ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

〈Playgrounds〉 で遊んでみた

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 アップル社の〈Swift Playgrounds〉については、2014年のリリース以来いろいろと聞いてはいたけれど、今年の2月にmacOS向けのスタンドアローン版、つまり単体で利用できるアプリが出来した。これで自分のような情弱系ユーザーでも、気軽に体験できるようになった。

 やってみたらこれが、単純に愉しい。パズルゲームみたい。得体の知れないキャラクターたちはいかにもアメリケンだけど、ひとり「スリムなガチャピン」といった風情の緑色のマペットは、セサミ・ストリートあたりを徘徊していそうなかわいいやつだ。それを動かしてマップ上の宝石を獲ったりすることなどを通じて、Swiftという言語を学んでゆく……という寸法である。けれども、学習しているという感覚も稀薄で、習得して何々がしたいというような目標などもたず、ひたすら各ステージをクリアしてゆくことのみに傾注したとしても、すでに娯楽として成り立っている。見事だと思った。

 そういえば、プログラミング教育の必修化っていつだっけ、と検索してみたら──今年度からじゃん。小学校は2020年から、中学校は2021年から、とある。そうでなくとも悪疫騒ぎから、どの世界のどの社会も狂瀾怒濤の大殺界の年となっているわけだが、日本の学校教育とて、9月入学の議論もふくめ一大変革期を迎えている觀がある。

 プログラミングを扱う特別の科目が開設されるわけではないとはいえ、現場の負担は想像に難くない。仮にもしプログラミング自体を扱うとなれば、教師が参照できる「プログラミング教育学」などという領域があるのかわからないけれど、ないと困るだろう。第二言語の教育の場合を考えると、そう思う。プログラミングの入門書というのを何冊かぺらぺらやってみたところでは、著者に属人的な、いわば職人芸的な教授法に俟つ業界であるという印象であった。機械言語の性質上、現状そうなっているのだろう。

 ところで、ファミコン世代のわれら中年層のなかには、1980年代に「ファミリーベーシック」という任天堂の製品があったことをご存知の向きも多いだろう。家庭用ゲーム機に接続して、ゲームのプログラミング体験ができる子ども向けの機器であった。プログラミングについて入門の機会としては面白くはあったものの、新しい学習指導要領が志向するような「プログラミング的思考」をあれで手軽に学べたとは、いま思えば言いがたい。

 語学に喩えるならば、あの体験はラテン語の授業に似ていたのかもしれない。そのむかし「古典ラテン語」は必修科目ではなかったが、それだからこそ履修しながらも期末の試験を前に抜けてしまったことには、すこしく忸怩たるものがある。とまれ、教室へ行くと教科書のパラダイムをひたすら暗記する時間で、教師は憶えるコツというようなことを中心に講釈し、前回のところまで試験をしてから次へ進んだものだった。こうした素朴なスタイルの授業というのは、ひょっとすると中世の修道院から連綿とつづいてきたものではないか。

 ところが近代語の学習となるとたいていのばあい、ふさわしい近代的な様式をそなえている。すなわち、架空の目的を設定して問題解決を図るという、コミューニケイション志向のいわば「擬バロック劇」である。──きょうは郵便局へ行って、切手を買って、小包を発送してみましょう──とかそういうやつ。いわゆる「場面シラバス」にもとづいた学習で、NHKの「ゴガク」シリーズなどでもお馴染みである。各課のはじめにダイアローグが掲げられ、生活の場面に沿って関連項目を学んでゆく構成になっている。

 じつは〈Playgrounds〉からも同様の印象を受けた。洗練されたプログラミング教育ツール。各マップのパズルを解いてゆくのが、場面シラバスに対応した近代的な語学の教科書に思えたのだった。それだから、児童・生徒にも好適なアプリではないか、とは思った。

 ただ、ジャン・ピアジェの発達段階説を思い出すに、そもそも「プログラミング的思考」などという抽象的な操作を伴った事柄を小学校低学年の段階から教えることが、必ずしも妥当なのかどうか。児童に日本語を教えた個人的な経験からも、その困難がありありと予想されてしまうのだ。数学で「代入」を習う中学生になれば、ほぼ全員のレディネスがととのっていそうだが……これはしかし門外漢の杞憂であろうか。

Swift Playgrounds

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*上掲画像はWikimedia