ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

ハムスター三点盛り

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photo by bierfritze

1) 捨てハムスター

 イングランド北部・ダーリントンで、ゴールデン・ハムスターが18匹、ロボロフスキー・ハムスターが2匹、散歩中の犬によって発見された。3月3日、BBCなどが報じた。食品をいれる容器に小分けされて捨てられていたという。湿気や黴による劣悪な環境で、爬虫類の餌用に飼育されていたものではないかとみられている。──無事でよかった。めでたし、めでたし。

 しかし、ふしぎな報道である。たしかにハムスターはかわいそうだが……。よくタッパーウェアなどと換喩で呼ばれるものであろう。ほんらい食品の保存に利用される容器。それががハムスターを捨てるために用いられただけで、公共放送のニュースになるものだろうか。

 ──というのも、2種類のハムスターの名称は原文ではむろん英名となっており、それぞれ「Syrian」と「dwarf hamsters」となっているのだ。このタイミングで「シリア」と見ると、やはり脳内の「下種の勘繰り中枢」が刺激されるところではある。

 思い出していただきたい。ノルマンディー上陸作戦の前に、レジスタンス組織に決行を伝えるため、BBCヴェルレーヌの詩「秋の歌」の一節を放送したことは、よく知られている。

 また、平成のはじめごろ人気になった漫画に、浦沢直樹の『マスター・キートン』というのがあって、そこでも報道をつうじて、世界に潜伏した人員に秘密の作戦が伝達される様子が描かれていた。それがまた、シュールレアルなニュースで「ドーナウ河畔の動物園で、ライオンが豹の檻に這入ったまま、出られなくなっています」というようなものであった。──いわゆる符牒である。

 トルコ軍による軍事作戦がつづいていたシリアのこと。もし、18人のシリア人が、2名の工作員とともに危機に瀕しているのであれば、英国の特殊部隊によってすみやかに救出されることを祈りたいが…… 

 

2) ハムスター買い

 しかし、世界的に騒ぎになっているのは、別のハムスターである。コロナ騒動による「パニック買い」が、各地で問題になっている。
 日本語にすれば「ハムスターする」とでもなろうか。ドイツ語の口語でhamstern(ハムステルン)といえば、「買いだめする; 買い出しに行く」という動詞である旨、学習用の独和辞書にすら載っている。Hamsterkauf(ハムスター買い)という名詞も各種記事で目にする。
 ハムスターの頬袋は、どんぐりや向日葵の種などを何十個も溜め込むことができるらしく、人間が自宅の冷蔵庫などに食料品を溜め込むさまを表したものであろう。
 ドイツ語にあるものはとうぜんチェコ語にもある。ハムスターを意味するkřečekから生じたと思しい動詞křečkovatを「溜め込む」とか「貯蔵する」というときに用いることができる。

 だがチェコといえば、さらに別の文脈でも、この「ハムスター」の名を、さいきん聞いたのだ。

 

3) ハムスター氏、the オンブズマン

 さきごろチェコ共和国で、議会での投票を経て「オンブズマン」に任命されたのが、スタニスラフ・クシェチェク氏であったが、この苗字がちょうど「ハムスター」を意味している。チェコの人びとにも珍妙な苗字が多い。

 ハムスターといっても、決して愛嬌のある紳士ではない。かといって、素敵な笑顔の博愛主義者でなければオンブズマンに就けないという法もあるまい。とまれ、適任なのかと問われれば疑問符がつくのも確かで、それが一部の市民に感情的な反発を引き起こしている。

 チェコ語ではVeřejný ochránce práv、あるいは単にOchránce(オフラーンツェ)というが、守護者とか擁護者を意味する一般名詞でもあるので、ふつうはオンブズマンと通称される。とすれば、日本では今どき中学校の社会科でも習う概念となっている。市民に代わって行政を監視し是正を促すが、チェコの現行制度では、行政の決定を覆すほどの権限はもたない。そうなると、名誉職のようなものか、じゃ誰が就任しても……という感想にはなる。

