ミラン・クンデラに、剥奪された市民権がふたたび授与された、と報じられている。日本語では、国籍といったほうが通りが良いかもしれない。
チェコスロヴァキア最後の大物亡命作家は、同国ブルノ出身ながら、1970年代に亡命して以来、フランス在住である。日本では、むかしから人気がたかい。『存在の耐えられない軽さ』は映画で観た、という向きも多いだろう。
およそ20年前になるが、ブルノの大学で周囲の学生らに尋ねてみたことがある。──クンデラ? 亡命して長いもんだから、チェコ語の文法も忘れてしまって、もう満足に書けやしないし、きっと喋れもしないんだよ。──あれはフランスに行っちゃって、フランス語で書いているし、もうフランスの作家なのよ──というような、冷淡な反応がおおよそ支配的であった。
意外であった。ナショナリズムを唯一の国教とするようなチェコの人びとである。亡命した同胞への中傷はつきものだが、とくに特定の分野で名を上げた人物にかぎっては、国民の自尊心と国威発揚のために、称賛するのがつねであろう。そうおもっていた。新聞などでも、国外で活躍する著名人に、もう一度チェコ人として活躍してみるというのはどうですか、などと取材で訪れた記者が提案し、そんなの興味ない、と返答されてがっかりするというのが、様式美であるように感じていた。たとえば、米国在住のマルチナ・ナヴラーチロヴァーへの、ある時期のインタヴューなどがこのケースだった。さいきんは柔軟な回答をするようにもなったようだが。
クンデラも、ここ22年ほど帰国していないというから、このパターンだとおもっていた。それでも、ひとの心は移ろうもの。クンデラとて、すでに御年90歳。人生も黄昏どきをむかえると、窓から見える景色も変わってくるのだろう──などと素朴に考えてもいたが、夫人によると、じつは別の諸事情もあったという。
ビロード革命後、権力を掌握したハヴェルらの一派が、国外での知名度に秀でるクンデラを疎んじていたため、帰国できなかったというのだ。ほんとかな、とは思ったけれど、そういえば、10年ほど前に「スパイ密告疑惑」が報じられたことがあった。その際は断固否定しているが、そういう疑惑が報じられること自体、その頃はまだ残っていたのかもしれぬ「わだかまり」の存在を示唆している。
それから、パリの居住環境の悪化も、考え方が変わってきた理由らしい。近年の膨大な移民の流入のせいもあるのだろう、行政サーヴィス、公共交通、治安の悪化。さらにデモやストライキの頻発、ジレ・ジョーヌ(黄巾賊)による町の破壊……。そうでなくとも、エッフェル塔も霞むスモッグや、世界の「過剰観光」問題をリードする大量の旅客は、つとに悪名高い。年寄りが暮らし易い環境とは、とてもいえまい。
さて、そうはいっても報道にたいしてクンデラ万歳のごときムードが漂うのも、またふしぎに感じた。チェコだから、といわれればそれまでだが、かつての冷淡な雰囲気はいったいなんだったのか。
ビロード革命後もながらく、チェコ語への翻訳・出版を本人が拒否していたはずだが、近年は気がつけば、アトランティス社のチェコ語版がよく読まれるようになってきていた。つまり、国外で人気の作家が逆輸入され、再評価の機会を得ていた。そういう変化もあったのだろう。また、そうした草の根の人気を、政権の支持率浮揚やイメージアップに利用したいというアンドレイ・バビシュの目論見も、もちろんあるだろう。
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