がうまい。日本の報道番組でそのようなひとがでてきたら、「やらせ」である疑いがつよい(チェコもそうなのかも知れぬが)。ふつうは「そうです。二階から。ええ。見えたんで。あ、はい。ちらっとね。ひょっと見たら。そうそう。シュッとした人が。ええ。ばーって来て、さーっと……」といった具合だ。これはまだ格助詞が正確に使用されているぶん、ましである。

 だが、肝はここである。「日本人と相性がいい」とか「比較的すぐに会話ができる」というのは、チェコ語の格のつくり方が日本語話者にとって都合が良いから、そう書いた。チェコ語は、ヨーロッパの諸語にありがちな屈折語であり、それが典型的な形で現在も運用されている。これが、文をつくらなくても会話が成立することを助ける(厳密には、一語文による会話を成立せしむるのを助ける、というべきだろうが)。

 チェコ語の名詞には7つの格があって、語形を変化させて格をつくる必要があるが、これは日本語の「てにをは」にあたると思ってもらってよい。初級文法の教科書の最初のほうで覚えることはたくさんあるが、覚えてしまえばこっちのものだ。その時点で、あらゆる一語文が運用できるようになる。ほら、もう会話ができる。

 英語では、格による語形変化が歴史のなかで廃れてしまって、典型的にはI, my, me, mineくらいが残っているのみ。そうなると、語順で格をつくらないといけなくなる。ドイツ語も同様であるが、性とともに格が中途半端に残っているぶん、初学者にはたちがわるい。

 これもむろん相対的なもので、比較の問題である。英語であっても、一語文による会話などあるにはある。たとえば、先日の記事で触れた映画『カジノ・ロワイヤル』 から、スクリーンプレイにあった一語文による会話である:

Vesper: Smart?
Bond: Single.

 「賢い?」「単一の。」──と、一見すると意味不明だ。

 意訳すれば「君は僕のタイプではない」というボンドに「Smart?(あたしが知的だから?)」と訊くヴェスパーであったが、ボンドは「Single.(きみが人妻じゃないからさ)」と返すシーンである。

 この会話のばあいは形容詞でもあり、あまり良い例ではなかったかもしれないが、名詞でも同じことである。要は、英語の一語文では字面だけみては格がわからないし、性もないから、解釈の多くを文脈に負うことになる。

 いっぽうチェコ語のように、語形で性・数・格が明示できれば、文脈への依存が軽減される。同じ一語でもヒントが多いのだ。しかも、たとえばドイツ語が4格なのにたいし、チェコ語では7格もの表示が原則可能。すると一語文が通じる場面は増える、という理屈である。──たんなる仮説にすぎないが、経験的にもそう思う……

 語形変化の表を見てげんなりする言語ほど、会話がすぐできるようになる──仮説。ラテン語留学に古代ローマへ出発するひとにも、同様のことを言って励ましたい。

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