デインジャー・クロウス──豪州の戦争映画
たまに戦争映画が観たくなる。
それも、戦争を背景としたコメディや恋愛ドラマではなくて、ちゃんとしたハードコアのドンパチがあるもの。いや、ドンパチだけのものがいい。
あらすじはお定まりで、戦場の平和な日常にいた部隊がある日とつぜん窮地に陥って、激闘の末にそこから脱出する──そういう意味で、プロット的には「パニック映画」の一変種ともいえそうだ。なかんづく、アジアの共産化を喰い止めるための戦いが題材にとられた場合、1960年代半ばまでの相手は、戦術もへったくれもない「人海戦術」で突進してくるだけのバッタの群れのごとき軍勢であるからして、「ゾンビー映画」の様相も呈してくる。民主主義国の軍隊では、有権者の子や孫をそんなやりかたで犬死にさせるわけにもゆかないので、反共映画としては、じつに効果的な宣伝ともいえる。
インドシナ半島を舞台にした劇映画といえば、日本でもさんざん公開されてきた。なかでも『グリーン・ベレー』はジョン・ウェインを主役にすえた、ほぼ反共プロパガンダ。『地獄の黙示録』は例外的なサスペンスとはいえ、たとえば『プラトーン』、『フル・メタル・ジャケット』、『ハンバーガー・ヒル』といった1980年代のアメリカ製の泥沼は何度みたか知れない。ほか、ディエン・ビエン・フーの戦いを扱ったフランス映画なども、けっきょくは「反戦映画」ないし「厭戦映画」とも括れそうな共通性がある。
2019年制作の豪州映画『デンジャー・クロース──極限着弾』もまた、インドシナを舞台にした正統派の戦争映画であった。戦争の不条理を説くいっぽう、ある国の先人を顕彰するような愛国的な作品も多々あるが、これもやはり戦没者を悼むメッセージが最後に現れる。同国の映画では『誓い(Gallipoli)』を思い出す。
当該作品が描いているのは、1966年8月のロン・タンの戦いである。旧サイゴン市から100キロちかく離れたゴム農園が舞台となった。ゴムの木が並ぶほかには、ほとんど遮蔽物がない土地で、かつ単調な風景というのは戦さ場としてはこの上なく恐ろしい。四方から、あるいは三方からでも襲撃を受けたら、結果は目に見えている。そして、それが起きた。
したがって物語としては、メル・ギブソンの『ワンス・アンド・フォーエバー(We Were Soldiers)』に酷似する。包囲された部隊が生き残りを賭けて応戦するやつだ。おなじインドシナ半島が舞台で、描かれていたのは、米軍によるヘリボーン戦術の草創期、イア・ドランの戦いである。
比較すると、豪州作品のほうはかなり地味である。そもそも派遣された第一オーストラリア任務部隊というのが、米軍に比して小規模だった。豪州政府のサイト(Australian War Memorial)によれば、1962年8月から1975年5月までのあいだに6万人ちかくの同国人が派遣されたとある。けれども、これは延べ人数であって、ちょうど1966年の3月にタスク・フォースが拡大されたとはいえ、やっと2個大隊を基幹とする旅団で、人員すべて合わせても4500人ほどだったという。この豪軍部隊は形式上、米軍のヴィエトナム第2野戦軍の隷下にあったため、映画のなかでも航空機による支援を、ほかでもない米軍に要請する場面が描かれている。──ただ、ドラマトゥルギーからみた場合、こうしたリソースの限られた弱小の組織が困難におかれて果敢にたちむかうというのは、むしろ見せどころともなるわけだ。じっさい本編中の駐屯地には、戦闘部隊が数個の中隊しかいない。どういうわけか、数百人の規模なのだ。
登場人物は、ステレオタイプ的な造形がやや平板で、ストック・キャラクター同然に思えることもあったけれど、実在した人物には関係者もとうぜんいるわけで、おおきく逸脱するような脚色はむずかしいとも思う。無事に帰ったら結婚式に……みたいな、判で押したようなせりふも多かったが、実話を基にしたと言われたら、どうしようもない。だからこそ見るべきところはやはり、ドンパチにかぎる。倖いにして、リアリズムを支える俳優陣は最高の布陣だった。
当時の豪州軍の装備も、興味ぶかい。英軍と同型の小銃、L1A1(FAL)を装備するも、米軍同様に新型のM16が普及しつつある。作中では"SR"などと呼ばれていたようだ。これは「ストーナー氏設計のライフル」から来ているらしい。いまではAR-15として民間市場の人気商品ではあるけれど、最初期のモデルに関しては欠陥があって、現場での評価も芳しくなかったことが今作でも暗示される。さらに、衛生や無線を担当する者が手にしているのは、ステン短機関銃にも見えたが、国産のオゥウィン短機だったかも知れない。ちなみに小隊の軽機関銃は、往年の米軍とおなじM60だし、中隊長のスミス少佐は拳銃・コルトM1911を携行していた。なにか、英米の狭間に置かれた同国の立場が反映されているようでもあった。
そして、全員がブーニーハットというのか、ブッシュハットというのか、例のお決まりの帽子をかぶっている。ハイキングに来たかのような気楽さを感じさせ、そこに襲いかかる悪夢のごとき展開がいっそう際立つ。人気歌手リトル・パティの慰問コンサートは史実とはいえ、冒頭の敵襲のなかでも紅茶を淹れてくる部下がたしなめられたり、カード遊びをやめない若い少尉がいるかと思えば、慄く兵に缶ビールを勧める軍曹もいる……。たしかに作劇上の効果はあった反面、どれも紋切り型の趣向にみえた。120分ちかくある尺もあって、やや冗漫に感じた。
こうした描写は「オージー」らしさの演出でもあったのかもしれない。ただ「豪州らしさ」を映画にもとめるならば、『荒野の千鳥足』に如くはなし。あわせてお薦めしたい。
*参照: