ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

抗体検査とガタカな未来

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 まっさらな新型のウイルスには、真の専門家が存在しない。日々あらたな経験知を蓄積しつつある、というのが世界の現状だろう。それでも、この数か月にわたる闘争から得られた人類の知見というのがあって、それを簡潔にまとめた記事というのが、このほど『ニューヨーク・タイムズ』に出来した──というふうにSNSで話題になっていた。公衆衛生学から、いわゆる感染症学や疫学、医学、歴史学にまでにわたる、20名以上の専門家による提言集のようなものか。

 すでに報道され、よく知られている見解も多かったとはいえ、とくに気になったのは、近未来における新たな分断社会の可能性である。すでに社会には2種類の人間がいる。──コロナウイルスの抗体に由来する持てる者と持たざる者である。感染症から快復した人間には抗体ができていると考えられる一方、いまだ感染せざる者にはそれが欠けており、絶えず感染の危険にさらされている。

 それは「ぞっとする分裂」と表現されている。WHOのデイヴィッド・ナヴァロの推測によれば、抗体をもつ人間は旅行もでき、働くことができるが、残りの人間は差別されることになる。要は、すでに免疫があると推定される人びとであるが、こうした持てる者はどこでもひっぱりだこで、血液の寄付を要請されもするし、さらに危険な医療の仕事に果敢にとりくむように求められることになる。

 わかり易いのは、19世紀のニュー・オーリンズの黄熱禍の例である。かの地では黄熱の免疫を持たない市民は、仕事の獲得や、住居の確保がむずかしく、ローンを組むことも、結婚することも困難であったという。もともと黒人奴隷という集団もいた時代だったが、さらに免疫の有無によって、ふたつの社会階層が形成されたも同然であった。

 今般の封鎖状況のもと、300年にいちどの不況がやってくるのだともいわれている。そこで、感染のリスクを冒しても苦境を打開したがる若い者も多いと推測される。というのも、雇用者は免疫がついている者を雇いたがるから、免疫を獲得しさえすれば就職できると考えた若者が、無茶をやらかしかねないのだ。経済を維持するために、コロナパーティを開催し続けなきゃ、という者までいるらしい。おそらく無謀な若者を止めることはできない。医療リソースを守るための感染抑止に付き合う義理も感じないのだろう。社会の分裂が自己実現を阻むならば。

 ここで思い出したのが、1990年代の映画『ガタカ』であった。出演したイーサン・ホークとウマ・サーマンの娘もいまや、いっぱしの女優となっているのだから、隔世の感がある。

 人為的な操作によって生まれた、遺伝子的にすぐれた種族である「適格者」と、いっぽう自然妊娠によって生まれた「不適格者」の2種類の人類が暮らす未来である。優生学の適用が徹底された世界観は、ディストピア文学の骨頂であろう。

 イーサン・ホーク演ずる主人公は、不適格者として生を受けたものの、宇宙飛行士になるという夢をかなえるべく、ある適格者から生体情報を買い取って、その人物に成りすますことで適格者を装う。結果、宇宙局「ガタカ」に潜り込むことに成功するが……という話であった。

 遺伝子とは異なり、免疫は後天的に獲得できるとはいえ、どうも似かよった近未来が想定されているようである。

 ニューヨーク州のクオモ知事も、抗体検査の実施に言及した。経済活動の再開には、データの裏付けが必要であるが、IgG抗体のテストを大規模に実施することによって、人口のどのくらいの人びとが感染しているのか、はじめて推定が可能となるのだと。だが、それが世界にあらたな差別を生むことは、おおよそ確定している。

ガタカ (字幕版)

ガタカ (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

 

*参照:

www.nytimes.com

www.nikkei.com

gigazine.net