ウラシマ・エフェクト

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梯子のはずし方──チェコ共和国保健相の辞任

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photo by Vlad Kiselov

 夏のある日、9月からマスクの着用をふたたび義務化するとTwitter上で発表したのは、チェコ共和国の保健大臣、アダム・ヴォイティェフであった。理由は、秋の新年度をひかえ、学校が再開されると同時に感染者の急激な増加がおこると予測されるため、とのことであった。

 これにはいっせいにリプライがついた。「そのマスクの費用は誰がもつんですか」というような、家計をやりくりする立場からと思しき単純な反発もあったし、夏場の混雑する行楽地の写真とともに「今だってじゅうぶんひとが密集してるのに、あらためて何故か」などという、もっともな疑問も数多くみられた。

 けっきょく9月1日から日常生活のルールは更改されはしたが、公共交通機関ではマスク装用が求められるようになった一方で、教育現場は除外された。つまり、直接の理由とされた学校では義務化が見送られてしまったのであった。むろん、混乱した行政に対する批判は噴出することとなった。

 ここでふと目にとまったのは、有能で知られた日本の外交官の追悼記事であったが、ちょうどよい例となろう。記事は、故人の優秀たる所以を関係者らが証言してゆく体裁をとっていた。そこで証言者のひとりが、あのひとはどこに情報を流せば相手国の交渉責任者の耳にはいるか熟知していた、というふうに意表な点を褒めているのだ。政治家や官僚にとっての「情報のリーク」という行為が、それだけ重要な仕事の領分であると想起させるくだりである。Twitterはいまや、その業務に欠くべからざる道具となっているといってよかろう。

 ヴォイティェフ保健相の話にもどると、春ごろには活発な情報発信によって好評を博したTwitterの使い手であったが、晩夏の例に典型的にみられたように、政策実行のまえに世論の風向きをみるための「のろし」としてもこれを使っていたふしもある。日本の政治ではよく「観測気球」などと言って、大手の新聞に記事を出すような工作があるけれど、要はその類のものであろう。

 だが、33歳という若さのヴォイティェフ自体が、アンドレイ・バビシュ首相の「のろし」がわりに使われ、さらには「被害担当艦」にすらされてきた実状も多分にあった。バビシュみずからが立ち上げたポピュリスト政党「ANO_2011」に所属し、財務相在任時には秘書さえ務めたヴォイティェフであればこそ、擒縦自在の手足であった。

 未知のウイルスへの対応は、感染者の増加率や医療資源の逼迫状況、また経済指標や市民生活の窮状や輿論といったパラメーターが日々めまぐるしく変化するなかで、朝令暮改の様相を呈することもあり得る。けれども朝令はよしとしても、暮改となると、支持率にじかにひびくことは容易に想像がつく。これに関わる、いわば汚れ仕事には、ヴォイティェフが所管官庁の大臣に就いていたことで、バビシュ本人は触れずに済んだ。それどころか、春のロックダウンの時期には首相として国民に結束と協力を生放送でよびかけ、秋になったら手のひらを返し、自身のFacebookアカウントの動画にてウイルス禍の矮小化を図るなど、これまた自在であった。それでも先般などは、保健省がまいにち発表する統計とは異なる内容を自邸のテラスから放言し、自国の公共放送からも叩かれた。秋になって感染者数が増大し、早ばや「第二波襲来」ともさわがれ、周辺諸国からもチェコ共和国からの来訪者を拒絶する措置が発表されつつあるなかでの出来事であった。

 しょせん、究極のところでは大衆の顔色を窺いながら決めていると思しい政策である。理詰めで問われれば、説明のしようなどあろうはずもない。にも拘わらず、バビシュはヴォイティェフを、週末の討論番組という矢面に立たせた。結果、青年保健相は「試験勉強を怠った学生」にも喩えられるほどの酷評を喫した。あくる9月21日、そのヴォイティェフが辞任を発表したのは、むろん唐突なものではあったにせよ、このような経緯からか、おおかたには冷静に受けとめられているようでもあった。

 後任には、ヴォイティェフのもとで副大臣も務めた、ロマン・プリムラが就任した。じつに「第一波」の時分には対策の指揮を執っていた。というのも、この御仁はもともと疫学の専門家であったからで、さらに軍の大佐で、教授で、医学博士という肩書きをもつ強面の政治家であった。したがってこの人選もまた、有事にはなおのこと、至当の成り行きであるとうけとられている。

 数年前の就任時より、日本の新聞などからも「欧州のトランプ(米大統領)」とみなされてきたバビシュだが、口では反論しつつも、じつのところ自覚もあったにちがいない。既成のメディアを「フェイクニュース」呼ばわりし、SNSを駆使してみずから情報を発信する手法は、両者に共通している。そもそも富豪なのであるから賄賂をうけとる必要がないのだ、というアピールもまた、トランプの支持層からもきかれた陳腐なものである。党名も負けず劣らず陳腐である。チェコ語における「yes」を意味する語が「ano」で、略称が「ANO」となるような命題「不満をいだく市民らのキャンペーン(Akce nespokojených občanů)」を党名にもってきたものと思われる。これをアプロニムともいう。このいかにもポピュリスト的な命名とて、めずらしくもない。おそらく同国の政党「TOP_09」などの前例を踏襲したものだろう。いずれにせよ、党名からしても、大衆煽動が自己目的化したポピュリズムの権化を思わせるのである。

 ちなみに大陸をゆるがすベラルーシ問題に関しては、かねてから親露派とされながらも、EUの圧力に屈したものか反独裁政権のポーズをみせるいっぽう、対抗するツィハノウスカヤ候補については積極的に支持しないという、一種独特のふしぎな態度をとっている。昨年には、中国・フアウェイ製の機器について禁令を出したと報じられたが、数日のうちに撤回した。政治と経済はちがうのだと、台湾を訪問したヴィストルチル元老院議長をたしなめはしたが、バビシュ自身が定まった政治信条をもたず、実業家の美徳を維持したまま政権を運営しているかのようにもみえる。いや、ほんとうになんらの裏もない人物なのだろうか。元KGBプーチンと通じているということはないのか……。トランプも政権初期には同様の疑いをもたれ、セルビアあたりではそれがむしろ好感を呼んだらしかった。ひろく東欧圏各国における米露、そして米中の綱引きが連日のように報じられる昨今では、ついこの手の臆測をいだくのも、種々の風聞が広がってしまうのも無理からぬものがある。

 ところが先日、モラヴィア在住の知り合いに話題を振ってみたところ、「バビシュも経営者としての豊富な経験があるわけだしね……」などと、消極的にではあるが、支持を表明する声が複数から聞かれた。いずれの面々もかつてはけちょんけちょんに貶していた側だったような気もするのだが、なんといっても掌返しや梯子外しはお家芸なのだ。じっさい、1年ほどまえには、プラハで退陣を求める大規模なデモが起こったものだった。自身が当該企業を経営しているという事実を隠蔽してEUから不正に補助を受けたという疑獄事件がきっかけとなり、25万人が参加したとも言われている。くわえて、共産期には国家保安部(StB)の協力者であったのではないかという疑惑までもがくすぶりつづけていたほど、バビシュには不利な情勢であった。

 やはり「戦時内閣」というのは、どうやらどこの国でも支持を得やすいものらしい。であればこそ「デジタル化の遅れ」などという些事にもおもえた件が、日本の憲政史上最長を誇った政権の終焉を招く導火線におそらくなったことは、意想外ではあった。また、だからこそ後継総理にもそれだけ重大にうけとめられたものであろう。

 

*参照:

www.jetro.go.jp

www.nikkei.com

www.afpbb.com