ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

苗字の「男女差解消」がチェコ語を滅ぼす?

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photo by Denis Vdovin

1) 身分証明書の仕様変更

 チェコ共和国ではこのほど、身分証明カードにかんして、仕様変更のための法律改正案が代議院(下院)を通過した。欧州議会の決定に適合させる形で、治安対策にも資するべく、指紋などの生体情報をチップに記憶させておくようにすることなどが眼目ではあったが、同時に、登録する氏名をめぐっても大きな変更が盛り込まれた。──これがチェコ語を破壊するのではないか、と論争を起こしている。

 このIDカードは「オプチャンスキー・プルーカス」といって、俗に「オプチャンカ」とも呼ばれる。直訳すると「市民証」となるけれど、要するに身分証明書であって、役所の手続きや何かの会員登録をするようなとき、日常ひろく本人確認の手段としてつかわれている。日本でも今ではマイナンバーカードがあるが、ばあいによっては運転免許証か健康保険証などを要求される場面である。

 民主化後しばらく、1993年までは30ページの冊子の体裁で、いかにも共産党が自国民を監視するために用いた「国内用パスポート」といった風情があった。現行の2012年以降の型式では、外観上ある程度まで欧州各国との共通化が図られ、銀行のものと変わらない大きさのカード型になった。これ一枚あればEU内の移動にパスポートが要らないから、なかなかに使い勝手がよさげではある。こうした国ごとに発給されているIDを、欧州共通の規格で統一することが2019年に決まっており、今夏から運用が開始される予定となっている。


2) チェコ語における女性の苗字

 チェコ語における典型的な女性の苗字は、語尾に「-オヴァー(-ová)」がついている。これは語学講座でも、初級のクラスですぐに習う文法事項でもあった。これによって、性・数・格による語形変化、曲用が可能になるというのが、文法上の説明である。

 たとえば、「クヴィタKvita」氏の家族のうちの女性の成員、つまり端的に妻や娘が「クヴィトヴァーKvitová」と呼ばれることになる。──ペトラ・クヴィトヴァーをここでは踏まえたわけで、よく知られたテニスの選手だから例に挙げたつもりだったが、日本語のメディアでは「クビトバ」と表記されることが多いから、よく伝わらなかったかもしれない。とまれ、これをみるといつも「鮭トバ」を思い出してしまうのは、酒呑みだからにすぎない。この手の表記では、さん付けしたときに「オバさん」とか、「バーさん」になる弊害のほうが失笑を誘う。

 さらにメディアでは、外国の女性の名前が報じられるときにさえ、これが適用される。大坂なおみであれば、ナオミ・オーサカオヴァー。小池百合子であれば、ユリコ・コイケオヴァーなどと報道されているわけだ。こうすることで、外国語の人名をチェコ語文法の枠組みで運用することを容易ならしめる。

 しかしながら当の女性たちには、以前から不満の声がくすぶっていた。この「オヴァー」とは、がんらい「所有」を表しており、なにか女性だけが父親なり夫なりの「所有物」のように扱われているような気がするという、不当かつ不公平の感を一部に抱かせていたのである。

 そこで今般の改正案では、この「オヴァー」をつけない苗字も無条件に認められることとなった。つまり本人が女性であっても、男性形の苗字で申請が可能になる。むろんこれは証明書の性格上、日本でいう戸籍上の氏名にも匹敵する、公的なものである。

 これまで、男性形の苗字を例外的に認められていたのは、外国出身者のほかには、チェコ共和国市民でも永住権を有するなどして外国に住んでいるか、その予定がある場合、または配偶者が外国人である女性に限られてきた。

 たとえば、先日ふれた「緑の党」のマグダレナ・デイヴィス共同代表などは、配偶者が豪州の人で、その英語の苗字をそのまま名のっている。チェコ語風に「デイヴィソヴァー」というふうにはしていない。これからは、こうした条件にかかわりなく、どの女性でも男性形の姓を認められることになる。


3) チェコ語学からの反発

 この改正案をうけて、チェコ語学研究所のマルチン・プロシェク所長は「間違いなくコミューニケイションに支障をきたす」と断言する。これまでにも、例外的に男性形の苗字をもつ女性を「どうやって呼んだらいいのかわからない」という声があがっており、混乱の原因になってきたと指摘する。また、文法的に正しく話そうとして、そうした苗字に勝手にアドリブで「オヴァー」を付加して呼んでしまったら、無礼にあたるのかどうか、というみぢかで切実な疑問が紹介されている。じっさい、呼ばれた側がそう感じることはあるかもしれないという。

