2001年の長月

ニューヨーク同時多発テロ事件から19年が経った。来年は20周年。911とか、セプテンバー・イレヴンとも呼ばれたものだ。リメンバー・パールハーバーのノリでもあったのであろう。さいきんターリバーンとの和平が成立し、米軍はようやくアフガニスタンから撤収しつつある。エネルギー革命の成果もあって、米国の世界戦略が変わったことが偲ばれる。
あの日、個人的には移動の途中だった。
スイスのツューリヒからプラハ=ルズィニェ空港に到着したのが、ちょうどその2001年9月11日のことであった。しばらくぶりにチェコ共和国に戻ってきたところだ。
空港からの乗り合いバスにはむやみに空席が目立ったが、さりとて独り占めの貸し切り状態というのでもむろんなかった。
しばらく走行すると、乗客のひとりが運転手に話しかけた。──ラジオをつけてくれ。テロが起きた。ニューヨークはパニックになっている。
バスのなかはどよめいた。──どうしたんだ。高層ビルに飛行機が突っ込んだ。だれがやったんだ。過激派か。たぶんそうだ。
目的地のターミナルに着くと、何も考えず、向かいにあるホテルにはいった。以前にも利用したことがあったのかもしれない。とにかく疲れていた。テロルの噂話はもう忘れていた。
予約などしていなかった。だから価格を告げられたとき、おもわず「高い」とチェコ語で感想をもらした。するとレセプションの男は、こちらが苦情を言ったと受け取ったらしい。それで「じつはきょう特別な宿泊プランがあったんです。へっへっへ……」というような不可解なことを述べて、およそ半額の価格を提示しなおした。チェコ語を発することがなかったら、倍額を請求されていたところだった。
まけてくれた、嬉しいな、という場面ではあるいっぽう、いわば「外国人価格」というのも想起された。さすがにいまでは撲滅されたとは思いたいが。貧しい国なんだから、外人からぼったくってやれ、当然の権利だ、というような、逞しい商魂の発露といおうか。マニラあたりのタクシーの運ちゃんと同じ発想だ。ただ、その適用範囲に関しては現場の判断にまかされているようだった。そこは大した格式があるわけでもなかったが、創業したのはオーストリア=ハンガリー時代で、このときはまたオーストリア資本の傘下になっていたから、一応は由緒あるホテルと言ってもよかろう。それでもこうした商慣行がまかり通っていたものか。さだかではないが。
後進国ではよく聞かれる話だ。公明正大とはいえないものの、違法というわけでもない。革命後、市場経済というものに積極的に適応した結果だとおもう。しかし情報化がすすんで普段の価格や同業他社との比較がここまで容易になってしまえば、やりにくい流儀ではあろう。いまなら「オンライン価格」とか「インターネット予約限定宿泊プラン」などで、お得なオファーが見つかることもある、便利な時世になっている。だが、当時は比較サイトなどもなく、ウェブページでの予約すら普及していなかった。あるときなど「ネットで予約したのですが」とプラハのホテルで言ったら、「ああ、ホームページ見てないや。電話で予約してくれなきゃ」とレセプションで言い返されたこともあった。隔世の感がある。
さて、ようやく部屋にやってきて荷物を下ろすと、ベッドの端に座ってブラウン管に向き合った。そこでは、ボーイングの中型機がワールド・トレイド・センターの双塔に突っ込む映像が、くりかえしくりかえしくりかえしくりかえしくりかえし……放映されていた。
眺めている自分自身の姿も含めて、現代美術の作品のようにも思えたものだ。そういえば、ウィーンのレオポルト美術館が開館したのもこの年だった。つづいて航空不況、観光不振が起こったのは、昨今の状況とも相通ずるところがある。その後「テロとの戦い」の名の下に、さまざまな面で世は変わっていった。
このごろの報道を眺めていると「インド太平洋」なる概念もからんで、どうやら世界のおもむく方向がふたたびかわってきているような気配もある。それは、またぞろ何かが勃発しそうな気配でもある。今年はそれどころじゃない、という向きも多いだろうが……。
ところで「ミセス・ワタナベ」にモデルがいたことを、このニューヨーク同時多発テロ事件に絡んだ相場の記事ではじめて知った。ミスター・スミスのようなよくある名前をとってつけた、まったく架空の人物だと思っていた。蛇足。
*参照:
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