ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

寒暖差とお天気アプリ

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 気がつけば春節も過ぎ、節分がせまっている。もうすぐ春である。小春日和には、雪のとけた地面がぬかるみ、そうすると、はやくもイースターでも来たかのような風情が漂う。けれども油断は禁物で、すぐにまた寒気がやってきて、路面はもとの白色に覆われたりする。どっちつかずの季節だ。ことしの北半球は暖冬の傾向であったが、「Unwetter」のニュースも多かった。ドイツ語で「荒天」を意味するも、文脈によっては「異常気象」とも解される。ちなみにチェコ語では「nečas」とも訳しうるが、いかなる因果か、首相であったペトル・ネチャスなど、これを苗字にもつ人もある。

 さて、iPhoneとのつきあいは、3Gという機種から使っているわけだから、もう10年にもおよぶ。その初期から実装されていた「天気」のアプリが秀逸なのである。愛用されている向きも多いと思う。複数の都市を登録しておくことができ、横にスライドさせることで、その瞬間の世界の町々の天候がわかるのだ。いまどき、ググればそのくらいのことはできる。だが、さして重要でない地球の裏側の天気など、ひとは意味もなくわざわざ検索したりしないものだ。だからこそ、こうしたアプリの存在が際立つ。それで、訪れたことのある世界の都市や話題にのぼる町から、主だったところを登録してある。ヘルシンキは寒いが、札幌はそれ以上だったり、さらに軽井沢のほうが気温で下まわることも多々ある。ダブリン、ベルリン、プラハ、ウィーンと緯度が下がると、気温は高くなっていくとおもいきや、必ずしもさにあらず。南独はしかし比較的穏やかだ。さらにアテネとなると、冬でも生暖かい風が吹いたりもするけれど、とおくマニラは年じゅう30度前後ある……

 20年ほどまえのある夏、滞在していた米国中部では、連日100度前後の猛暑であった。といっても、ファーレンハイト、つまり華氏であって、摂氏では38度前後ということになる。地球規模の温暖化がすすんだ昨今では、たいしたことない数字にも感ずるが、馴れとはおそろしいものだ。とまれ、気温100度という三桁のインパクトは、当時としては絶大なものがあった。それでも、ひと月ほどをなんとか乗り切った。

 その後、シカゴ・オヘア空港から、SASスカンディナヴィア航空で、デンマークコペンハーゲンに飛んだ。8時間ほどのフライトであったろうか。大西洋上では眠りに落ちていた。ところが、降りた地上は寒かった。北緯55度に位置する北欧の「美しき塔ならぶ町」である。100度といわなくとも、7月や8月の移動となればもとより、ほぼTシャツばかりの荷物だ。行き先は空港があるような都市がほとんどで、山に登る予定などもなかった。綿のセーターやナイロンのウィンドブレーカー、ちょっとしたブレザーくらいの準備はあったかも知らんが、そんなものではとても間に合わなかった。若かったとはいえ、なにを考えていたのか。安く上がるからと勧められた、地球を一周するように目的地を設定せねばならないチケットだったが、ひょっとすると地理的な想定が追いついていなかった。まだiPhoneなど無かった時代である。

 その数日後には、南仏ニースに飛んだ。そういう旅程であった。到着したのは、地中海に面した北緯43度。日本であれば北海道の南部あたりを緯線が横断するほどの緯度に相当するも、ニースは、ケッペンの気候区分でいえば「温暖夏季地中海性気候の性質を有する高温夏季地中海性気候」と記述される都市である。つまり、夏場は茹だるほど暑かった……。とまれ、この町も旅の通過点にすぎず、つぎの行き先へと人生はつづいたのだった。

 それから10年ほどが経った。その冬、暮らしていた欧州は摂氏氷点下20度の寒波に襲われていた。そんな時節に所用で、成田を経由してマニラに行く必要にせまられた。千葉は10度ほどの気温で、はたして5時間後マニラはニノイ・アキノ空港に着くと、30度の常夏である。往復してくると、さすがに50度の寒暖差には身体がもたなかったらしく、ついに40度の発熱に見舞われた。そのころ、新型コロナウイルスなどがなくて幸いではあった。

 ほんらい出不精でもあり、ここまでの移動はもうないことを願っている。それでも「天気」アプリを左右に繰るのは愉しい。

気象と天気図がわかる本 しくみ・読み方・書き方 ビジュアル徹底図解 (「わかる!」本)

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  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: メイツ出版
  • 発売日: 2018/06/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

*参照:

applinote.com