 さらにメディアが担ぎ出したのが、同研究所のカレル・オリヴァ元所長だ。もともとこの業界のひとたちは、これを権利の問題とは見ていない。純粋に文法上の決まりであり、「伝統」の問題であって、改正案は日常の言語運用にいらぬ混沌をもたらし、ひいてはチェコ語という国民語を崩壊にみちびく……というふうに語る。

 元所長は、当該の改正案がでてきた背景には、増大するアメリカニズムの影響があるとしている。つまり、英語には曲用という語形変化がないからだと。それでも「Biden's wife(バイデンの妻)」というときには「's」が必要になるでしょ、それと同じことですよ、とつづける。

 この御仁によれば、チェコ語はすくなくともあと200年は存続するはずだというのだが、それでも性・数・格にからんで、主語や接続詞などの用法が「アメリカ化」して、伝統的な文の構造が失われることを危惧しているという。

 

4) 文法上の問題──例文による愚察

 実際には、なにがどう問題となるのか。例文を考えてみたい。

 先日、テニスの全仏オープンに、幾人もチェコ共和国出身の女子選手が出場しているという報道があった。そこで、カロリーナ・プリーシュコヴァーとバルボラ・クレイチーコヴァーが対戦したと仮定しよう。このとき、件のオヴァーをつかわない苗字であったばあい、それぞれプリーシュコヴァーはプリーシェク、クレイチーコヴァーはクレイチークとなるが、「プリーシェクがクレイチークを下した」と言おうとすると、「オヴァー廃止」後の文は一例として、つぎのようになると思う。

* Plíšek porazila Krejčík.

 じつはこの文では、どちらがどちらに勝ったのか判然としない。英語などと異なり、チェコ語では語順によって格が決まるわけではないためである。これが男子選手であったばあいには、それぞれの苗字は男性名詞として対格をつくることもできるが、現時点ではこうした男性名詞の形をした女性名詞を変化させるための規則がない。日本語でいえば「を格」が表現できないような事態に陥る。

 同じことを、オヴァーを用いた通常の文にしたばあい、すくなくともふた通りの文が想定されうる。

Plíšková porazila Krejčíkovou.

(プリーシュコヴァーがクレイチーコヴァーを下した。)
Plíškovou porazila Krejčíková.

(プリーシュコヴァーをクレイチーコヴァーが下した。)

 たしかに、こんなにも単純なことがらを言い表せなくなるのなら、チェコ語が国語としての役割を担いつづけられなくなるとの懸念は、一笑に附すことができまい。いずれ文法書に「適宜、-ováを補ってもかまわない」などという細則をもうける羽目になるのではないか。


5) 女性は苗字を変えるか

 アンドレイ・バビシュ首相は現在、感染症対策の不手際や利益相反の嫌疑など、さまざまな咎で取り沙汰されているが、数年もたてば、女性の接尾辞を廃止した政府の首班として記憶されているだろうと、ある日刊紙の主席解説委員は揶揄する。改正案を主導したのは、ポピュリスト政党で政権与党のANOに籍を置くヘレナ・ヴァールコヴァー元法相であったが、いずれにしても、言語は政府の意向に左右されるものではないと同委員は注意を促してもいる。そのうえで、この変化を自由をもたらすものとして歓迎しようとする反面、どうなるか見ものではないかとも言っている。一部の女性の自立心からくる欲求が勝るのか、われらの母語がそれを凌ぐのか、と。

 つまり、今後チェコ語から「オヴァー」がつく苗字がいっせいに消えるのかというと、そういう見通しがあるわけでもないらしい。じっさい、言語や習慣的にちかしいスロヴァキアでは、とっくに男性形の苗字が「自由化」されているが、「なんとかオヴァー」さんが絶滅したわけではない。現職の大統領にしてが、ズザナ・チャプトヴァーという名である(カタカナでは「トヴァー」なるも、原綴はČaputováと、-ováが含まれているから念のため)。