 ところが20世紀の終わり頃、ブルノ市に国の役所があらたに開設された。大学病院・産婦人科病棟の向かいの敷地であったが、合同庁舎の一角に入居する形などではなくて、車のディーラーを思わせるような看板が立つ独立した建物で、なかなか立派なものに見えた。ビロード革命後「ヨーロッパへの回帰」を国是とした小国は、とりわけ人権擁護の取り組みに関して内外にアピールする必要があり、「ブリュッセル」からも見栄えのする大風呂敷を広げる必要があったのだろう。

 ことし2月20日には、件のクシェチェク就任をめぐり、このオンブズマン事務所の前でプラカートをもった抗議者と支持者らが集まってひと悶着となった。けっきょく警官によって比較的穏当に排除され、収拾を見たのだった。

 クシェチェクのインタヴュー記事に、象徴的であると思われる箇所がある。

──ロマの人びとがわが国で困難な状況にあるという主張に、賛同しますか。


 間違いなく、します。しかし問題は、それはどうしてなのか、ってことです。どうしてロマの人びとは、自分で自分自身の権利を勝ち取ろうとしないのでしょうか。どうしてそこでロマの権利を擁護し、適切に表現し、公共社会と共存すべく尽力するような代表みたいな人がいないのですか。社会集団にはそれぞれ自らの代理人がいるのに、ロマはそれを設けようとしない。私はもう90年代から言っていることですが。当時、ロマは自身のマーティン・ルーサー・キングのような人をもつべきだと私が書いたら、さんざん叩かれましたよ。代表者のような人物をもつべきだと。ロマ問題審議会はそういうものではありませんし。 

 推計によると、チェコ共和国全体で25万から30万人居住しているといわれるロマ系マイノリティであるが、人々の憎悪や偏見にも根深いものがある。だから、あたりの道をゆく市民にしてみれば標準的な見解かもしれない。しかし、これが「護民官」のポストに就いた御仁の言だというのだ。となれば「オンブズマンこそ、キング牧師の役を演じるべきでは」とか、「この男は労働貴族マリー・アントワネットかな」といった、牧童の反発めいたナイーヴな疑問が湧いてもおかしなことではなかろう。しかしながら続きをよく読めば、クシェチェク自身は、機会の平等を擁護しないとも言っていないし、ロマを擁護しないとも言っていない。そこはさすがに法律家による完璧な修辞ではある。

 ラジオのインタヴューで、前任者のアナ・シャバトヴァーが抽象的な言を弄するのを聴くと、なんとなく腑に落ちるものがあった。要するに、この一件、職場内政治の延長という要素が強いのだ。党派的で感情的な啀み合いが、人格攻撃をともなって取り巻き連にも波及した形だ。チェコスロヴァキア共産党的な四季折々の風物詩にすぎない。最近ではたとえばエドゥアルト・ステフリーク氏をめぐって、軍の人事についても騒動になった。不適格人事とか、任命責任とか……ああそうか。どこの国の政治でも同じか。

 デモといっても、動画をみるかぎり「恥を知れ!」という者もあれば、「クシェチェクさん頑張って!」という者もある。プラカートに印刷された主張には、たとえば「少数派の権利を守らない国家は、ファシズムへの途上にある」とあり、コピーされて複数名が保持している。もっと気の利いたスローガンはないのかと。これでは「私はコミュニストです」くらいの意味しか持たぬではないか。面白い警句はせいぜい「ハムスターをオンブズマンにするは、山羊を庭師にするがごとし」で、これも複写された定型のプラカートらしい。途端に、内容に乏しい「何とかヤメロー」運動にそっくりな、創られた対立に思えてきたのだった。

 

*参考:

www.bbc.com

www.newsweekjapan.jp

young-germany.jp

rp-online.de

www.idnes.cz