ウラシマ・エフェクト

竜宮から帰って驚いたこと。雑感、雑想、雑記。

ランペドゥーザの女船長

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 このところ欧州では、カローラ・ラケーテ船長の話がおおきく報道されている。

 30そこそこのドレッドヘアの女性は、「Sea-Watch 3」なる、全長数十メートルという巡視艇のような船舶の女船長(カピテーニン)で、地中海に漂流していた40名ほどの難民を救って、ランペドゥーザ島に上陸させた。

 ここまでは勇気ある英雄譚のように聞こえるが、問題はその行為が最近のイタリアでは違法であったことだ。なんぴとも、みだりに難民を国土に上陸せしむるべからず──というわけだ。

 ある記事の見出しに「Heldin oder Kriminelle?」とあるが、要は「偉大なヒロインか、たんなる刑事犯か」という論争になっている。


 難民が困っていれば助けるもんだ、見ごろしにできるやつがいるのかよ──と思うのが人情だが、事情がさほど単純でないのは、この船長が職業的にそうした業務に従事していたことにもよるだろう。

 北ドイツ・ニーダーザクセン州に生まれ、地元の大学や、のちイギリスに留学して、海洋科学や環境学などを専攻した。報道によれば、修士論文アホウドリについての論考だった。 アルフレート・ヴェーゲナー研究所・極地および海洋研究ヘルムホルツ・センターや、英国の南極観測局や、名高いグリーンピースなどにも参加したが、モナコの豪華クルーズ船の運行会社にいたこともあった。関心が環境問題から社会問題にうつったのか、地中海の難民を救援・支援するNGOである「Sea-Watch」に加わり、かれこれ4年になる。

 私は白人で、豊かな国に生まれた。正規のパスポートも所持している。三つの大学に通う機会も得られた。23で学位も取れた。他人とちがって、楽な人生。だから、人生において、こういった基盤をもたない人びとを助ける道義的な義務を感じるんです──とメディアに語っている。

 イタリア領のランペドゥーザ島は、東京都港区くらいの面積の島で、北アフリカチュニジアからは120キロも離れていない。収容センターも置かれ、難民にとっては欧州へのゲイトウェイとなっている。2013年の難民船沈没事故で有名にもなった。人口6000ほどの島に何万という難民が押し寄せている。

 司法当局は、ランペドゥーザの港に難民を満載した船で寄港した咎で、船長を逮捕した。数日にわたって入港許可が降りず、船内の絶望的な状況からの「緊急避難」をラケーテは主張しているが、いずれにしても入港していただろう。

 イタリア副首相を兼任する内務大臣のマッテオ・サルヴィーニは、旧北部同盟所属の極右とされる政治家であり、コンメーディア・デッラールテのストック・キャラクターでもあるまいが、渾名は「カピターノ」である。

 それで「カピターノ(軍人)vs. カピテーニン(女船長)」というキャッチーな構図がメディアをにぎわせることとなった。軍人は、SNSで「刑務所行きだ」と息巻いたが、裁判所はけっきょく女船長を放免した。それで、極右の内相はまた「国外追放だ」「悪法の改正が必要」などと吠える。

 こうして、歓声とブーイングが相なかばするような反応をひきおこす、報道合戦となっている。 

 社会問題を解決するとき、そのコストをだれがどれだけ負担するのかというのが大きな問題として認識されるようになったのは、比較的さいきんのことなのだろう。

 社会福祉にしても、たとえば先進的なイギリスでは、17世紀のエリザベス救貧法にはじまり、フェビアン協会が起こり、戦時下にベヴァリジ報告が出、戦後の「ゆりかごから墓場まで」路線が定まった──と教科書にはあるが、そのコスト負担でゆきづまるという悲観的な想定はそこにはない。だが、いまやどの国も多かれ少なかれ、少子化の進行などによって、その将来に悲観的な観測がでてきている。

 そういったなかで、ましてや国の外から押し寄せるのが、何万という難民ともなれば、パニックにちかい怒りの声があがっても無理からぬことであろう。こうして、博愛の精神に満ちたヨーロッパ連合の移民・難民政策はおおきな転換期をむかえている。

 そもそも統合ヨーロッパのアイデンティティーのひとつは啓蒙主義の精神で、「“弱者の人権を擁護しなければあたしは死んでしまう”病」のようなものとしてあらわれることもある。それで「なんとかしなきゃ」と思っても、たいてい個人ではなにもできない。実際に行動をもってして難民を救う活動をする者はやはり尊敬される。今回の映像をみても、地元警察や関係者が、ひとりの「被疑者」たる船長に対して、ある種の敬意をもって遇しているような様子がみてとれないだろうか。単なる被疑者でないのだ。

 だが、世界はすでにポリティカル・コレクトネス流のきれいごとに倦き倦きしてもいる。集団ヒステリーのごときバズを引き起こしている美辞麗句など、もうたくさんだ──という風潮がつよくなってきているのは、周知のとおりである。

 というわけで、ひじょうに興味ぶかい騒動だが、日本語メディアではあまり報じられていないようだ。

 

参考)

www.bbc.com

ct24.ceskatelevize.cz