ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

タンポポ──欧州、ラーメン、日本人

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photo by masaaki komori

 日本人だろ、日本人なら、ちょっと相手してやってくれよ──といわれて、ピヴォ(麦酒)を飲りながら、日本映画フリークとの歓談につきあった。紹介された人物は、すでに10杯ちかく呑んでいたらしい。スロヴェニア出身だという同僚の男に、さかんに『マルサの女』を推していたが、こうした場合に『七人の侍』や『東京物語』以外の作品が挙がることは珍しい。教養のあらわれだ。というわけでやはり、そこはインテリどうし。原節子三船敏郎に関しては意見の一致をみた。いいよねー、というほどだが……

 

 あんた、日本人だろ──20年前の西ヨーロッパの主要都市だったらば、アジア人というと、まず日本人観光客だったのだろう。「どうして日本人だとわかったの」という反応は、相当にナイーヴなものだったはずだ。

 しかし、ときは流れ、中国人や韓国人の存在感が圧倒的となった、このご時世。西のアイルランドでは、2000年頃ちょっとしたバブルがあり、中国人が急増した。それから15年以上が過ぎた近年、東のウクライナでも急激に中国人が増えたという。移民である。

 そもそも旧東ドイツもふくめ、共産圏の東欧諸国には日本人は観光客すら、ほぼ皆無だった。日本人を日本人だと見抜く者も、もともとない。それで、たとえば元の東独あたりだと中国人、あるいはチェコスロヴァキアくんだりだと、ヴィエトナム系住民へのヘイトや差別は合法だとおもわれているふしがあり、いかにもビジネスマンらしい、あるいは観光客らしい格好をしていなければ、日本人も厭な思いをすることだろう。これは現在の話だ。

 ただ、日本人の姿は見たことがなくとも、日本のものだという触れ込みの食べ物はどこからともなくやってくる。西のほうからはじまったブームは、飛び石のごとく、主要都市を東進し、その間の中小の地方都市にも浸透してゆく。

 この20年のあいだひろがりをみせていた"Sushi"などは典型で、いまや中華や朝鮮料理を出す軽食堂でも人気となっている。どこのものともわからないが、「アジアの料理」とは確実に認識されている。

 好奇心から見てみたくなる向きもあろうが、危ないものも多いから、日本人の職人のいる高級店以外では、やはり避けたほうが賢明である。イタリア料理店の"Sushi"なら大丈夫だろうと思ったら、悪くなりかけている貝がでてきたこともあった。生の魚介類をなめている。「Sushiとは、寿司ではない」と思っておいたほうがよい。

 さて、そうしたSushiブームも10年ほどまえに一巡した観がある。しかるのち、ニューヨークあたりから火がついたものか、ラーメン・ブームが欧州にも伝染したわけであるが、これもすでに久しい。収益の見込める西欧諸都市にはむろん、日本のチェーンが進出するなどしているけれども、いまや旧共産圏の地方都市にまでラーメン店を名乗る飲食店が跋扈する時代になっている。寿司とは異なって、食材も扱いやすく、特殊な技能もさほど必要とされず──とおもわれて、比較的気楽に起業できるのだろうか。消費者側としては、生命の危険には直結しないだろうから、気楽ではある。じっさいのところ、水準は高い。高価格について不問にするならば、「Ramenは、ラーメンにあらず」とはいいきれない。

 じつは、ラーメンじみた商品は数十年前からすでに普及していたのだ。

 一見すると、日本では「袋麺」などと呼ばれる形態の「インスタント・ラーメン」のようだが、それが東南アジアでコピーされ、なんだかわからない風味の得体の知れない代物となって、非常に廉価で流通していた。速やかに空腹を満たせる利便性から、はてはフランス外人部隊などでもよく利用されている、とどこかで聞いた。フランス語でもそうらしいが、ヨーロッパ人には「ヌードルのはいったスープ」と認識されており、単に「スープ」などと呼ばれることも多い。安藤百福の逸話も知られておらず、タイやヴィエトナムの製品には、グリーン・カレー味とか、トムヤムクン味などというものまであって、そこには「元来はラーメンの即席版」という認識のはいりこむ余地はない。

 そこへやっと本来のラーメンを知る機会が訪れようとするならば、良いことなのかも知れない。真実を知るのに、遅すぎるということはない。巷にあふれるポリ袋で包装されたアジア風の「スープ」が「インスタント・ラーメン」と呼ばれる日は来ないとしても。

 

 ──と、酔っぱらいがそこで思い出したのは、伊丹十三監督の映画『タンポポ』だったが、それにとどまらなかった。映画のシーンに関連して、話は跳ぶ。

www.youtube.com

 10年ほどまえ、急遽、通訳めいた仕事を頼まれた。日本の、とある東証一部上場企業が、東欧の地方自治体と取り引きの契約を締結しに来るというのに、適当な専門家が見つからなかったのだろう。

 市庁舎での大仰な儀式めかした契約式が済んで、ちょっといいレストランで懇談、という段になった。企業側は、常務取締役員・なんとか事業本部長を筆頭に、理事、なんとか部長、かんとかグループ長といった精鋭が招集され、特殊任務のために特別編成されたような一個分隊であり、対するは市の助役と秘書であった。

 食前酒は──いっこうに意見の集約を見せない日本人部隊をまえに、助役(そういえば、いまの日本の法制では副市長という呼称に改まっている)が独断で、ポートワインを注文してしまった。

 将来の成功に乾杯──の直後、ざわめきを呈した企業戦士たち。意外そうなニュアンスで口々に、甘い、甘いという感想をくりかえしている。「甘いといっています」と助役に説明すると、「ポートワインなんだから甘いに決まってる」と吐き捨てるような応答があった。が、ひとりごとかも知れぬからと、先方には伝えずにおいた。

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*TripAdvisorで「ラーメン」などと検索すると、世界中のラーメン店が出てくる昨今。世界には、日本人の知らない"Ramen"もごまんとあるのだろう:

www.tripadvisor.jp

 

参考)斎藤一人氏による、ラーメンと幸せの関係(日本におけるラーメン):

ラーメンか、納豆定食か、一例なんですが、斎藤一人さんもそういうものをよく食べているんです。
その時に必ず、自分は今日は寿司にしようかな、カツ丼にしようかな、スパゲティが良いかなとか、でも今日はラーメンを食べたいなとか、色々考えた挙句の納豆定食なんですよね。
本当に納豆を食べたい時があるんです、色々なものを蹴った上での納豆定食なんです、豪華なんです。
ここが問題なんですが、納豆定食だから、侘しいわけではないんです。納豆は美味しいんです、それではフランス料理は、フランス料理はあんなものがとかは言ってはいけないんです、フランス料理を食べてる時は、フランス料理が美味しいんです。
人間がいろんなものを食べた時に、納豆を食べながら、フランス料理を食べたいなと言うと、急に侘しくなるんです。
納豆の時は納豆おいしいな、そこで幸せになるんです。幸せとはその場でどういう風に幸せになれるかなんです。

斉藤一人さん 何があっても幸せ - コンクラーベ

www.shiho196123.net

斎藤一人 令和の成功 もっと望めばもっと幸せがやってくる

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