ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

ウクライナ侵略

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photo by Austrian National Library

 24日の朝、ブースター接種を受けてから丸一日以上すぎたというのに、倦怠感がつづいていた。

 すでにロシア軍はウクライナへの侵攻を開始していた。

 おおかたの政治学者たちの予測は外れた。

 アメリカ合衆国政府の情報筋が再三にわたり、侵攻があると予告していたにも拘わらず、それじたい牽制球だと解されていたらしかった。それも、ロシアのヴラヂミール・プーチン大統領国益に鑑み、理性的な判断をするという前提に拠ったためだ。

 しかし、ロシア軍がウクライナで子どもを殺している様子を、SNSの動画などをつうじて世界が目撃するうち、訓示を垂れるプーチンの平静さを欠いた様子にも注目があつまり、はては精神疾患説までが噴出してきたのだった。

1)緒戦

 東部地域への進撃と同時に、斬首作戦を企図した首都キエフ(キイウ)への侵攻がはじまった。報道によると、民間軍事会社の要員によって編成された大統領を殺害するための任務部隊が送り込まれている。とりわけ「ワグネル」社が、これまでもロシア軍の別働隊として使われてきたことは、たとえば小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』(筑摩書房、2021)などで指摘されている。

 BBCウクライナ危機の6つの理由のうちのひとつに数えた、バイデン米政権のアフガニスタンでの失策は、やはり重大であったと思われた。

 ガニ政権下の政府軍らは、ターリバーンにたいして歯向かうことなく、地方政府からカーブルの中央政府まで一気に崩壊した。アフガニスタンの歴史がどうあれ、たかだか20年の体制だったのだ。

 歴史を紐解けば、かつてのチェコスロヴァキアも建国後20年でヒトラーの進駐を受けいれたとき、組織的抵抗をしなかった。徹底抗戦を主張した士官は解任され、のちに個々でパルチザン活動に身を投じるしかなかった。1968年のワルシャワ条約機構軍の侵攻のときもそうだった。共産化してから20年だった。チェコスロヴァキア軍は動かなかった。このやる気のなさに抗議して焼身自殺を図ったのが、ヤン・パラフ青年だった。

 ウクライナは違った。10年の差がおおきかったものか。ソ連崩壊から約30年が経っている。若い市民のおおくが物心ついたときには、すでに独立した国家が在った。それが無くなることは想像できないにちがいない。結果、ウクライナ軍は踏みとどまって、必死の抵抗をみせている。──この敢闘も、おおかたの識者が誤算したところらしかった。

 ウクライナ側の健闘のいっぽう、ロシア軍の士気が低いことも指摘されている。侵攻前の演習のさなかから厭戦ムードが漂っており、ウォトカを飲み明かすのは伝統芸だとしても、燃料を横流しするケースまであったという報道である。演習場から駆り出され、到着した先はウクライナ戦線であった。

 史家のジョン・ダワーは、太平洋戦争の背景にあった日本人への差別意識を暴いたが、今回のロシア兵が撃つべき相手は、人種どころか、同じ言語ないし、ほぼ同じ言語をしゃべるウクライナの人間だった。士気など上がるわけがない。2008年のグルジア侵攻のときとは違う。

 ただ、戦争そのものの行方は、そもそも戦力差もおおきく、予断が許されぬ状況ではある。あの太平洋の日本軍も、大戦劈頭だけは快進撃をみせていた。「エスカレーション抑止」のためと、核兵器とて投入しかねないロシア軍のことでもある。

 

2)ゼレンスキー大統領

 象徴的存在は、ゼレンスキー大統領だ。

 ブラジルのボウソナーロ大統領も「コメディアンに国運を委ねた」と、まるでウクライナの民の自業自得だというようなニュアンスのことを語ったと報じられている。たしかに、開戦前にはそうしたムードもひろがっていた。

 知識人層ほど、所詮はポピュリスト政治家だと莫迦にしていた。2019年の大統領当選時に70%以上あったという支持率が低下するにつれて、ロシアを挑発するような言動をつよめていった。開戦直前には、じつに19%まで下落していたという。とくに停戦協定「ミンスク合意」を蔑ろにしたことで、ロシア側につけこまれる余地をひろげた。その反面、大規模侵攻直前まで動員令をかけていなかった。ちぐはぐだった。

