ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

疫病神の正体

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 人間が右往左往していても、花は咲く。春である。もう春分か。夜桜をあてに暗くなってから散歩に出るのもわるくはないが──暗がりで疫病神に遭った人もいた。

 『今昔物語集』に「或る所の膳部、善雄伴の大納言の霊を見たる語」というのがある。そこで疫病神の正体が明かされている。手もとの岩波文庫版では本朝部の下巻である。

 あるとき膳部、今でいう調理師の男が、午後10時ごろ外出した。道すがら身なりのよい紳士に出遭って、だれだかわからないなりに挨拶をした。すると、先方は名告りはじめて曰く、我こそは大納言・伴の善雄であって、応天門放火事件の罪をきせられ、伊豆に流刑になって死んだ。それで疫病神になりはしたが、生前は世話にもなったし、今回は軽い咳病を流行らせるだけにしてやっている──というような弁で、それをもって世の人は疫病神の正体を知ることになったが、どうして打ち明けた相手が、よりによってその調理師の男であったかはわからん、という話である。

 「ヨシオ・トモノダイナゴン」というと、なにやら怪獣の学名のような響きだが、史実では「善男」か。この人物に取材した浄瑠璃や歌舞伎には「義雄」として登場するなどしている。また、平安前期の応天門の変については、絵巻物『伴大納言絵詞』に描かれるところで、国宝である。ウイルスというよりもこの人物自身が、キャラクター化して各種のメディアに増殖していったかのようだ。あるいは流行の語でいえば、疫病神というよりは、むしろスーパー・スプレッダーであったものか。いまごろベルガモあたりをぶらつきながら、トラットリアの大将でもつかまえて名告りをあげているのかもしらん。

 ところで、「スーパー・スプレッダー」にかぎらず、ここ数か月、使い慣れない疫学や薬学やらの術語がメディアに急増している。「クラスター」とか「ファビピラビル」とか……。一説には、子どもはほぼ成人するまで、二時間にひとつのペースであたらしい語彙を覚えてゆくという。24時間のうち半分ほどすやすや眠るとして、1日12時間とすれば、6語か。365日かけると、1年で2190語。──それにくらぶれば、たいした数でもあるまい。憶えたての新語を使いたがる子どものようなメディアに、せいぜいつきあってやるとしよう。

 と、懲りずに各種のメディアに目をやれば、「コロナ・コンテンツ」が咲き乱れている。まさに時代の徒花だ。

 先日、たまたま出くわした動画は『ワシントン・ポスト』紙のものだったか。「isolation」と「quarantine」はどう違うか──というような動画は、日本語になれば、どちらも文脈によっては「隔離」だから、ぴんとこない分、ぎゃくに語用論的な意味合いを知るのにちょうどよい英語教材にもなっていたりする。へー、なるほど、って。おなじサイトには、ニュートンの若い頃についてのコラムもあった。17世紀当時、やはり疫病が流行り、ケンブリッジも「コロナ休暇」のていで、20代のアイザック・ニュートンも自宅に籠もったが、そこで世紀の大発見をした。なにしろ、あの林檎の木があったのだ! そんなわけで、みなさんも有意義に過ごしましょう──という趣旨であったと思う。

 だが、心配には及ばない。各地で集会・行事や外出そのものが自粛されるなか、ちゃんと有意義に過ごしている向きも多いと見える。世のなか、マスクや紙を求めて血眼になっている人びとばかりではないのだと知って安心する。

 たとえば、アルベール・カミュの『ペスト』が世界中で売れているらしい。疫病に封鎖されたアルジェリア・オランの町を描写した、1947年の小説であった。主題が、非常時における結束とか団結といった肯定的なものであって、読まれること自体よいことなのかもしれない。めっきり本を読まなくなった人類にとっては。

 また、SNS等であたかも「予言」であるかのように騒がれているのが、ディーン・クーンツのなんとかいう小説で、「武漢400」なるウィルスも登場するというスパイ・アクションらしい。不勉強の不肖の身で、まだ読んでいないからなんとも言えないが、クーンツといえば『ベストセラーの書き方』で有名でもあったし、そうとう安っぽい話ではあるらしい。

 だが、たとえ散々な評判であっても、話を聞くと読みたくなるのが人情だ。そういえば半年ほど前には、阿部謹也の『ハーメルンの笛吹き男』が数十年の時を経て、SNSで話題になったのをきっかけにふたたびベストセラーになった、というニュースもあった。なつかしいな、とか、あれれどこにやったかな、とか、たしか実家にまだあるんだよな、などと思いながらも、あらためて電子版をポチッと購入してしまうのもまた人の常ではなかろうか。購買行動とは、こうして疫病のごとく伝播してゆくのであった。

 ……したがって、現代の疫病神ダイナゴン・トモノヨシオとは、じつはメディアのことであると思われる。

ペスト(新潮文庫)

ペスト(新潮文庫)

 

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