ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

ラム酒でつくる〈グロク〉と〈ヤーガーテー〉

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photo by Maximalfocus

 ラム酒が、大陸ヨーロッパの内陸部で何世紀も愛飲されている──というと、奇妙に聞こえるかもしれない。

 ラムは廃糖蜜から作られ、その原料となるサトウキビは、熱帯や亜熱帯、つまり欧州から遠く隔たった暖かい地方でのみ栽培が可能なのだから。

 ところが、「合成ラム」というものが存在するのだ。

1)おらが国の合成ラム⭐︎

 もとは、馬鈴薯などに由来する食用アルコールにカラメル等で着色をほどこし、香料でそれらしい香りに調整された代物だった。

 かつてオーストリア・ドイツ語では「インレンダールム」と呼ばれ、チェコ語では「トゥゼムスキー・ルム」と銘打って売り場に並んでいた。記憶はさだかではないが、後者では「チェスキー・ルム」と称した製品もあったようだ。

 いずれも輸入された本物のラムと区別するための呼称で「ドメスティックなラム酒」すなわち「国産ラム」ないし「ご当地ラム」くらいの字義ではあった。けれども高価な酒に縁がない大衆酒場でラムといえば、これしかなかったりしたものだ。

 いぜんは漠然と、ナポレオン戦争の時代に発明されたものだろうと思っていた。大陸封鎖令と自由拿捕令によって仏英はたがいに兵糧攻めを企図したが、そうなるとカリブ海からラムを輸入するのは至難となるはずだ、と勝手に想像していたのだ。

 どうやら違った。たとえば『オーストリア外食・ホテル産業新聞』(2014年11月7日付)の記事にある。それよりはるかに遡った時代に、たんに安あがりに製造・売買・消費できる商品として開発されたものだったというのだ。サトウキビが必要なラムは、アルプス以北の寒冷地では戦争など関係なく、もとより高価な舶来品だった。

 ドーナウ河畔のクレムスは、風光明媚なヴァッハウ渓谷の観光がてら訪れるのがよい。オーストリア・ワインの産地として名高いが、行ってみたら存外にしずかな町であった。

 ここで17世紀に薬剤師が考案したのが、くだんの合成ラム酒であったといわれる。やがて、同様の品を製造販売する業者は、ボヘミアハンガリーなど帝国各地にひろがっていった。日本酒にも「合成清酒」というのがあるし、みりん(味醂)にすら「みりん風調味料」というのがある日本であるから、このへんの感覚はよくわかる。

 しかしながら、欧州連合EU)の食品や種々の製造物にたいする姿勢はきびしいもので、あらたに加盟した旧帝国の継承諸国にもガイドラインが適用された。──"RUM"の字句を表示することはまかりならない、となった。そもそも「ラムもどき」なのだから、当たり前の話だ。他所のふつうの国でこれをラムだと強弁することには無理がある。それで消費者保護の見地からは客観的で公正にみえるも、メイカーは戸惑ったことであろう。地元では何百年ものあいだ「ラム」扱いだったのだから。

 結果、オーストリアでは「インレンダー・スピリトゥオーセ」、チェコ共和国では「トゥゼマーク」、ハンガリーでは「ハヨーシュ」などと、いずれも「ラム(ルム)」という語や形態素を含まない、つまり誤解を生じさせない表示に改められた。たほうで、原産地呼称の規定も適用され、それぞれの国で製造されたものだけが許される品名となっているそうである。

 ただ、さいきんでは原料にサトウキビを用いているものもあって、こうなるもはや本来のラムと区別する意義がわからなくなってくる……。

 

2)レシピ──ラム酒であたたかい飲み物を⭐︎

 ところで、ラムという酒には先入観をもっていた。むかし飲んだのが、あまりうまくなかったのだ。だからこそ、ロン・サカパの23年物をはじめて口にしたときには、あまりの美味におどろいた。それでラムの市場があんがい大きいことにも納得できるようになった。どうやら近年は拡大しているらしいのであるが、それも不思議とは思われない。

 こういう経緯から、ラムが苦手だという声があっても理解はできる。が、そんな向きにもおすすめなのが、ラムでつくる温かい飲み物だ。「グロク」や「ヤーガーテー(イェーガーテー)」である。寒い季節にはぴったりだ。

 原則的には「ご当地ラム」でつくるものとされる。上掲記事には、試飲会の様子も描写されていて、S・シュピッツ社の「ご当地もの」をつかった一杯が、地元のひとに「これだ。まさに子どもの頃の味だ!」などと称賛されているくだりなどは、いかにも業界紙という風情なのだった。

 じっさいには、上等なラムをつかっても差はない。捨てるわけでなし、気に入った銘柄がいちばんだ。──そういえば、例のウイルスが世界を席巻しはじめたころ、蒸留酒が家庭内の消毒液がわりにつかわれ、SNS上の写真では惜しげもなく高級な品が用いられていることが多々あった。なぜ飲まないのかと憤慨した飲み助は、わたくしだけではあるまい。つまり、良い酒は無駄にしてはならぬという、変な倫理観には共感するところではある。

 さて、先日も触れた、レティゴヴァー女史の『家庭の料理書』(初版は1826年刊)から「グロク」のレシピを拝借してみる。19世紀ボヘミア流。といっても、かなり簡単だ。

 グロク
 この飲料は、ラム酒と砂糖と沸かした水だけでつくられる。グラスに砕いた砂糖を入れ、ラム酒を好みの量そそぎ、熱湯を加えよ。

 これだけだ。

 「砕いた砂糖」とある。19世紀における砂糖は、砲弾にも似た円錐状のシュガーローフの形態で流通していたから、家庭で砕く必要があったわけで、上白糖やグラニュー糖をもちいる現代人には要らない工程だ。なお、コーヒー用のブラウン・シュガーも好適だと思うが、氷砂糖をゆっくり溶かしながら飲むのも一興かもしれない。

 「ヤーガーテー」のほうも、いろいろのレシピが知られている。ざっと見わたすところ「グロク」との違いは、「テー」という手前、熱湯の代わりに「紅茶」を用いるくらいにすぎない。シナモンやクローヴをくわえるレシピがおおいが、お好み次第だろう。ちなみに、ボトル入りの既製品もあって、こちらも原産地呼称制度で保護されている。