 だから、すぐに遁走すると思われていた。ちょうど、歴史上のガニ大統領やベネシュ大統領のように。

 ところが「弾薬が要るんだ、逃亡手段じゃなく(I need ammunition, not a ride.)」と、亡命を促した米国政府筋に言い返したと報じられている。

 直前の2月19日には、ミュンヒェン安全保障会議において堂々たる演説をぶって、株を上げた。元俳優の面目躍如だった。前職が何であれ、誰でも民意によって指導者になれるのが民主主義ではある。こうした風潮が自国に波及するのを恐れているのが、他ならぬプーチンのロシアだ。

 スタッフに放送や番組制作会社の人脈が多かったのが幸いしたものか、はたまた英米の軍事顧問団の入れ知恵のお陰か。ゼレンスキーは、戦争に突入してからも、SNSなども駆使しつつ情報発信をつづけ、ネット空間の「ナラティヴ」を支配した。つまり、プロパガンダの巧みさでプーチン政権を圧倒した。

 こうしてアピールされた徹底抗戦の姿勢は、大統領への国民の支持率を押し上げたようだ。真偽はわからないが、率にして90%以上に跳ね上がったと言われている。これが全軍の士気にも影響しないとは考えにくかった。

 ドイツをはじめ、EUの消極的な態度をも一変させた。ショルツ宰相に面と向かって「欧州の理想のために死ぬ」と迫ったのが決定的だったとも伝わる。各国が物資面での援助をはじめた。

 さらに外人義勇兵の募集がはじまると、フランスはウクライナ出身の自軍兵士に装備をもったままの帰郷を許可し、デンマークなどは自国民にも義勇兵としての応募を容認した。ネットを通じた募金だけでなく、謎の集団「アノニマス」がサイバー戦の領域で参戦するなど、おもわぬ援軍もウクライナは獲得した。試してみたが、クレムリンの公式サイトはアクセスできない状態になっていた。ついでに、イーロン・マスクTwitter上での副首相の求めに応じて、ウクライナ領域における衛星通信システムStarlinkの運用を開始した。

 くわえて、週末には世界各地の都市で反戦・抗議デモが巻き起こった。これを冷笑的に捉えた大阪の元政治家の見解が物議を醸していたが、そういう向きは、米軍がヴィエトナムから撤退する羽目になったきっかけについて思い出してみるとよいだろう。

 そんな外交上の「ソフトパワー」の側面も発揮したゼレンスキーであるが、代表作とされるTVシリーズ『国民の下僕』は、YouTubeでも視聴できる。タイトルが暗示する「国家第一の僕」で知られるプロイセンの君主だけではなく、歴史上の統治者たちの含蓄ある金言が詰まっている。ゼレンスキー演じた主人公の教師が、ひょんなことから大統領になるというコメディだった。そこでリハーサル済みの職務を、いま果たしているかのようだ。

 もともとロシア語話者というだけでなく、あるいは名から連想されるように、ルーツとしてはホロコーストを生き延びたユダヤの家系でもあるという。18世紀まで遡ると、そもそもヨーゼフ2世が寛容令を発布したのは、わけてもガリツィアに多く在住したユダヤ教徒を、経済活動に参加させるだけでなく、役人に登用するためであったといわれる。いずれにしても、今日の情勢など、さすがのヨーゼフ帝とて知る由もなかった。

 ところで、プーチンがもとめる「非軍事化・中立化」というのは、結果的にローズヴェルト=トルーマンが日本帝国にたいして行ったことを思わせる。米ソ冷戦や朝鮮動乱の勃発で、路線はやや変更されたとはいえ。つまるところ、無条件降伏を求めていることになる。ロシアの脅威にならない国という意味では、ふつう「フィンランド化」と呼ばれているが、「日本化」といっても当たらずと雖も遠からず。この意味では、両者の差異としての日米安保条約の存在の重さは計り知れない。そのフィンランドすら、北大西洋条約機構NATO)加盟を検討し始めた。

 何よりも、GHQをつうじて憲法を改変、産業や経済の構造を変えられるも、日本という国は残った。世界がリアルタイムでウクライナの生存闘争を目撃している以上、さしあたりウクライナという国がなくなることはないだろう。欧州連合EU)も、例外的な手続きで早急にウクライナを加盟させる案が検討されているようだ。