 あるオンラインの記事には、アンケートがあった。女性も無条件で男性と同じ苗字を名のる権利をもつべきかという問いが挙がっている。これにたいし、1万人あまりが回答した時点で、「Yes」が約54%、「No」が同46%という結果になっていた。ただしこれは「権利」についての質問であって「じっさいに名のるべきか」という設問ではないから、注意を要する。ほか、女性の側にもオヴァーがつく苗字は「女性らしくてかわいい」と肯定する意見もあると、新聞記事には紹介されていたけれど、いずれにせよ、すぐに消滅するわけではないと思われる。

 関連する記事のコメント欄にもまた、興味ぶかい見解が散見される。ただ、書き込みをするくらいの不平の徒であるから、反対意見のほうが目立つ。──外国での公的な手続きのさいに、トラブルが減りそうで好ましい。──女はそれでよいが、男はオヴァーを使用できないのだから、それはそれで差別ではないか。──言語体系に完全に反するもので、やはり女の理性はあてにならない、世論調査でもわかるように、たいていの女はセレブのような名前になりたいだけ、このばからしさはどこまでつづくのか……と嘆くのはチェコ語を専攻したという女性である。

 ついでに附言すれば、すべてのチェコ語による苗字が「オヴァーの文法規則」に縛られているわけでもない。たとえば作曲家のボフスラフ・マルチヌー(Martinů)に見られる「-ů」で終わる苗字なども、もともと男女同形である。


6) 氏名は誰のものか

 姓ではなくて名のほうでは、近年チェコ語でも「キラキラネーム」をつける親御さんも多い。それでなにか不都合があるのか、と前出の解説委員は畳みかけている。キラキラといっても、チェコ語のばあいは、英語やフランス語ふうの名前がもちいられる程度である。おそらく都市部ほど多いのだろう。

 極端な例を挙げれば、日本語の動植物名をローマ字表記したような名前のひとに会ったことがある。障りがあるといけないから具体的には明かさないが、そうした女性のひとりに訊くと、両親が日本文化の愛好者でそう名づけられたらしい。さいわい本人が気に入っているようだったから、その点では問題とは思われなかった。けれども、女児の名前のばあいはすくなくとも「-a」で終わるような無難な形でないと「あんたの名前、どう格変化させればいいかわからない」とからかわれつづけるのであろうから、笑っておさまればよいのだが、見方によっては気の毒である。このあたりは、助詞で格をつくる日本語には無縁の話だ。

 日本語の名前といえば、一定以上の年代には1990年代の「悪魔ちゃん騒動」を覚えている向きもあるだろう。あのとき日本人が学んだことは、氏名とは当該個人のものであると同時に、社会のものでもあって、親だからといって命名権の濫用は許されないということである。これは、変わった名前を負うことで当人がこうむると予想される不利益だけが念頭におかれているわけではない。それ以前に、ある言語において了解可能と認められる名前でなければ、そもそも名前の意味をなさないのだ。

 個人的にも海外で生活してみたら、すぐに現地語の名前がほしくなったものである。日本語の名というのは、人名であるとすら認識されないから、不便なのだ。郵便局で荷物を受け取るときに引き渡しを拒否されたりしたこともあったし、電話口でもこちらが名乗っているとは受けとられなかったりする。面識のない業者に見積もりを頼もうと連絡したら、柔道家だか空手家だかを騙るいたずらメールだと思われた……等々。了解可能でないから、人名として十全に機能しない。キラキラネームをもつひとに同情する所以である。

 けっきょく、だれかの権利や自由が殖えた分だけ、ほかのだれかの負担が増すということなのだろうか。それとも、そんなゼロ=サム社会的な捉え方こそが間違いなのか。とはいえ、コミューニケイション上の創意工夫くらいならば、自由の代償とか、民主主義のコストなどというほど大袈裟なものではないかもしれない。それでも、文法という旧来の社会的な合意に囚われない姓に道を拓く決定が、議会の外でも納得されるかどうかは別問題であろう。昨今の防疫対策のように、予期しなかった反発を招くこともありうるわけだ。

 なお、当該の改正案が発効するには今後、元老院(上院)での採決と大統領の署名が必要となっている。また、日本では夫婦別姓の議論がさかんであるけれども、チェコ共和国では従前より同姓、別姓、複合姓とも認められている。