ウラシマ・エフェクト

竜宮城から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。日欧ブログ……?

ブレナー峠

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  国境のブレナー峠では、オーストリアの連邦警察が、イタリアからの旅客に検問を実施している。どちらから来て、どちらに滞在しましたか。そして、どちらへ向かわれるのですか──と聞くと『クォ・ヴァディス』を思い出すけれども、そんなふうに警官が車の窓越しに訊ねているのだという。

 1992年にシェンゲン協定に署名し、1995年に欧州連合に加盟したオーストリアが、1997年に一度は廃止した税関と入国管理の関所である。2015年になって、シリア難民の問題がもちあがったときには国境検問は復活したが、今回は趣きを異にしている。──いうまでもなく、コロナウイルスに対する防疫体制において最前線となっているからだ。

 すでに鉄道と空の定期便が、貨物を除いて停止されている以上、旅客の往来はバスや乗用車でのみ可能となっている。パスポート不携帯の者、4日以内の診断書を所持していない者は原則的に入国できない。が、どうしても、という者は14日間の隔離を要求される。ただし、ドイツ連邦共和国へ向かう旅客、つまりティロール地方を素通りするだけの場合は、通過が許可されるようだ。


 峠は第一次大戦後に国境となったとはいえ、「ブレンナー」表記のほうが多いかもしれない。あるいは床しく「ブレンネル」だろうか。イタリア語では「ブレンネロ」。名の由来については諸説あって定かではない。ラエティア人の部族のブレウニ族からきているとか、ガリアの族長ブレヌスが起源ともいわれるが、決め手に乏しい。
 とまれ、アルプス越えの際にはもっとも標高が低い峠のひとつで、それだけに氷雪に閉ざされる機会も比較的少なく、古来このうえない戦略的価値を有する交通の要衝となっている。

 そもそも「琥珀の道」といえば、先史時代からの通商路であったと推定されている。今日のポーランドでも琥珀製品は人気の土産物であるが、これを携えた商人はバルト海から南下したのち、シレジアを通って「モラヴィアの門」と呼ばれる峠を抜け、さらにこのブレナーを通ってアドリア海に至ったといわれる。先史だけに記録はないが、証人となるのはファラオの副葬品の琥珀であって、それはまさにブレナー峠からアルプスを越えた珍品であった。

 この幹線の近代化の歴史とはむろん、兵員輸送の便を改善するのが眼目であって、18世紀、マリア・テレーズィアが舗装道路を整備したことに始まる。19世紀のヴェローナ近郊「クストーザの戦い」といえば、鎮圧に向かったラデツキー将軍らもこの峠から進軍した。さらにこのクストーザは、普墺戦争でも会戦の舞台となった。それだから、1867年には早くも鉄道が開通した。

 戦間期オーストロ・ファシズムの時代には、ウィーンの政権に大きな影響力を有したムッソリーニヒトラーを牽制すべく、この地に派兵したこともあったが、けっきょくドイツとの協調路線に転換し、1937年には日独の防共協定に参加。のち独墺合邦やミュンヒェン会談等を経て、1940年3月17日、両者はブレナーにおいて会談した。イタリアの参戦が決定されたが、同年9月に成立をみる日独伊三国同盟についても協議したといわれる。つまり、この峠は日本帝国の命運にとっても分水嶺となった、といえなくもない。──ことし2020年3月17日は、それからちょうど80周年に当たっている。

 とはいえ、軍事ばかりが能ではない。ブレナー周辺じたいも風光明美な土地柄ではあるものの、ひろくティロール地方とヴェローナにかけての一帯も、ブレナー峠の交通の便の良さも相俟って早くから観光地、避暑地として人気を博した。

 たとえば、プラハで労働者傷害保険局に勤め、若くして心身ともに病んでいたフランツ・カフカは、休暇を取っては療養がてら国内を旅したもので、ティロールとて何度も訪れていた。初期においてとりわけ重要なのは、親友のマックス・ブロートをともなった、ガールダ湖畔やブレッシャでの逗留ではなかろうか。僕には書けない、などと懊悩するカフカの尻を叩き「ブレッシャの飛行機」を成立せしめたことは、まちがいなくブロートの功であろう。20世紀初頭、乗り物の歴史において、飛行機に関する初期の記述のひとつとなった。

 乗り物といえば、ここを通ってヴェローナミュンヒェンを繋ぐブレナー鉄道路線も興味が尽きない。峠というくらいで、最大の勾配は31パーミルにもなるという。だが、たとえば碓氷峠などは19世紀末の官営鉄道敷設の際、最大66.7パーミル(約3.8度)の急峻さであったというから、印象ほどでもないのかもしれない。いずれにせよ、大都市と避暑地とをつなぐ重要な通路であることが共通する、彼我の峠である。

 じつは、ふた昔もまえになるが、個人的にもこのブレナー線を利用したことがある。ヴェローナから乗って峠を越え、インスブルックで下車したものである。当時はユーロ導入前の時代で、越境するたびに通貨を両替する必要があったものだから、すぐにリラをシリングに両替せんと財布に手を伸ばしたところ……なかった。車内で落としてきたらしかった。ややつつましやかな駅舎内にある遺失物取扱所で事情を話すと、はたして翌日、列車の終点だったミュンヒェンの駅で確保された旨の連絡があった。まだまだ牧歌的な時代であったというところか、現代の旅行者各位のご参考になるかどうかはわからない。

 なお現在、この路線を地下化する計画があり、長大なトンネル工事のプロジェクトが2006年に開始されているが、紆余曲折あって、完成は2025年末にずれ込む予定となっているそうである。

 

*検問の様子(2020年3月11日、YouTube動画):

www.youtube.com

tirol.orf.at

 

ヒトラームッソリーニの会談時の様子など:

www.youtube.com

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