 

3)プーチン大統領

 前掲の『現代ロシアの軍事戦略』は、控え目にいっても現代人必読の書であるが、著者の小泉悠は、プーチン大統領は「頭の中が100年単位で古い」と喝破している。

 そのプーチン大統領の「頭の中」については、昨夏に発表された、当人の手になる論文が注目されていた。ロシア人はひとつの民族であって、ウクライナ人など存在しないという主旨だった。個人的には、「民族」こそ存在しない、空疎な概念にすぎぬ、といってやりたかったが。これは、2月22日にケニヤの国連大使が「危険なノスタルジア」と呼んだところのイレデンティズムであった。

 100年前といえば、たまたま好例となる書物が手許にある。トマーシュ・マサリクが第一次大戦のさなか、「チェコスロヴァキア人」の存在をアピールしようと構想した『あらたな欧州』の復刻版である(Tomáš G. Masaryk, _Nová Evropa_, Brno 1994)。

 その巻末に、「ヨーロッパの民族学的地図」と題された地図が付いている。そこに書かれたRUSOVÉ(ロシア人)を仔細に見ると、VELKORUSOVÉ(大ロシア人)のほか、BĚLORUSOVÉ(白ロシア人)とMALORUSOVÉ(小ロシア人)に大別されている。

 

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Tomáš G. Masaryk, _Nová Evropa_より。フランス語版と英語版は1918年、チェコ語版は1920年にそれぞれ刊行された。

 まさに、プーチン論文の民族観が可視化されたのごとくである。ただし、そのころ独立国家が一時的に成立したこともあり、著者マサリクの場合、本文中では小ロシア人を括弧つきでウクライナ人としている。

 マサリクが、のちのチェコスロヴァキアに含まれることになるドイツ人やハンガリー人マイノリティを、地図上で省略しているように、プーチンもまたウクライナのマイノリティを勘定にいれていないようだ。ルーマニアハンガリータタールは言うに及ばず、ふるくは15世紀に滅したトレビゾンド帝国から逃れてきたという、ギリシア系のマイノリティも9万人以上が暮らしている。少数派を数え上げればきりがなくなるが、ウクライナ通の友人によると、経済的な結びつきのつよさを反映してか、近年は中国人やインド人の姿も目立つようになっていたという。

 ほかにも、プーチンをめぐっては、イヴァン・イリインのファシズム思想の影響も指摘されている。また「ハイブリッドな戦争」の諸相は、ウェブ上にもいろいろの記事や論文が出来しており、東部地域の傀儡「汪兆銘政権」確立のからくりまでも、そうとう解明されているようだ。

 とはいえ、プーチン大統領当人の心の闇については謎がのこる。すくなくとも、時代遅れの「民族自決」思想が背景にあることも間違いないが、それが単に政策を正当化する宣伝にとどまるものだったのかどうか。こうした思想を強調すると、同胞を殺していることになるが、矛盾は感じないものらしい。あるいはそこに、ヒトラーの「世界観戦争」との差異がある。

 邦人保護を目的としたウクライナの「非ナツィ化」という表向きの戦争目的からすると、プーチンが、ウクライナ型の民主主義の波及を恐れていることはまちがいない。マイダン革命のような「西側」による工作を招きかねないと。「過去の密約に違反したNATOの東方拡大が、ロシアの安全保障を脅かしている」というのも、侵攻の論理的理由とされているものの、二次的なものであろう。いずれにしても、追い詰められたプーチンの慄きが、亡霊のごとく漂うロマン主義的な種々の妄執とともに、パンドラの匣を開けてしまったように見えるのである。

 イアン・ブレマーなどは早々に、冷戦の再来を予言している。また、全面核戦争へエスカレートする可能性を思えば大したことではないのかもしれないが、エネルギー問題やインフレの懸念もおおきくなっている。やっとパンデミック生活が終わりそうだと胸を撫で下ろしていた人類だが、前途にはさらなる暗雲がひかえている。

 

  *参考文献ほか:

 

 

 

bunshun.jp

www.cnn.co.jp

www.cambridge.org

www.rferl.org

www.cnn.co.jp

mainichi.jp

www.cnn.co.jp