ウラシマ・エフェクト

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ビロード革命30周年とマルチン・シュミートの謎

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Photo by Kevin Maillefer

 11月17日は「自由と民主政治をもとめた闘争の日」として、チェコ共和国の祝日となっている。ボヘミアモラヴィア保護領化したナツィのドイツ当局が、1939年にプラハの大学を閉鎖した日であり、また1989年の、世に言う「ビロード革命」の記念日でもある。ことしは30周年とて、とくに感傷的な行事が各地で行われたようだ。

 30年も経った、といっても、当時デモに参加した10代や20代の学生はまだまだ若く、体制側の高官にしたところで、いまだ存命の方も多い。

 そもそも、圧迫された人民がひとつになって革命が成就されました──というような、いわば教科書的なイメージとは異なり、「ディスィデント」などと一種の尊称で呼ばれる反体制側とて、一枚岩だったわけでもないらしい。それだけに諸説紛々、ともすると中傷合戦の様相を呈し、果ては陰謀論めいた言説もあって、真相が明らかになっていない部分もおおきく残されている。

 陰謀といえば、かのマルチン・シュミート(Martin Šmíd)についても、その背景はいまだ謎に包まれている。

 シュミートは、プラハの目抜き通り、ナーロドニー・トゥシーダにおけるデモに参加中、警官隊との衝突で死亡した、カレル大学理学部に学ぶ20歳の聴講生であった。──そういう触れ込みだった。

 とすれば、同年6月の北京の天安門事件における「タンク・マン」と同様の、共産党全体主義体制による暴力的鎮圧の犠牲者ということになる。人民解放軍の59式戦車の前に立ちはだかった無名の革命戦士は、いまだ杳として行方が知れないものの、当時の映像によって実在したことだけは確実とみられている。いっぽうマルチン・シュミートは──その存在自体が否定された。

 この学生が警官隊によって殺害された旨の情報の発信元は、ドラホミーラ・ドラシュスカーなる女性で、自らもデモに参加していた。当時、プラハはトロイ地区にある学生寮の管理人をしていた。この噂がメディアによって国内外に大々的に報じられたことから、民主化要求運動が全国に波及したといわれている。 

ドラシュスカー:まあその、そのひとりがあたしを立たせて、一歩さがってから腹を蹴って、さらに警棒でもってあたしを追い立てたんです。それで、彼(マルチン・シュミート)はまだそこに留まっていたので、あたしはまだ戻ろうとがんばっていたんですけれども、そう、それからはもうあたしには警官の姿が見えただけで、ひとりが「いっちょ上がりだ」って言っているのが聞こえたんです。ええと、警官隊は彼を確保して、角に立たせて。それで、あたしが病院から出て来たとき、彼のきょうだいに電話して、モトル〔大学病院があるプラハ5区の地名〕から来たとかいう医者から聞いて彼はもう知っているということで、それで……
パイネ:そのお医者さんって、そこにいたっていうけど、どこのこと?
ドラシュスカー:……ご不幸があったっていうことなんですけれども、その医者はそこに個人的に救急車で来ていたひとで、つまりご不幸が起きたっていうのは、そのマルチンがつまり亡くなったということで、ええと、朝……
パイネ:それは何時ごろ。つまり、その医者がそこに来たっていうのは。
ドラシュスカー:1時半、あたしが電話したのは1時半で、そのペトルが言うには、あたしが電話するちょっと前に、その医者が電話してきたと。それから、翌朝、私服警官がふたりやってきて言うには、予期しないことが起こった、起きてしまったんだと、つまりデモ参加者たちは、許可をとっていなかったデモであって、要は、残念なことに衝突の際、彼は死亡したと。
パイネ:彼はすでにそこで……
ドラシュスカー:まさにその場で、すでに死んでいたんです。

 Novinky.czの記事にある対話形式のテクストで、18日夕刻のドラシュスカーの証言だという。うまく訳しおおせたともおもえないが、もともと辻褄が合っているような、合っていないような曖昧な話しぶりだ。聞き取りを収録した音源から「文字起こし」したものらしく、「no」「pak」「prostě」といった、いわゆる「フィラー」の一種が頻繁に出てくる。「ええと」「まあ」「それで」「つまりひらたくいうと」などと訳し得る。

 シュミートが現場で死亡したというくだりは、奇妙である。ひょっとすると、ドラシュスカーの言う「そこで(tam)」というのは病院を指しているのかもしれない。記事中の引用テクストからはどちらともとれる。とまれ、ラジオ・フリー・ヨーロッパの放送などでは、警官隊との衝突の際の負傷がもとで、病院で死亡したということになっている。

 翌19日の国営放送のニュース番組「Televizní noviny」の映像をYouTubeで観てみると、シュミートに関して、やはり「病院死亡説」を紹介している。ただそれも、外国のメディアが報じたという紹介であって、冒頭では、犠牲者は4人となったというAFPの報道にも触れているが──もし事実だったならば「ビロード革命」は、別の名称で呼ばれていたことであろう。この番組は、事の真偽について、視聴者からも問い合わせがあったとしたうえで、プラハの救急医療の責任者だという医学博士フランチシェク・ジュヂヒネツなる人物を登場させて、死者はひとりもおりません、デマです、などと証言させている。さらには、理学部には同姓同名の学生がふたり在籍していることが確認されたとアナウンサーは言って、それぞれプラハとベロウン出身だと言うマルチン・シュミートのインタヴュー映像まで流しており、死亡説の払拭に躍起になっていたようすが窺える。

 けっきょく体制は崩壊したわけだが、しばらくのち、国家保安局(StB)の元職員だというルドヴィーク・ズィフチャークなる御仁がメディアに登場し、シュミートの件に関して証言しはじめた。ドラシュスカーはいわば潜伏工作員で、ズィフチャーク同様、当局の指示によって反体制側に潜入しており、また任務としてデマを流布したのだというのである。これにたいして、ドラシュスカーのほうは沈黙を守っていたが、革命から20年ほど経って口を開き、ズィフチャークの主張を否定した。曰く、「シュミートの死」は、ドラシュスカー自身の個人的な思いつきによる作り話であったが、それがStBのチームによる謀略であったというのもまた、ズィフチャーク氏の作り話なんでしょうよ、と。

 どちらの言い分にどの程度の真実が含まれているのか、いまださだかではない。ふたりの役割、動機、背後関係、そもそも協働があったのかどうかすら不明である。永遠に闇のなか、ということもあり得る。

 映画学で「ラショーモン・エフェクト」といえば、芥川龍之介の短篇「藪の中」を下敷きのひとつにした、黒澤明の映画『羅生門』に由来する概念である。要は、登場する証言者の一人ひとりに真実があって、それぞれの並行して交わらない諸説が全体としてひとつの物語を織り成している──という映像作品について説明している。こうした映画は、受容する側が自身のリテラシーを駆使して、解釈するしかない。がんらい歴史とはそういうものであろう。むろん、誰かの一方的な証言や出処不明の噂話を、あえて無批判に信用することもまた自由ではあるにせよ……

 香港の民主化要求デモにおいても、先日、男子大学生が死亡したのにつづき、70歳の市民も飛んできた煉瓦が頭部に命中し、生命を落としたと報じられている。映像機器の発達と普及によって、こうした報道の信憑性に疑義がもちあがらないのは、せめてもの救いなのかもしれない。しかしながら、この犠牲がデモ隊の投擲した煉瓦によるものとの主張が、中国共産党によるものであることには、注意が必要であろう。

 

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*参考:

www.novinky.cz

 

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

www.bbc.com

www.sankei.com