ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

金融歌舞伎

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 倍返し──とひくと、『大辞林(第三版)』には「倍の金額を返すこと。」とあるのみだ。かつては、名古屋文化圏のひとが贈答にたいして返礼を倍にするとか、三倍にして返すとかいう解説をよく聞いたものだった。説明する者もどことなくしたりげで、気前がよい地元の風土を誇っているのだとうけとっていた。だが、ひとつの番組が、日本語の語彙の意味を変えてしまった。そういう感すらある。シェイクスピアが現代の英語をつくったように、多くのひとがふれたコンテンツというのは、それだけの影響があるのだ。

 7年ぶりに続編が制作された『半沢直樹』が最終回の放映をおえた。その間、2016年に日銀がとったマイナス金利政策このかた、銀行業を取り巻く状況が変わってしまったという指摘もある。もはや舞台設定からしてリアルでなくなってしまったのだと。

 かといって、物語やお芝居としての面白さが変わったわけではなかった。今期は、歌舞伎役者がよりおおく起用された。香川照之尾上松也はともかく、市川猿之助などは、あまりに浮世離れした演技が歌舞伎そのものだった。そういう演出だったのだろう。人物の顔面の大うつしや、歌舞伎の所作や見得のようなものもみられ、もはやリアリズムには毫もこだわらない演出姿勢が強調された。──サアサアサア、土下座ぁしろぉい、謝罪しやがれぇ、あ、みんなに謝れぇぇ……キンキンキン(拍子木)。舞台化するにしても、同一の台本で行けそうだ。

 これが中華圏でも人気になっているという報道も、異文化コミューニケイションの観点から興味ぶかい。下克上の復讐劇という趣向は抗日ドラマにも通じそうだが、鍵はむしろ、東アジアの商慣行や労働観であろう。これが欧州であれば、一部のエリートなどをのぞけば、あまりぴんとこないという向きが多いのかもしれない。登場人物たちのテンションがまず理解できないのではないか。たかが仕事なのに、あのひとたちはなんであんなに血眼になって……と。

 しかしこの現代の金融劇を、あえて歌舞伎の教材として利用するのも面白そうだ。バロックの特質が、わかりやすく見えてくることもあるのではないか。

 連関して、ここ数十年のヨーロッパ人の研究が、歌舞伎だけでなく、日本の演劇史の解明に貢献してきたことも日本人は知っておいてもよい。ベニト・オルトラーニやトマス・ライムスの名前は、とりわけ記憶される必要がある。イエズス会の宣教師らによる祝祭劇が、そもそも「踊り」としてはじまった歌舞伎に演劇的な要素を与えた。そのことを欧州の史料をもちいて論証しようとした。

 こうした研究は、文明論的なスケールの大きい演劇観をもたらす。イスラーム文化圏では、禁じられた偶像崇拝への忌諱から演劇文化がいっさい発達しなかったといわれる。では、どこで発達したのかと問えば、まずおもいうかぶのが他でもない、欧州ユーラシアと日本列島である。日本には大陸から散楽がつたわり、やがて猿楽、田楽から能楽に受け継がれた。では、その散楽のきた道を逆向きにたどれば、シルクロードをとおって地中海世界に遡ることになる。つまり、演劇というのは欧州に端を発する、きわめてヨーロッパ的で特異な技芸であったということが想定される。能狂言ギリシア悲劇の比較研究などは、けっきょく同根の子孫をくらべている、という話になりかねない。

 すると、日本人はおおきく三度にわたって、ヨーロッパから演劇文化を吸収した、という図式もなりたちそうだ。散楽、宗教劇、そして開国後の演劇。それぞれが、能楽文楽・歌舞伎、新派・新劇という、こんにちまでつづく別個のジャンルを生んだ。それら旧い流儀も見捨てられることなく現代まで残って、かわらずしたしまれているというのが、日本の演劇シーンの特徴ともいわれる。

 とまれ、とおく国外との行き来にしても、演劇の公演にしても、受難の時代であることはまちがいない。感染症への対応そのものにかんして、日本の社会というのは、西欧諸国にくらべると、はるかに冷静かつ巧みにやっているようにみえる。たほう、芸術関係者の扱いについては、もうすこし別の配慮があってもよいのではなかろうか。絶叫せる金融バロック劇の興奮から醒めて、目にはいった芸能関係の種々の報道をおもいだすにつけ、そんな気がするのである。

 

*上掲画像はWikimedia