ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

エドワード・ホッパーの距離感としじま

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a8/Nighthawks_by_Edward_Hopper_1942.jpg

 志村けんも命を落とした。幅広い年齢層によく知られた「国民的コメディアンの死」と報じられている。ニュースなど耳にはいらず遊び歩いている層も「バラエティ番組」の変化には気づくかもしれない。変わってしまった街の風景に気づいたときには、もう遅すぎる。これまでは「日本以外全部沈没」の様相を呈してきたが、ここにきて日本とて危険な兆候をみせている。

 米ジョンズ・ホプキンス大学の公開情報によると、ついにアメリカ合衆国の感染者数が15万を突破した。世界でもっとも多いということになっている。死者の数は3000に迫り、ニューヨークだけで800人弱。全米21州で、外出制限にかかわる措置がとられている。通りから人が消えた。飲食店では店内飲食禁止。フィットネス・ジムや映画館は封鎖。食料品など不可欠な業種以外は在宅勤務が普及しているが、感染者数が最多となったニューヨーク州では命令として、自宅勤務実施が義務づけられた。たがいに6フィート、約1.8メートルの距離を保つようにとも警告されている。

 ひとり米国だけではない。急にうらぶれたように閑散としてしまった町の風景や、自身の変わってしまった生活を見た各国市民のショックと、つづく不安や落胆は計り知れない。だが、それは人びとにとって、いつかどこかで見た光景だった──

 にわかに注目されているのが、米国の国民的な画家のひとり、エドワード・ホッパーであるらしい。英『ガーディアン』の記事が伝えている。ホッパーといえば、つい先日も『日経新聞』の日曜版の紙面に、カラー印刷による作品をみた気がするし、日本でもよく知られている。とりわけ愛される《ナイトホークス》(1942)に至っては、MacOSのデスクトップ用の「ピクチャ」にも工場出荷状態から格納されているほどである。

 打ち捨てられた都市景観や、孤立した人物像のモティーフは、これまで「現代生活における孤独と疎外」を捉えたものといわれてきた。が、パンデミックはホッパーの作品群にあらたな意義をあたえた、とジョーンズ記者は評する。エドワード・ホッパーの絵画のなかに、今現在のわれわれが描かれている、というひともあるくらいだと。

 アパートの一室でうちひしがれた男、映画館でひとりぼっちの女、さびしげな小売り店の販売員、夜のダイナーでそれぞれが距離をとって着座する数人の客。──もっとも甚だしいコロナ禍の社会的影響は「孤独による危機」である、というのが記者の見立てらしい。リベラル系の新聞には、社会面とも文化面とも分類できぬような種類の報道において、とくに面白い記事が多い。

 ホッパーは20世紀はじめ、ニューヨーク美術学校を卒えたのち、パリを中心に三たびヨーロッパに遊ぶ。そこで、モネ、セザンヌゴッホなど、印象派の影響を強く受けた。1910年には米国に帰国したが、晩年の1960年代になっても「自分はいまだに印象派だといいきれる」というような発言をしていた。

 印象派の人気が高い日本で、ホッパーが好まれるのも頷ける。つまり、多くの印象派の絵画と同様、鑑賞する際に神話や聖書や図像学的な知識が必要とされない。しかもパリの19世紀的な印象派よりも、やや現代にちかい身近に感ずる風景を描いている。それだけに、はばひろい鑑賞者が思いおもい感情移入して絵を体験することも容易で、自由に想像をめぐらせることで、心の癒しをも得ることができるのではないか。

ホッパー (岩波 世界の巨匠)

ホッパー (岩波 世界の巨匠)

 

 

*参照: 

www.theguardian.com

 

*上掲画像はWikimedia.